あの家は残っているか

1/1
前へ
/35ページ
次へ

あの家は残っているか

 改めて、尚正から直(じか)に感想を求められ、吉野は少し緊張してしまった。 「う、うん・・・見事な演奏だったよ、未熟な妹さんの踊りを、演出次第で観客を上手く導くことが出来るなんて、感心してしまったよ。僕も、バイオリン奏者として、祖父と父から教育を受け、父のオーケストラの団員として経験を積んだ。技能的な部分では、君ほどの腕前のギター奏者は、たぶんこの国には居ないだろう。」  この言葉に尚佐は、思わず喜びを露わにした。 「吉野様、ということは尚正は、日本一のギター弾きと言うことですかね?」 「ええ、そうですね、間違いなく。」  吉野の太鼓判に、尚佐は、小躍りする気持ちであった。 「尚正、聞いたか、お前のことやぞ。本当に、そう思われるとですよね。専門家の吉野様が、そう言うとるとばい。素直に受け止めれば良かとよ。」  北畠や新田も、賞賛(しょうさん)の言葉をかける。 「素人の僕等からみたら、いつでも卓越した音楽家と言ってもおかしくないぞ。」 「アハハハ、そうだよ、もう実際にこうやって君を観に大勢のお客さんが集まって来てるしな。」  こうして皆が褒め称えるのに対し、尚正は、黙っていた。 「・・・・。」 「ほら、尚正、お褒めの皆さんに、お礼ば言わんか。」  すると、意外とも思える反応を示し始めた。 「いえ、そういうことではなかとです・・・僕は、父さんや母さんから何を受け継いでいるのか全く見えとらん。皆は、上手くなったと褒めるが、そんなことやない。僕は、父さんの顔や姿を覚えとらんし、当然演奏も見たことがなか。母さんが、あの次々に変わる幻想的な踊りを引き出しているのは何なのか、ずっと考えとった。母さんは、スペインに行ったことなか。当然その風土や気質も知らないし、映像だけで直にフラメンコを見たことはなかと言うとった。そうやのに、あの感性に溢れた演舞ができとるのは、やっぱり父さんの奏でる音の流れがあってこそだとしか思えてならん。独創的な表現は、そこから由来(ゆらい)するとじゃなかろうか。皆さんは、父母の舞踏演奏を知っとられます。確かに僕は、二人の血を受けている。ばってん、本当に才能を受け継いどるのか、何を思い描いているのか、何を目指していたのか、それが分からないかんと、ずっと考えとった。」  尚子が亡くなって、その後の少年期から今まで、殆ど自らの心中(しんちゅう)を語らなかった。褒めてくれていることはどうでもいいような言いぶりであった。 「・・・・。」  尚佐は、戸惑って声が出ない。 「・・・・。」  北畠達も、尚正がそこまで思い悩んでいることに、どう応じていいのか考えあぐねていた。  これだけ演奏できれば十分じゃないか。父母の才能を受け継いだと自分に納得しても良いのじゃないか。そう言ってあげたかったが、自虐(じぎゃく)とも捉えられる尚正の深い懊悩(おうのう)の気迫が勝り、そう口には出せなかった。  すると、入口から誰かの声が聞こえてくる。 「お取り込み中、すみません。入っても宜しいですか?」  声をかけたのは従業員である。その声に尚正も気付き、言葉を返した。 「良かよ、入っても。」 「すみまっせん。」 # スルスル・・・  静かに入口の引き戸を開けて応接間に入って来ると、尚佐に向かって用件を告げる。 「ご主人様、若旦那様、恵海様が大変お疲れになった様で、大広間で眠り込んでしもうたとですよ。隣の客室が空いとりましたけん、私達でお運びして寝とられます。順子様も、お友達と一緒に帰られるそうです。」efa32c93-7041-4246-825a-20cc2d3d26ad 「そうか、世話になった。それじゃあ、それぞれにハイヤーば呼んであげんしゃい。わしと尚正は接客中なんで、宜しくと言うといてくれんか。それから別の者に、替わりの茶を持って来てくれ。」 「分かりました。」  そう言って従業員は、体をゆっくり反転し、退室するところで尚正が呼び止めた。 「あっ、ちょっと待っといてください。恵海は僕が車で送る約束ばしとりますけん、もうちょっと寝かせといてください。」 「折角こうしてお前ば訪ねて遠くから来とるお客さんが居るとやぞ、今日ぐらい良かろうもん。」 「いえ、お祖父さん、約束は約束ですけん。もうちょっとしたら行きますんで、それでお願いします。」 「分かりました。」  従業員は退出し、入口の戸が閉まる。 # スルスル・・・  再び室内が静寂になったところで、尚正は、改めて皆に断った。 「せっかく来て頂いたところで、勝手ながら妹を送るため退出しますけん、お許しください。」  すると、北畠が出されている茶を一口飲み、湯飲みを少し眺めて喋り出した。 「ほお、美しい朱色の絵付けだ、伊万里の器(うつわ)は何度見ても飽きないものだな・・私は構わないですよ、吉野君はともかく、明日早速、仕事先に向かいますので、我々もそろそろ引き揚げようかと思っていたんですよ。こうして尚正君にも会えたし、思っていた通り、素晴らしい演奏だった、十分満足しています。」  新田も、その言葉に息を合わせる。 「そうですね、好景気でとんでもない忙しさですが、どこかで息を抜かないと、やってられないのですよ。尚正君、今日の演奏会は、本当に心地良かった。おかげで命の洗濯が出来ましたよ。」  そして吉野も、である。 「僕も同じです。ただ一緒に来た訳ではないんですよ。九州のこんな片田舎に、あ、失礼しました、このような凄腕のギター演奏者が居たことに驚いています。明日は、友人がH市で楽器店を開いてまして、折角ですから様子を見に行こうと思っています。」  さすがに、3人共に遠慮を示されれば、尚佐も応じざるを得ない。 「そうですか。都合が良ければ、泊まっていかれたらと思うとりましたが、引き止めるのも失礼ですけんね。」 # ボーン、ボーン、ボーン・・・  応接間に掛けてある振り子時計が、十(とう)の音を告げる。  その時刻音は、金属が出しているにもかかわらず、深く丸みがあって、妙に夜が更けていく雰囲気に似合っていた。 「短い時間でしたが、わしらも皆さんにお会いできて楽しゅうございました。こんな田舎の処ですが、次回は泊まりに来て下さい。」 「ええ、是非お伺いします。ところで、尚正君は、恵海ちゃんの送りの時間は大丈夫かい?」 「ええ、そろそろと思うとります・・あの、もう1つだけ尋ねても良かですか。」 「ああ、何だい。」 「もし知っとらっしゃったら、教えて欲しかとです。父さんや母さんが興行していた場所は、あの米軍の大空襲で焼けて無くなったと思うとです。ばってん、住んでいたM町の海岸沿いの家は、郊外にあったのでまだ残っとると思うとですが・・・。」  それを聞いて北畠は、少し考えていたが、その問いに応じた。 「ああ、そうかも知れん。実は、その家屋は、私の父がある人のために用意したものなんだ。父の話からだが、その人が君の父母が住むように配慮したそうだよ。」 「その人のことは、ご存知なのですか?」 「いや、お会いしたことはない。ただ、先程述べた西園寺様の下で働いている者だったと言われている。その方はホテルマンなのだが、建設の知識に非常に精通しておられたそうだ。父は、彼の創造性豊かな居住環境の理念に感銘(かんめい)を受け、自分の都市構想の実施組織へ登用しようとしていた。近代的模範都市の造設(ぞうせつ)を彼に任せようとしたんだよ。その家屋は、M町にモデル街を造ろうと、都市建設の準備調査のために設けたということだ。俺が知っているのはここまで、しかしそうかも知れんといったのは、ある事実を知っているからだ。」  尚佐も関心を持ち、思わず口にした。 「それは、何ですかいね?」
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加