それで、僕の演奏は

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それで、僕の演奏は

「お祖父さん、尚正たい。入ってよかね。」 「おお、主役が来たばい、入って良かよ、皆、お前の来るのを待っとった。」 酒が少し入っていたのだろうか、応接間に入ってくる尚正は、少し赤い顔をしている。 『!!』  しかし、立派な身なりの紳士が3人も座っていることに気付くと、目付きがすこし変わ っていた。 「素晴らしい舞踏演奏だったね。大広間の賑わいがずっと此処まで聞こえているよ。抜け出してくるのに、大変だっただろう?」 突然、新田が話しかけてきたので、尚正は頭の中が動転して、どう反応して良いのか分からなくなった。 「ああ、すまん、すまん、この人達はな、尚子やお前の父親、ホセに関わった人達ばい。今、話しかけてきた人は、新田様、ほら、あのアルベルトさんと一緒に来た時の人ばい。」  新田も、話に口を添えた。 「あの時は、君はまだ少年だったし、実際には話していないから、憶えてはいないよね。」  しかし尚正の心の内は、その記憶に引き戻されていた。 「そうなんですか、アルベルト先生が去って行く時の後姿は、今でも目に焼き付いとります。そして、別れ際に僕をしっかり抱きしめてくれた時、昔嗅いだ父の匂いと同じだったとです。それは、しっかり記憶に残っとります。先生との楽しかった訓練の日々は、一生忘れられない思い出です。貴方が連れてこられたとですね。先生を連れてこられたことに心の底から感謝しとります。」 「そうかあ、アルベルトも君と別れるのはとても辛かったんだよ。そう思ってくれてありがとう。」  するとまた尚正は、遠慮がちに口を開いた。 「・・・それで、もしお分かりなら教えてくれんですか?、先生は、今、どうしておられるとですか?」  真剣な眼差しで安否を心配する問い掛けに、新田は少し戸惑ったが、心を落ち着けて丁寧に答えた。 「彼は、本当にこの旅館を去りたくは無かった。なにせ、現地視察と偽の報告をしてて、バレれば処罰される。それを承知で此処に来ていたんだよ。彼はその後、朝鮮半島で起こった戦争への先遣部隊(せんけんぶたい)として召集された・・・それは派遣の2日前だったかな、私の職場に電話がかかって来た。その時彼は、こう話したんだよ。‘尚正と別れてきたよ。アメリカで家族と決別した時の様に、辛く悲しい経験だった。俺は海兵隊として前線に赴(おもむ)くことになったが、必ず生きて戻ってくるぞ。そして、成長した尚正の姿を見てからアメリカに帰るんだ。これは、俺がお前にする絶対の約束だ。’っとね。その時、僕も彼に言ったんだ。‘絶対の約束なんだからな。必ず、生きて戻って来いよ。’って。」6de16ad8-5910-40c7-a873-f77ec85f0a06  淡々と経緯(いきさつ)が語られている時も、尚正は緊張した面持ちで全てを聞き逃すまいとしている。 「それで、生きて戻られたんですか?」 「いや、それからは彼から何も連絡は無かったんだ。休戦になったから戻って来ると思っていたんだけどね。」 「進駐の基地とかには、確かめてみなかったんですか?」 「休戦になる前に、進駐基地は撤収していたんだ。多分、YS市の海軍基地に戻ったんだと思うよ。」 「それじゃあ・・」 # ドン  尚佐は、丁寧に磨き上げられた一枚板の欅(けやき)の座卓を拳(こぶし)で叩いた。 「尚正!、止めんね!、問い詰めるとはどういうことね、お客様に失礼ばい。」 「・・・す・・すみません、お詫(わ)びいたします。」  新田は、尚正が逸(はや)る気持ちは十分に分かっていたので、それほど気に障るようなことはなかった。 「いえ大丈夫ですよ。尚正君が、これ程に彼を慕っていたのか分かりました。ではもう少しだけ話を続けますね・・・アルベルトは、もう一つ僕に言ったことがあるんだよ。‘尚正は、数年もすれば、多分俺よりずっと上手くなっているだろう。けれども、俺があの子の才能に期待したいのは、そんなありきたりなものじゃない。天性の表現力を引き出すことだ。母、尚子の独創的で思いもつかない舞踏の様に、誰にも真似のできない旋律を爪弾き操る(つまびきあやつる)ことが出来るようになっているかもしれない。もし、彼が成人した時に、俺がそれを確かめることが出来なかったら、すまないが新田、お前が行って確かめて来てくれないか。’っとね。」  すると、北畠が加わってきた。 「へえ、お前にね、随分当てにならない者に頼むしかなかったんだな。」 「兄貴、僕だって分かってますよ。そりゃ、僕じゃ芸術の見極めなんか出来るわけありませんからね、だからこうして、一流の専門家を連れてきたんじゃないですか。」 「なんだ、そういうことか・・吉野君、どうだい尚正君の演奏を見てみて。」  急に話を振られて、流行服姿の紳士が、少し慌てた様子で受け答える。 「あ、はい、それより、僕の紹介がまだですよ、二人共、自分のことばかり話を進めて、僕は放りっぱなしじゃないですか。」 「ああそうだったな、すまん、すまん、いつもの君なら、すぐに話に割って入ってくるのに、猫かぶった様に随分大人しいと思ってたよ。」 「当たり前ですよ、さすがの僕でも初対面の方達に皆さんみたいに話しかけられる訳ないじゃないですか。もう待ってられないので、私自ら自己紹介しますから・・え~私は、吉野悠一郎(ゆういちろう)と申します。Y市の方で、楽器の商取引をやっています。この空前の好景気で、我々国民も食べる為に働く生活から開放されて、生活にゆとりが出てくる方々も居られます。昭和の初めの頃の様に、西洋の生活文化がどんどん入り込んで、日本人も教養や余暇に関心を持つようになって来ました。映画やラジオ、そして新しく登場したテレビから、音楽が巷(ちまた)に流れ、楽しむ時代がまたやって来たんです。田上様、吉野というと何か聞き覚えがありませんか?」 「吉野というと、尚子の通っていた音楽学校が、吉野音楽歌劇学校という名前だったとですけど。」 「覚えていただいてありがとうございます。私の祖父は、西洋音楽に非常に造詣(ぞうけい)が深く、若い頃に欧州に私費留学する程でした。祖父は帰国すると、我が国でも本格的な交響管弦楽団を創設し、活動を始めます。しかしながら、西洋楽器を弾きこなせる者などまだまだ希少数で、常設するには後継者の育成が重要となったのです。音楽学校は、その為に祖父が学長となって始めたのです。父が次代学長に就いていた時、尚子様が声楽科に学ばれていたのですよ。」  それを聞いて、尚正が返事をする。 「ええ、そのことは母から聞いとりました。それから黙っていろと言われたとですが・・・当時、風俗的な場所として社会から軽蔑視されていたダンスホールに、友達と遊びに行って、演奏している父に出会ったそうです。そこで素晴らしいギターの演奏に魅了されて、フラメンコにのめり込んだそうです。」 すると、自分に秘密にされていたこともあってか、尚佐は不機嫌になった子供の様な顔付きで、思わずぼやいた。 「はあ、やっぱそうだったんか、尚子からも、西園寺様からも、何でそうなったのかは話されんかった。でも、チラッと聞いたような気もしとった。どうやって興行事務所の方と知り会うたのか、不思議に思うとった。冒険心で行ったとやろうが、黙っとることはなかとになあ・・・」 # ハ、ハハハハ・・・  その姿が余りにも大人げなく見えるので、他の皆は、思わず笑いが出た。それまで何と無くよそよそしい雰囲気が、和み始める。 「親の心、子知らず・・ですよ。どんな偉大な人物でも、子供の時は無鉄砲なものです。不思議ですよね、でもその好奇心が運命となって、我々が此処に来ることになった。ダンスホールで天才的な舞踏に魅了されたことは、今も心に焼き付いています。北畠様や新田さんと同じ様に、私も尚子様の舞踏は超一流の芸術であるとして観演していました。それに、あの大野浦(おおのうら)家と吟条(ぎんじょう)家の結納の儀に出席させていただいた私の父も、こんなことを言っていたんですよ。‘あんな変幻自在な舞踏表現を見たことがない。彼女はやがて、西欧の舞踏芸術界を驚かすことになるだろうな。’と、正直、亡くなられていたことは今でも驚いています、非常に残念でなりません。夫であるホセ様の才能を受け継いだ尚正君との舞踏演奏が、また再びどんなに我々を感動させてくれるかと思い、楽しみにしていましたから、後で、お墓にお参りさせてください。」  尚正が、その言葉に応える。 「ありがとうございます、そう言って頂いて、亡くなった母も喜んどると思います。それで、僕の演奏は如何(いかが)だったでしょうか?」
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