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男の子のバイクの後ろに乗るのなんて、初めてだった。ちょっと憧れてたシチュエーションだった。
夕日に染められた海を右手に、海岸沿いの国道を駆け抜けるバイク。彼の背中にきつく回した腕。スカートの裾が旗のように潮風にたなびいている。
固い背骨に顎を押し付けると、若い汗と整髪量とメンズものの香水の混ざった臭いが鼻腔を満たす。
めまいがするほど少女漫画的な、ロマンチックなデートだった。たとえこんな仕事をしている女の子だって、今日初めて口を聞いた男の子の背中にしがみついたら、ドキドキする。
初めて乗ったバイクはスピードが出る割に安定感がなくて今にも振り落とされそうで、恐怖心が更にときめきをあおった。
小一時間ほど走って、バイクはビーチから歩いて二分のコンビニの駐車場に停まった。ちょうど夕暮れ時とあって、砂浜にはあたしたちみたいなカップルの影がいくつも伸びている。
白く砕ける波も頭上遥か遠くを旋回するカモメたちも海上にぽつんと浮かぶ江ノ島も、何もかもがデートにおあつらえ向きに見えた。熱く熟した太陽が海をオレンジに侵食しながら水平線に沈んでいく。
「初めてのデートで、海はよくないんだそうです」
そう言うと、正義くんは丸っこい目を見開いて本気で慌てた。
「そうなの!? なんで!?」
「だって海って、なんにもないでしょう。付き合って長いカップルならともかく、初めてのデートだとすぐに会話がなくなっちゃうんだそうです」
「あぁ、そういうことなら大丈夫。俺この通り、よくしゃべるから」
「そうですよね」
「むしろしゃべり過ぎでウザいって思ってる?」
「思ってません」
「思ってるでしょう」
「思ってませんってば」
ついさっき初めてしゃべったばっかりにも関わらず、ずっと前からの友だち同士のように言葉がぽんぽん出てくる。人見知りのはずのあたしが、緊張したり変に構えたりすることなく、ごく自然に話せていた。
この人は風俗嬢を馬鹿にしているんでも面白がっているんでもない。ただ、あたしに興味を持ってくれただけなのだ。
「あの。さっき答えられなかった質問、逆にしてもいいですか?」
「何?」
「なんでこんなバイトしてるのかって」
正義くんがニッと笑った。笑うと目尻に浅く皺が刻まれる。普段よく笑うから、年齢に似合わないそんな皺が出来るんだろう。
「俺、バイク好きなんだけどさぁ。バイク維持するのって、結構かかるんだよね。ティッシュ配りって単純労働の割に時給いいし。居酒屋と掛け持ちでやってる」
「居酒屋でもバイトしてるんですか?」
「してる」
「そんなにバイトばっかりして、忙しくないですか?」
「忙しいよ。でも忙しいの、好きだもん」
自分の境遇に満足して、不満も不安も一切口にしない強い笑顔が、目の前にあった。
恋人同士にしてはよそよそしい距離をあけて歩きながら、正義くんが高校の時の彼女の話をしてくれた。
きっと誰にでもある、そこらじゅうに転がっていそうな、苦い失恋話。
規則正しく砂浜を洗ってまた返す波は、ちょうどいいBGMだった。
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