天才なりの生活感

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天才なりの生活感

「ところで、さっきの家は、昔ながらの随分とレトロなお宅だったね、誰かの田舎の家なのかな?」 「いえ、あの家の持ち主は、私達の知っている方の自宅なんです。残念ながら最近亡くなられたんです。それで、皆で忘年会がてらその方を偲(しの)び、語り合おうと集まったんですよ。」 「そうか、それはご愁傷様(ごしゅうしょうさま)な、そうやって知人が集まってやれば、故人も喜んでいることだろうね。和や君達が知っているとなると、音楽をやってた人なのかな?」 「弘行、驚くなよ、その御方は、あの‘田上尚正’なんだよ。」 「ええっ!」 # グオーン  タクシーが突然蛇行(だこう)した。 # キキキキ~  車内が大きく揺れ、運転手はブレーキをかけ、その場に一時停止する。対向車線の路肩まで突っ切ってしまった。 # ブルブルブル・・・  乗車の皆、息が詰まる思いにさせられ、冷や汗をかいている。 「ご、ごめんなさい、皆さん、大丈夫ですか?」 「か、和さん。突然そんな事言っちゃ駄目ですよ、危なかったじゃないですか。」 「全く思いも寄らなかったんで、動揺しちゃいました。」 「弘行、皆、ごめん。こんなつもりじゃ無かったんだけど、運転中に驚かすなんて軽率だったよ。」 「30年振りに聞く、伝説のアーティスト・・・田上尚正か、彼は忽然(こつぜん)と姿を消してしまったんで、ヨーロッパの辺境地とかでひそかに暮らしているのではないかと噂話を聞いたことがあるくらいだったからね。こんな間近に住んでいたんだ、で、どういう経緯(いきさつ)で知り合いになったんだ、和?」 「僕も、日本にいたなんてびっくりしたよ。しかも、君が言うようにこんな近隣にね。僕の店にひょっこり現れたのが始まりなんだけどね。名前を言われなければ、ただのギターを趣味にする洒落た格好の年配者にしか見えなかったよ。この子達の部活の仲間で、西條君という子がいるんだけどね。ある日、その子が店に遊びに来て、新入荷のギターを試奏していたんだ。すると、俺のギターのペグがないかって、注文に田上さんが来店して、たまたま試奏していた西條君に興味を持ったんだ。僕が部品があるか店の奥に行って戻ってきたら、西條君が田上さんにセッションを申し込んでいたところだったんだ。」 「へえ、東洋の奇跡が認めた子なんだ。それにその子も、余程腕に自信があったんだろうな。なんせ、世界最高のギタリストに腕比べを挑んだんだからな。」 「いや、その時、彼は田上さんを知らなかったんだ。」 「そうか、だろうな、それで和は、田上さんの演奏を見たんだよな?」 「ああ。」 「凄いな、羨ましい、それで、どうだった。」 「どうしたも、こうしたも、僕はもう感動するばかりで、神がかった演奏に自分の感覚の総てがそこに吸い取られてしまったよ。今でもあれは幻覚(げんかく)だったんじゃないかと思うくらいだ。例えプロ級の腕前であっても、マサちゃん、西條君のことだけど、彼も途中で弾くのを止めて茫然(ぼうぜん)としていたよ。とにかく、この神の旋律を解明する話は、今手短かに語れるようなものじゃない。何せ、話の流れは田上さんの母からなんだ。それは今も謎を解く道筋を探しているんだけど、行先の糸口が見えないんだよ。僕も成り行きを凄く気にしている。でもいつかは、彼(雅章)が全てを完結させるだろう。そうなったらゆっくり酒でも飲みながら、とくとくと話してあげるよ。」 「そうか、随分とスケールが大きそうだな。楽しみにしてるからな、必ず話してくれよ。」 「でも、和さん、ギターにあったホセさんの記述は、本当にびっくりしましたよね。」 「ああ、本当、本当、尚子さんの生涯の話を聞いた後だったんで、頭の中がぐちゃぐちゃになってるよ。暫くは、迷宮(めいきゅう)から出れなさそうだよ。まあ、一番困惑しているのはマサちゃんだろうけどね。」 「先輩、大丈夫かな。」 「そうよね。」 「あの~すみませんが、お客さん方、私の知らないお話で盛り上がっていらっしゃいますが、最初にどちら様の所へ行けば宜しいでしょうか。」 「アハハハ、すまん、すまん、弘行、仲間外れにするつもりじゃなかったんだけどね。」 「まっ、良いですけどね、タクシーの運転手は、お客様の車内での会話には、関心を持たないことが鉄則ですから。」 「和さんも、運転手さんも、子供みたいですね。」 「男は、何歳になっても少年なんだよ。」 「それって、そんな時に使う言葉なんすか?」 「まあ、深く考えないで。それじゃ先ずは、カヨちゃん宅からだ。」 「ハ~イ、お願いします。」  市街に入ったタクシーは、佳世子の自宅の方角に足を向けた。 # ブルルルルル・・・  夜中とはいえ、現代は時刻に関係なく街中は明るく、活動を止めない。  人が快適にしようと造り上げたはずのこの社会は、今度はその社会の動きに人が合わせていかなければならなくなった。はたして何処で心を休め、身体を癒(いや)していけるのだろうか。落ち着かず、気ぜわしい暮らしぶり。確かに、我々の生活は、物質的に豊かにはなった。それが、人にとって一番幸せなことなのだろうか。  その頃、田上の家に残った雅章は、書斎に布団を敷き眠りにつこうとしていた。 『テレビやラジオも無いんだ。娯楽の無い生活環境に、寂しさを感じることなかったのかな。まあ、俺達凡人と違って、天才は天才なりの生活感があったんだろうな。奥さんは居なかったのかな。どうも独り暮しのおっさんのイメージも無いんだよな。この家の雰囲気(ふんいき)も、何となく誰かと暮らしをしていたような感じがある。田上さんは、小まめに掃除や洗濯をやりそうに見えないしな。身の回りを世話する人が居たとか・・・俺、何でこんなこと考えているんだろう。これじゃあ、芸能人の生活ばかり気にしている巷(ちまた)のおばさんと同じじゃねえ。それが分かったとして、奇跡の演奏を解く糸口になるのかね。』  冬の夜が更けて来ると、この様な昔の木造の家屋は、芯から冷え冷えとしてくる。寒さに弱い雅彰も、相当こたえているようだ。 『海の近くとはいえ、冬は暖房が無いと、やっぱ寒いな。部屋の暖房器具は、座敷にある石油ストーブだけか。さすがに寒いから、押入れを物色して見つけ出したよ。懐かしの湯たんぽだぜ。小さい頃、祖母ちゃん宅に泊まった時、布団に入れといてもらったのを思い出すな。田上さんは、俺と同じく痩(や)せた体型だったから、冷え症だっただろうな。ん~、何だかこのじんわりとした暖かさが気持ち良くなってきた。もう布団から出るの厳しいな。寝る時は、ちゃんと前もってトイレに行くことが鉄則(てっそく)だよな。』 # ・・・・・・ 『物音ひとつしないこの静けさ。ずっとそこに居ると時間感覚が、麻痺(まひ)してしまう。独りで眠ることへの不安は無かったのだろうか。いや、田上さんが此処でずっと暮らしていたのは、世間の時の流れを忘れたかったのかも知れない。街中の明るさや騒音に慣れてしまった俺達は、便利さを追求していった現代文明に毒されてしまったんだ。』  そんなことを思っていると、刻々と時間が過ぎ、次第に眠りに入って行った。暗い闇に、自分が居ることも忘れていく。眠りは、深くなった。cf6d73b8-4470-443d-84d4-2ab9945d0299
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