学生という良き時代

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学生という良き時代

“♪プーン 11時になりました。政府与党は、来年度の・・・”  ラジオ番組は、定時のニュースに変わっている。深刻な高齢化社会に対応するため、新しい社会保障制度について、内閣が国会に素案を発表したとのこと。 「和、随分若い子達と一緒だけど、お前の子供とか親戚か?」 「まさか、僕は独身だよ。うちの楽器店に来る、軽音楽部の学生達なんだよ。」 「アハハハハ、そうだった、お前未だ独り者だったな。」 「運転手さんは若い頃、和さんとバンド組んでいたと聞きましたけど。」 「ああ、和がそんなこと言ったんだ。君等も、バンド組んでる仲間なのか?」 「ええ、そうなんです。」 「いいなあ、本当に楽しかったよな、金も無く、めちゃくちゃな学生生活だったけど、自分の存在する価値が一番見えていた、なあ和。」 「ああ、そうだったよな。」 「ライブをやった時の痺(しび)れるような感覚は、最高だよなあ。興奮と緊張感が絶頂に達した時の実感は、ライブした時にしか味わえない。その後の人生で同じ様なことは、一度も無かったよ。最初は人前で目立つことばかり考えていたけどね。そんなものは直ぐに飽きられるし、そんなバンドはそこらにゴロゴロ居る。」 「やっぱり演奏の腕を磨かないと、人は来てくれないんだよね。」 「観客が俺達の演奏に共感してくれた時、自分の存在を強く感じる。決して自己満足でないと確信した時の充実感。もう例えようの無い快感だった。」 「本当にバンドやってて良かったとね。最高の幸せだよね。」 「へえ、そうなんですか。」 「バンドやるって、そこまで考えていないっすよ。」 「君達は、今そうだから実感が無いんだよ。いつか、そこから離れざるを得なくなる時が来るよ。その時に、実はあれが青春の日々だったんだ、もう一度、あのハチャメチャな生活に戻ってみたいと昔を懐かしむようになるよ。」 「プロに成ろうとは、思わなかったんですか?」 「成れりゃぁ、成りたかったよ。だけどね、プロとして世間から認められる為に、どれだけの時間と労力が掛かるか誰にも分からないもんな。そこを目指す奴で希望が叶うのは、ほんの一握りだよ。楽しむのと、そこに生活をかけるのとは、全然意味が違うよ。デモテープを音楽事務所に送ったり、コンテストの予選に出たりしたけど、まっ、そこまでだったな。」 「ふ~ん、和さん達もそんな時があったんですね。」 「まあ僕等には、プロで食って行ける程の実力が無かったことも分かったけどね。でも、コイツ、卒業近くになって、真剣に悩んでたもんね。」 「あっ、こんな時になんだ、その話恥ずかしいから、やめろよ。」 「えっ、えっ、何ですか?」 「人生勉強のためになるし、話してくださいよ。」 「そうだよね。さっきも言ったように、黙っていることは、身体に悪いもんね。」 「和、お前なぁ、昔からそうだったよな。」  川村は、少し咳払い(せきばらい)をしながら、話の段取りを頭の中で整理してから喋り始めた。 「ウウンっと・・卒業まで2ヶ月ほどになった頃だったんだ。僕達は、いつもの様に暇な時分、いつもの様に学生喫茶にたむろっていた。そこでミートスパゲティを食ってたら、いきなりコイツ言い出したんだよ、‘和、俺達は2ヶ月もすれば就職する。食っていく為に働く人生を歩み始める。音楽の道を諦めなくちゃならんのか。そんなことやってられる歳じゃなくなったんだな。そう自分に言い訳してしている。このところ毎日が憂鬱(ゆううつ)なんだ。それが本当に自分が望む道なのか。’ってね。」 「何だか、昔流行(はや)ったの曲の歌詞みたいな台詞(せりふ)ですね。」 「それでどうなったんですか?」 「俺と旅に出ないかって、言ってきたんだよ。」 「出た~! よく言う、自分捜しの旅という奴ですよね。」 「ああ、そんなとこだよね、でもね、結構とんでもない旅でね。」 「どんでもないってどういう。」 「‘金を持たずギターだけで、路上ライブしながら稼いで旅をしようぜ。俺達の音楽が人に受け入れられるのか確かめる。’ってね。」 「ええっ、スゲー本当すか?」 「俺、そんな勇気無いですよ。それでどうでした?」 「それでって、そんな無謀(むぼう)な旅、僕がやる訳無いじゃん。」 「な~んだ、おしゃかになったんですか。」 「でも僕は、ってことは・・・凄ーい、運転手さん、その旅に出たんですね、で、どうだったんですか?」 「結果、現在タクシーの運転手、夢敗れてナントカとは、良く言ったものだ。」 「・・・なんか違うような。」 「国破れて、だよね。」 # ハハハハ・・・ 「でも、僕はその心意気に感動しました。自分の力は、自分で決めるのではないですよね。よく、自分のやってることを自慢げに語る人がいるけど、他人からお世辞じゃなく、本当に認められてその価値が判(わか)るんですよね。見ず知らずの人が、自分の演奏にお金を払ってくれるか確かめる、良い話でした。」 「そうかなあ、夢の無い話で、迷惑じゃなかったかな。まあ、独りのオッサンの青春の1ページだった訳さ。」  タクシーは、走り続ける。田上の家からは、もう随分と離れた。 # ブオオオオオ・・・  やがて、市境を越える目印となる古びたトンネルに差し掛かっていた。c477d26b-b044-44be-a4e2-4fe1ccc62161 # アハハハ・・・ 「それでどうしたんですか?、その人は。」 「そいつは就職もせずに、部室に寝泊まりし始めたんだよ。学業から卒業はしたが、学生生活から卒業出来なかったんだよな。」 「ああそうだった、そうだった。」 「そして何日かして、なんとそいつの両親が捜しに来たんだよ。まあ、真面目に大学まで通わせた子供が、いきなり雲隠れ(くもがくれ)したんだもんな。そいつは、機材小屋に隠れていたんだ。その前で、母親が部員達に、縋(すが)るように居所を聞いていたんだって。‘何か悪い団体に入ったのではないですか、知っていたら教えてください。’ってね。部員達もどうしていいか分かんなくてさ。誰が本当のことを言い出すか、お互いに様子を伺っていた。そしたらいきなり、部員の一人が資材小屋のドアをガガっと開けたんだよ。お前の為に、なんで俺達が苦しまねばならんのかって思ったんだな。」 「そりゃそうですよね。高橋先輩が、そんなことやったら、僕が直ぐに両親に突き出しますよ。」 「お前、俺を先輩として見てね~な。まっ、そんなことは分かってるからな、それで、どうなったんですか?」 「そいつが、ころころと転がり出て来たんだ。丸くうずくまって、そいつは暫く(しばらく)横たわっている。父親が、お前はなんて奴だってどやしつけ始める。すると、そいつは開き直ったのか、仁王立ちになってこう言ったんだ。 ‘お父さん、お母さん、僕は、もっと勉強したいんだよ。’ってね。」 # アハハハハ・・・ 「まったくしょうがないよね。」 「僕も卒業する頃、そうなちゃうのかな。」 「学生時代が、本当の自分の時代だって思ったらやばいぞ。」 「本当ですか?、脅かさないで下さいよ。」 # アハハハハ・・・
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