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――じゃあ逆に聞くが、お前、自分の惚れた女が年を取らねぇ妖怪か何かだったとして、そんな奴との恋路は耐えられるか? 相手はずうっと綺麗なままだってのに、自分だけどんどんどんどん年を取っていく。そんな恋路にお前は耐えられるか?」』
「……いや耐えられないも何もなぁ」
一頻り打ち込んだ原稿を見直し、当時の会話を改めて思い出しながら俺はディスプレイにぼやく。こんな恋愛弱者にそんなこと聞かれてもなぁ。
とりあえず原稿を上書き保存すると、パソコンをスリープに落としてキッチンに向かう。俺はコーヒーは豆からのドリップ派だが、そこで初めてフィルターを切らしていたことを思い出し、気は進まないが近所のコンビニへと向かうことにした。
時刻はすでに夜の十時を回っていたが、外は意外と賑わっていて、というのも、俺が住むアパートの近くには川が流れており、その川沿いの遊歩道がちょっとした桜の名所になっているからだ。つい一週間前に開花宣言がなされた桜は早くも見頃に差し掛かっており、しかも、この時期はご丁寧にライトアップまでされているので深夜まで人の気配が途絶えることはない。
そんな遊歩道には、デートついでに桜を見に訪れたと思しきカップルの姿が目立つ。いやぁいい御身分ですね、と、身内にすら非モテを揶揄される俺は胸中で彼ら彼女らを冷やかしながら、とはいえ羨む気持ちは否めないままコンビニへの道をとぼとぼと歩き続けた。
それにしても、桜ってやつはいい花だなと思う。
ただ綺麗なだけの花なら他にいくらでもある。ただ、この、一斉に咲いて瞬く間に散る儚さ、というか潔さは他の花には見られない美点だ。だからこそ戦前には軍人のアイコンとして利用されたのだろうし、おそらくはひいばあちゃんの元旦那さんも、そんな桜の儚さに自らの運命を重ねたのだろう。
じゃあ最初から、お嫁さんなんか貰わなければいい。どうせ死ぬとわかっているのなら――それは、しかし所詮は未来を知る人間の傲慢な言い分だ。確かに、天一号作戦は後世の人間からすれば特攻も同義だった。が、生き残る可能性も決してゼロではなかったのだ。もし運良く生き延びていたら、元旦那さんはひいばあちゃんと幸せな戦後を生きただろう。あるいはそういう希望が、元旦那さんの命を繋いだ可能性だってある。要するに、何とでも言えるのだ。未来という安全圏からであれば。
一枚の花びらが、ひらり、ひらりと舞いながら目の前をゆっくりと落ちてゆく。
――ありゃ自分の姿がどう見えるか確かめてたんだな。
件のひいばあちゃんの不可解な問いを思い出しながら、そう、じいちゃんはしみじみ言った。
――本当はずっと気にしてたんだろうな。増えてく皺だとか白髪とか……そんで俺が、わかんねぇって答えたもんだからとうとう会いに行くのをやめたんだろう。相手はいつまでも若くて綺麗なままだってのに、自分だけみっともなく老けてくのが耐えられなかったんだな。まぁ、今更こんなこと言ってもしょうがねぇが、おふくろには悪いことをしたな。
ふと俺は足を止め、こぼれんばかりに咲き誇る桜を見上げる。
あの時、元旦那さんが何を思い、あんな言葉をひいばあちゃんに遺したのかはわからない。ただ少なくとも、ひいばあちゃんを呪うための言葉ではなかったはずだ。むしろそれは、愛だとか情から出た言葉で、でもそれは、結果的にひいばあちゃんを呪ってしまった。……いや違うな、ひいばあちゃんの女心が、皮肉にも元旦那さんの愛情を呪いに変えてしまったんだ。
そういう悲しいすれ違いがあった。
これは、それだけの話だ。
そんなひいばあちゃんもとうとう元旦那さんと同じ場所に行ってしまい、今頃はあの世で無沙汰を詫びたりしているんだろう。でもそこには先に旅立ったひいじいちゃんもいて、色々とややこしいことになっているのかもしれないし、いないのかもしれない。
何となしに手近な桜の木に向き合う。ごつごつとした木肌は相当な年季を感じさせ、何だかひいばあちゃんの肌みたいだなと思う。頑固で力強くて、でもどこか優しい。
「ひいばあちゃんをよろしくお願いします。あ、でも、ひいじいちゃんとは喧嘩しないで。三人で仲良く過ごしてください」
そう、あえて声に出して告げると、俺は小さないたずらを成功させた子供の気分で頭を上げる。見守るべき相手があちらに行ったのなら、もはや彼がここに留まる理由はない。それでも万が一ということはある。そもそも願いや祈りなんてものは、その万が一に賭けてするものだ。彼が、ひいばあちゃんにそうしたように。
視界の隅で、誰かが笑ったように見えたのはそんな時だった。が、振り返るもそこに人の姿はなく、気のせいかな、と、俺はふたたびコンビニへの夜道を歩き出す。
そんな俺の耳にふと届く、聞き慣れない男性の声。
――承知しました。
穏やかな、それでいて強い意志を感じさせるその声は、まさか――いや、別にどっちだっていい。俺はただ、ひいばあちゃんのささやかな女心が報われて欲しいだけなんだ。
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