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お母さんが職場で知り合った十二歳年下の彼氏と再婚して、あたしは東京の大学へ進学を決めた。
あたしがお母さんのそばにいることは、初恋まっただなかの女子高生のように顔をほころばせているお母さんの幸せを、邪魔することだった。
といのうは、目元が涼しげですらっと背が高くて、学生時代にラグビー部で鍛えてたっていうムキムキの身体が自慢のお母さんの恋人は、時々あたしを品定めするような目で見て、それがすごく嫌だったから。
醜くいやらしいおじさんにそうやって見られるのは構わないのに、まだ若さを残したかっこいいこの男の人に同じことをされるのは、本当に嫌だった。
あたしがお母さんの好きな人を取るようなことになっちゃったら、絶対いけないんだ。お母さんに嫌われたらあたしはたぶん生きていけない。
そういうことを気がついたらすべてぺらぺらと話してしまって、しゃべり疲れて口を閉じた。おじさんは黙っていて、ちょっと後悔した。あんまり壮絶な、夜十時代のドラマみたいな現実に、ひいてしまったのかもしれない。
「たぶんあたし、すごいファザコンなんですよね。男の人を父親としか思えないみたいです」
「寂しい子だね」
おじさんは本当に悲しそうに言って、お腹の上にだらんと置いた両手をきゅっと握ってくれた。水分の少ない、乾いた手だった。
「わかりません。みんなすぐ寂しいって使うけれど、寂しいってほんとはそういうものじゃないと思うんです。うまく言えないけれど」
いつの頃からかは忘れたけど、うまく世界と繋がれていないような気がしていた。薄いレースのカーテンを一枚隔てて、世界と向き合っている感じ。
カーテンの向こうで援助交際をし、ピンサロで働いてるのは、本当はあたしじゃなくて別の誰かなんじゃないだろうか。
誰か、があたしに代わって動いているだけで、本当のあたしはいつも身体の奥に押し込められている。そんな気持ち。それを寂しいと表すなら、そうなのかもしれない。
おじさんが乾いた手であたしの頭を撫でた。髪の毛がツヤツヤだね、と褒めてくれた。
「名前、なんていうの?」
「りさです」
「そうじゃなくて、ほんとの名前」
風俗で働く女の子が何のために源氏名を使うのかわかってないわけじゃないだろうに、聞いてくる。何のためかわかっていながら答えた。
「理寿です。理科の理に、ことぶきの寿」
「可愛い名前だね。わたしは塚原。今日は何時までお仕事なの?」
「閉店まで働いて、終電で帰ります」
「住んでるのはどこ?」
「町田」
おじさん、いや塚原さんの手が頭から胸に移った。欲望は感じられなくて、思春期の娘の成長を確かめるような触り方だった。
「私も町田だよ。駅からちょっと離れたマンションに住んでる」
「近くなんですね」
「うん。一緒に帰らない? 相模原の改札口で待ち合わせようよ」
きっと「帰る」だけじゃない。ほんの一瞬迷った。
「遅くなって、平気なんですか。奥さん」
「私は独り身だよ。遅くに結婚したんだが、三年で離婚してね」
「後でその話、じっくり聞かせて下さい」
ボックス席の隅っこに置いたアラームが勢いよく鳴って、プレイタイムの終了を告げた。
塚原さんを見送る時、触れるだけのキスをした。その後三人お客さんについて、十二時がやってきた。風営法で、こういうお店は夜の十二時までしか営業できないと決まってるらしい。
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