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同じだな
『!!』
心臓の鼓動が、脳に直接感じる程の驚き。
低いトーンで物静かな口調は、確かに聞き覚えがある。雅章は空かさず後ろを振り向くと、確かにその人である。
「田上さん!」
名前を言うだけで、慌てて何を言えば良いか分からない。その喜びは山ほど感じるのに。
『これは、現実ですよね?・・・いえ、夢や幻でも構いません、再会できて、もう感激です、本当に嬉しくて嬉しくて。』
田上は、何も言わず微笑んでいる。雅章は、夢中で指で示して、この状況を確認しようと言葉をかける。
「あそこで舞踏演奏していらっしゃるのは、お父さん、お母さんですよね。尚子さん、ホセさんですよね?」
すると田上は、至って落ち着いている様子で、ゆっくりと返事をした。
「ああ、そうだよ。」
もう自ら抑え切れない興奮と感激で、涙が溢れ出ていた。
そのようなところを絶対に見せたくない性分(しょうぶん)なのに、もう、幼子(おさなご)の様に素直な気持ちで嬉しいのである。そして、とにかく思いの丈(たけ)を言葉にし続ける。
「今、僕は、貴方の演奏、表現を理解しようと必死なんです。その才能がご両親から引き継がれていることが分かりました。お気持ちや考えを、直に皆さんから聞きたいんです。皆さん達が、表現しようとしたものとは、お互いが結びついているとはどういうことか?、そして伝え合っているものとは?、そしてそして、何故僕を選んだのか?、話してもらいたいんです、分かっていただけますか?」
すると、田上は再び返事をした。
「ああ、分かっているよ。」
「それじゃあ、一緒にお二人の下へ向かいましょうよ。愛おしい子が尋ねてきたんです。きっと大喜びですよ、さあ行きましょう。」
雅章の喜びは頂点に達していて、再び目線をそこに向けてみると。
『!!』
そのとたん、言葉が出なくなり、熱い心が凍りついてしまった。
『いない・・・。』
# ザザザ~・・・
そこには美しい砂浜が続く海岸がのびており、人影などないのだ。
『そんな・・・。』
そしてまた振り返ると、懼(おそ)れた予感が当たった。田上の姿もなく、そこにも美しい海辺が見えている。
# ザザザ~・・・
「田上さん・・・どうしてなんですか?、何か気に障(さわ)ることをしましたか?」
# ザザザ~・・・
「ちくしょう!、ちくしょう!、どうしてなんだよ!、お願いです、俺に何が必要なのか教えてください!、何をすれば良いのか教えてください!、夢でも幻でも構わないです。教えてください!、お願いだから・・・」
# ザザザ~・・・
雅章は心の底からその場で叫んでみたが、その声は風景の一部の様に、繰り返し打ち寄せる波のざわめきに溶け込んでいった。
# ザザ~ ザザザ~・・・
「・・お願い・・だから・・教えて・・・」
~~~~~~~
田上の家に、朝日が当たっている。
雅章は、雨戸の隙間から漏れて来る陽の光に気づいた。眠りから目覚めたのだ。
『・・・あれ。俺、やっぱり眠っていたのか。そして、泣いていたんだ。』
枕元の辺りが、濡れていた。
# コポコポ コポコポコポ・・・
その日、田上が愛用していたのであろうコーヒーメーカーでコーヒーを淹れて、昨日夕飯の食材と共に買ってきたパンやサラダで朝食を取った。
# ザクザク ザザ~ ザザザ~・・・
それから、やはり浜辺へと出掛ける。ひょっとしたらという、淡い期待など無いと言ったら嘘になる。
『やっぱりそんなこと無いよな。』
少し淋しさを感じたが、夢の中とはいえ再び田上に逢えたことに凄く満足していた。そして、手紙に語られていた通り、美しい海辺にも満足していた。
『卒業旅行は、ギター修行も兼ねてマルベーリャを訪れてみよう・・・なんか俺、同じこと言ってるな。』
暫く、とぼとぼと浜辺を散策した。
『気を紛らわすには丁度良いかもな・・・よし、帰るか。』
これから田上の家でやることは決めている。
『家の掃除と、これから与えられるフェスティバルの課題曲を音合わせ出来るまで完璧にマスターしていくことだ。』
雑木林の小路を歩いて行くと。
『・・・あれ?、家の前に誰かいるぞ。』
雅章が戻って来るところを待っていたのだ。
「なんだ、お前、どうしたんだ?」
「えへへ、また来ちゃった。」
立っていたのは、照れ臭そうに笑っている佳世子だった。
それから、数週間が過ぎた。
「カヨ先輩、このところ毎週末は田上邸ですね。」
「ああ、もう通い妻だな、ありゃ。この前父親の車でスタジオに来てたよな。これから練習終った後、向かうんだってさ。まあ、帰りの心配しなくてすむからな。」
「ええ、なんか食べ物とか日用雑貨とか色んな物積んでましたよね。」
「親が心配する余地無しか。新婚主婦の買い物かと思ったよ。」
「アハハハ、新婚主婦ですか、聞かれたら首絞められますよ。マサ先輩も全く学園に顔見せなくなってしまいましたけど、どうしてるんすかね?」
「あいつ単位ヤバイんじゃないかな、留年するつもりか?、下手するとお前より後に卒業するかもしれんぞ。」
「ええっ、そうなんですか。そうなったら、中退するんじゃないですかね。」
「それは俺も分からんが、何しろ越える壁がデカ過ぎる。そのことで現実のことなど全く考えられない状態なんだろうな。」
「そうですよね、あれから少しでも何か分かったんすかね。」
「ん~、和さんが言う通り、一筋縄では無理だろうな。いくらあいつがプロ級の腕でも、俺たち凡人の世界での話だ。俺だったら、放ってどっか行っちゃうかもな。それをやらないだけでも頭が下がるよ。」
「天才的演奏の再現ですよね。」
「ああ、自ら買って出たとは言え、最初はマサも、どれ程困難か分かっていなかったろう。でも手紙の意味が、少しずつ分かってくるにつれ、厳しい練習などで克服できるものじゃないことが見えてきた。超人的な感覚と劇的な経験に培われた演奏か。それが田上さんの才能といったらそれまでだよな。マサを気の毒だと思うよ。」
「田上家の人達は、本当に先輩が受け継げる者だと思っているんですかね?」
「そうだよな。でも田上さんに選ばれた者ならば、そう信じているんだろうな・・・目標の大きさに苦悩する男。」
「そして、それを支えようとする女性ですよね・・・同じですよね。」
「ああ、同じだな。」
「そうですね。高橋先輩も、マサ先輩から届いた手紙のコピーを読んだんですよね。でも、本当にそうなる訳無いですよね?、だって、1年やそこらじゃなく、とんでもなく長い年月の話ですよ。」
「ああ、マサはともかく、カヨは待っていられないだろうな。確信の無い挑戦だからな。」
「そうですよね。」
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