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古臭い教示
# フオオオオオオ・・・
やがて街に続く舗装された道路に入ると、ずいぶんと車内が静かになった。それまでは未舗装を走っていた音で、声を皆に聞こえるように強めに出していたので、会話でそれなりに賑やかだった。その一転した静けさが、更に深く、感慨(かんがい)を心に感じさせている。
吉野は、若い頃の自分に父親が接してくれた心境を確かめていた。
「尚佐さんの淋しい様子を見て、その時の父の気持ちが改めて分かったよ。僕を一人前の人間として認めてくれた時の心境ですよ。巣立っていく子の後姿を見守る親の淋しさなんですよね。」
「やはり親の心、子知らずですかね。僕の子供達も、後数年もすれば、突然動揺する様なことを言い出すのかな。兄貴は、どうなんですか?」
「俺も、仕事ばかりで親父らしいことは何一つやっていない。家内(かない)に任せきりだ。まあ、もう成人しているので、今更(いまさら)どうこうということは無いな。たぶん子供達に見切られているかもしれないな。この仕事が一段落着いたら、家族皆で旅荘田上に行くか・・・でも、いつかこれだけは伝えたいと思っている。お前達の祖父は、政治家として一生を国造りに捧げた。我が国は、明治以降、西欧の先進的な社会、技術、文化に学び、法律、制度や生活様式は変革(へんかく)をもたらしたが、国の基盤となる都市整備については、西欧に比べてまだ至極(しごく)立ち遅れている。かつての中世、貴族社会の時代には、優れた都市計画に基づいた都づくりが行われたが、武士社会になると城を中心とした町づくりが進められた。その複雑な配置にした町並みは、戦国の世では軍事的に優れたものであったろう。しかし、現在は国取りの時代ではない。欧米に堂々と対抗できる近代国家にするには、洗練された都市を造りあげて、国家の基盤となること。健全な発展と秩序ある国家は、主要な都市整備からだ。それは、今の国家を支えるべき国民の劣悪な居住環境の改善に繋がる。狭く不規則な道路状況、無秩序な家屋の配置は、上下水道整備の推進、流通経路の確保や災害対策に支障となっている。父はこの根本的な部分に、真っ向から挑んできたんだ。そしてついに、戦争の敗北でその機会がやってきた。多大なる人命と財産を失ったが、我が国は主要都市を一から整備することとなったのだ。これで、父が思い描いていた理想都市の建設が可能になった。戦後策定された復興計画には、父の都市構想の趣旨がふんだんに盛り込まれている。我々は、この計画を踏まえて戦後の復興に全力を注いできた。そして今までに無い景気回復を契機に、我が国は経済構造に変化が起き、新たな局面(きょくめん)を迎えようとしている。これからは新しい世代による国家建設が始まるのだ。是非、目先の景気回復のための産業開発ばかりに走ることなく、政治、経済、文化および社会環境の調和が図られた確固とした国家基盤を造ってもらいたい。父が目指したローマや長安の様な、何百年も揺ぎ無い安定した繁栄を国にもたらすような都市建設を進めて欲しいのだ。」
話を終えると、北畠は、満足げな表情になった。
「兄貴。」
「何だ?」
「歳、取りましたね。」
「ああ、そうだそうだ。」
新田と吉野の言葉に、北畠は逆に、少し不機嫌な様子になった。
「どういうことだ。これからの前途洋々(ぜんとようよう)な若者達へ送る言葉として、相応しい(ふさわしい)と思ったんだがな。」
「兄貴の言葉は、これから経験を積んでいく若者達には、おやじの小うるさい説教にしか聞こえませんよ。自分だってそうだったじゃないですか。それが、大変含蓄(がんちく)のある内容でも、堅苦しく古臭い教示(きょうじ)には興味が無いんです。さっきの吉野さんの話、聞いてたでしょう?」
「そうそう。とかく若者は、新しげな、珍しげな物に目を向けたがるものなんだよ。これからの世代が造る世の中がどうなっていくのか、まあ優しく見守って行こうじゃないですか。それが、将来へ不都合なことになったとしても、それがこの国の運命なんだよ。隠居したら、僕達は応援していくことが役目ですよ。」
2人の言葉を聞いて、北畠は少しだけ黙って、自問自答して言葉を改めた。
「それもそうだな。なまじっか戦争を経験して来たから、自由を美徳(びとく)とする俺も、くどくど語る様になってしまったのかな。やがて戦争を知らない世代が、この国を支えて行くようになる。どんな経験だったか、俺達に聞いて来た時にはくどくどと説教してやろうか。」
「それじゃ、絶対聞いて来ないですよ。」
「そうだ、そうだ、年取った時ほど、謙虚な老人じゃないと皆からに捨てられますよ。」
「大丈夫だ。俺には、見捨てられない自信がある。」
「へえ、随分強気ですね。それは何ですか?」
「遺産だよ、莫大なイ・サ・ン。」
「困った爺さんだな。」
# アハハハハ・・・
その頃尚正は、恵海を後部席に座らせて、今津へ向かう途中であった。
「尚正兄ちゃん・・・」
「何ね?・・・ん、なんだ、寝言ね。」
恵海は、踊りの疲れですっかり眠っている。
# ブルルルル・・・
今津へ向かう道は、郊外を出ると昔の情景と少しも変わっていない。村一番の商店通りを抜けると直ぐに山々を背景とする田園の風景になると、道路の外灯が極端に減ってしまう。急に暗くなるので、道を知らない者なら運転に力が入るところである。しかし何度も行き来して、見なくても凹み(へこみ)の箇所まで熟知している尚正にとっては、まるで真昼に運転しているかの様に、減速もせずに走っていく。それに今日は、月明かりのある夜。空は雲の形が分かる程の煌々とした明るさで、地上の様子がかなり遠くまで見渡せている。
# ブルルルル・・・
そうしてじきに、長屋建ての大きな木造の建物が見えて来た。それは、村で唯一の小学校、その校舎は、階段を少し上がる小高い所にあり、玄関口の屋根の中央に時計台が嵌め込んである。
今は、恵海が通っているが、弥蔵や大輔等今津家の者達も此処を卒業している。そして母、尚子も、幼い頃は今津の離れに暮らしており、大輔と一緒に通っていた。学校から北側は松林が広がっており、5分程も歩くと海岸に出る。松林から砂浜に抜ける所に小高い石で積まれた遺跡があり、それが海岸線に沿って延々と続いている。大昔、中国の軍勢が我が国に攻め入ろうとした時に、防護壁として築かれた防塁(ぼうるい)で、当時は3m位あったそうである。子供達にとってはそんなことはお構い無しである。遺跡ではあるが、ずっと昔から格好の遊具施設となっていた。
# ブルルルルル・・・
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