息子へ

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息子へ

「ああ、皆さん、もうこんな時間ですばい。今日はお越し頂いた上に、大変ためになる話ばもろうて誠にありがとうございました。わしは、薄々心に思うとったことが、皆さんとの話のやり取りで、覚悟がつきましたばい。尚正は、二十歳になりました。もう自分のことは、責任を持たないかん大人になったとです。そして、それに周りがとやかく言うのも、おかしか話ですばい。尚子が、踊り子になる時と同じですばい。興行事務所の女の人が、話ば付けにわざわざこの田舎まで来られた時のことば思い出しました。確か、海堂さんというとったなあ。その女の人は、キラキラした眼ばしとった。そして、わしに言うたとばい。 ‘私達は、尚子様を秀(ひい)でた舞踏家として、この世に送り出すことができると確信を持っております。そして必ずその期待に応えてくれると分かっております。なぜなら、その素晴らしい才能はもとより、自らに責任を嫁(か)して、成し遂げるための努力を惜しまない方だからです。尚子様は、我が社と運命を共にして行かれると御決断いただきました。また我々も、尚子様に社運を託すだけの価値ある方であるとしてご契約させていただきたいのです。改めて申し上げます。父上様のこの契約の御承諾を頂きたく、此処に参りました。’ そう言って頂いたことが、思い出されるとです。その時、尚子も二十歳を過ぎたばかり。いつまでも子供だと思うとったら、しっかりした大人になっとった。なにしろ、西園寺様が後ろ盾(うしろだて)する会社が認める者ですばい。もうわしが色々口出すことは、尚子の将来の邪魔ばするだけやと思いました。そして今度は、尚正たい。各界の偉か皆様の認める一角(ひとかど)の者になったとばいね。正直、うちば離れることになれば寂しかばってん、あの子が自分で進むところば見ていきますたい。」  こうして心の迷いを解いて、自分なりに行方(ゆくえ)を定めた尚佐は、それを自分に言い聞かせるように語る。 『田上様、御心中察します。よく覚悟されました。』  その様子をじっと見ているだけで、北畠達は、何かと口を挟むのは、もう気休めの言葉にしかならないことを悟っていた。 # ブオオオオオ・・・  そして北畠達の乗った車は、旅館を出発した。ebf3b1af-a35b-40a8-8d19-f558cdeed4ea  新田の頭の中は、それまでの会話への関心で、納まらなかった。 「尚正君は、本当に旅館を出て、上京するのでしょうかね?」 「ああ、あの様子では、そう遠い日のことじゃなさそうだ。」 「でも、旅館の跡取り息子ですよ。田上家を見捨てることになるかもしれないのですよ。」 「ああ、そうかもしれないな。」 「兄貴、ああ、ああ、ばかり言ってないで、何か僕らで助けてやれないんですかね。やっぱり、それが親であっても他の人の表現を真に再現するのは不可能なんですかね?」 「新田さん、絶対無理とは、言えないかもね。天才のホセ、尚子の血を受け継いでいるという他には無い基礎がある。もの凄い時間と労力がかかるだろうが、二人の生きている時のことを探って理解していけば、その血脈が奇跡を招いてくれるかも知れない。」 「そうだな、正に奇跡としか言えないけどね。」  吉野は、尚正のことを語りながらも、尚佐の苦しみにも同情していた。 「幸四郎、僕等が旅館を訪れたことは、本当に良かったのですかね?」 「えっ、それは、田上さん達を動揺させてしまったことにですか?、アルベルトの長年の頼み事を、僕はやっと終えることが出来たのですけど・・・やはり、まずかったのかなあ。」 「さすがの無頓着(むとんちゃく)なお前も、今日の尚佐さんと尚正君の様子を目の当たりにして気が咎(とが)めるんだな。」  すると吉野は、自分の父親に照らし合わせながら尚佐の心境を語りはじめた。 「僕の父も厳格な性格だった。少年時代は、結構厳しく躾(しつ)けられたよ。けれども僕が大人になってからは、やはり優しくなった。祖父の時代から受け継いできた音楽学校を僕は受け継ぐはずだった。若い時は、やっぱり思い込みで自分を動かしてしまうんだよな。」  北畠は、吉野の若い頃の様子を思い出すと、言葉にした。 「米国に渡ったことを、やはり気にし続けているんだな。」 「音楽の世界は、西洋の古典主義なものだけじゃない。米国から渡ってきた新しい音楽。今まで厳しく古典的西洋音楽を教育された僕は、その自由で感性の赴くままに繰り出される音曲も素晴らしいものであることを知って、形式に固執した概念から解放された。夢のようなものに出会った瞬間だった。そして、その音楽を知れば知るほど、米国への憧れが強くなった。」 「大人しい君が、突然渡米したいと相談してきた時には、正直驚いたよ。」 「そうか。でも君は、随分とあっさりとしていたよ。俺達は未だ若い、自分が思ったことは実行しないと後悔するぞ。知り合いに海運の方がいるから、いつでも頼んでやると言ってくれた。」 「そうだった、そうだった。あの時代、世界は混沌としてはいたが、我が国は諸外国との交流も盛んで、渡航(とこう)もさほど難しくはなかったな。」 「しかし父は、僕の渡米を絶対反対する。西欧ならともかく、そんな得体の知れない流行りの黒人の即興音楽など認めるはずもない。今だから言えるけど、勝手に米国に渡ったんだ。」 「えっ、なに?、お前、親に内緒で俺に頼んだのか。そうか、だからお前が渡航した後、親父さんが俺に、お前が何を考えているのか聞いてきたんだ。」 「でっ、何て答えてくれたんだい。」 「真治は、音楽は形式じゃなく心だということに目覚めたみたいだ。自分の感性に合った音を探しに行ったんですよって。」 「うわ~、何ですか、そのキザな台詞(せりふ)は。兄貴が一番苦手な言葉じゃないですか。」 「馬鹿、俺のじゃないよ。あの気難しい堅物の親父さんだ、下手なこと言えないじゃないか。こいつが言ったのをそのまま言ったんだぞ。俺は、凄く恥ずかしかったけれどな。」 「そうか、幸四郎ありがとう。そしてその後、手紙が届いてな。 ~お前が自分で決心して進む道だ。俺は何も言わん。目指すところの音楽を十分に学んで来い。~ という内容だった。・・・しかし、取り返しのつかないことになってしまった。渡米中に日米関係が悪化し、ついにあの大東亜戦が起こってしまった。戦争が間近になると、政府からの帰国勧告が出された。僕は、太平洋航路の引揚げ船に乗るつもりだった。」 「でも、帰国しなかったよな。何か帰れない理由があったのかい?」 「急いで乗船の申請をして、許可が下りるのを待っていた時だった。父からの国際郵便が、僕の所へ届いた。僕は、その内容に驚いて米国に残ることにしたんだ。」 「ほう、何が書いてあったんだい?」 「~この戦争で、日本は敗北するだろう。お前は強制送還されなければ、米国に残った方が恐らく命を長らえる。抑留(よくりゅう)させるかもしれないが、その苦痛に耐えろ。我が国に帰ったとしても、徴兵され前線へ送られるだけだ。大陸の者達の戦争は、前の世界大戦の状況を振り返って見ても、徹底的にその国を破壊してしまう。戦いが終った時、我が国は、特に主要都市は焦土(しょうど)と化しているだろう。だから、学校を継ぐことは考えなくても良い。お前は、自分のことを考えていれば良い。生き抜いてくれ。それが父や母への孝行だと思えば良いのだ。~ 父の言う通り、空襲で住んでいた町は跡形も無くなった。むろん、学校の校舎もだ。その手紙が、父からの最後の言葉だったんだ。」  吉野の感慨深い話に、北畠と新田は沈黙してしまった。
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