名曲の間

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名曲の間

********************  第2次世界大戦が終わって、十年もの月日が過ぎた。  枢軸国(すうじくこく)の進駐の時代は終わり、もはや戦後ではないとの言葉通り、空襲による荒廃していた町並みは次第に再建され、ほぼ敗戦後の混乱は解消していた。それに呼応するかのように大型の好景気によって、我が国は、社会、経済が今まで経験したことが無いほどに活気を帯びてくる。10%を越える経済成長率時代の到来。若者達は、憧れと希望を持って、都市部へと働き口を求めていく。この主要都市の急激な人口の集中は、現在の日本の礎(いしずえ)となった。未だ生活は貧しかったが、欧米諸国流の文化的生活に憧れ、人々は懸命に働いた。三種の神器といわれる、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビ受像機のあることが居住の理想。パンやミルクなどへ食生活を洋風化し、映画に出てくる俳優達の格好を真似し、言葉に外国語の単語を使うことが流行(はや)る。反面、急激な工業化、都市化は、環境破壊や混沌(こんとん)とした社会困惑も引き起こした。いすれにしても、この著しい物質的豊かさへ向かう経済社会の変革は、世界を驚かせるほどの躍進(やくしん)であることは確かであった。29dcdc03-80a0-4df5-8d68-a6f12d83fcff  そんな社会事情の中、田上の旅館の生活では、昔からのいつも通りであった。時代の大きなうねりも、地方の片田舎では、奥深い入り江により湾内が静かになっている様に、あたかも異国の話のように噂に聞こえてくるだけである。尚正は成人し、将来旅館の主人として運営のノウハウを少しずつ尚佐から教わっていた。しかし彼自身は、未だ色々と遊びたい多感な青年である。  この時代は、欧米でも今までに無かった社会の変化が始まっていた。ティーンエイジと言われる若者の世代が、社会に対して自分達の意識を示すようになる。今までの制度や慣習に囚(とら)われない考えや意志に基づいて、自身のスタイルで表現し、行動するというイデオロギーが現れ始める。それは、社会の様々な分野で見受けられ、特に芸術、音楽、ファッションや生活スタイルでは著しいものだった。大人達が理解できないこの世代の感受性をテーマにした映画が作られたのも、この社会的風潮を物語っている。そうしてこの若者達の社会に対する覚醒(かくせい)は、世界全体に浸透していく。総ての社会的しがらみから自己を解放するために、自然と平和と歌を愛し、人間として自由に生きようとする価値観に繋がって行くのである。日本においても、昭和初期の頃の様に、再びジャズやブルースが流行りだす。そして更に、新しいジャンル、リズムアンドブルースやロックンロールが海を渡ってくる。それは、映画の安定した人気とテレビ放映の開始や民放ラジオの急増もその拡がりを助長する要因となった。  F市の町のとある映画館。  好江が親族の女の子達を連れて、話題の外国映画を観に来ていた。映画の内容は、ある国の王女が各国を表敬訪問中、王族の古いしきたりや慣習が嫌になり、不自由な生活から逃げ出そうと滞在中のホテルから抜け出してしまう。そして、ある若い新聞記者が偶然に王女を本人と知らず、自分の宿泊部屋に泊めたことをきっかけに繰り広げられるラブストーリーだった。c7d983c9-b929-4c49-a7a8-6a9c207d5c06 「面白かったね。好江姉さんが、女ばっかしで観に行こう言うたのが解ったばい。恵海ちゃん、外国の映画やし、ちょっと大人の映画で難しゅうなかった。」 「大丈夫やったよ。字幕が読めない漢字があったよ。ばってん、お話は良く解ったよ。」 「ふ~ん、それでどげんやった。」 「王女様が嘘やと分かってて、男の人が真実の口に手を噛(か)まれたふりばした時、一緒になって慌てるところが凄い可愛かったよ。私も好きな人がそうしたら、そうなるとやろうね。」 「えへへ、大人やね。私がその歳位の時は、恋しいとか好いとうとか全然無かったもんね。まあ、戦争が終わって食うことばっかり考えとったしね。こげんか田舎に、この乙女心ばワクワクさせる映画の俳優のごたあ良か男が居る訳無かったもんね。」 「うそうそ、よう言うばい、あんた、ずっと尚正ちゃんのことば好いとう癖に・・・ほら、もう顔が紅こうなった。」 「ん、もう、からかわんどいて。」  順子は、好江の嫁ぎ先の娘であった。夫の末の兄妹であり、隣町にある高校に通っている。尚正は、近隣の町や村ではその名を知らぬ者は居ないちょっとした有名人となっていた。目鼻立ちのはっきりした異国人の容姿、凄腕のフラメンコギター演奏、魅力溢れる青年に、当然、若い女性達の間で意識しない者はいない。新しい欧米の流行りものが様々なメディアで入り始める時代となった。映画や音楽などに出演する俳優やアーティストを画面や雑誌でよく目にすると、取り分け、そのような風潮に敏感な年頃の子達にとって、尚正はアイドル的な存在であった。 「それはそうと、恵海ちゃん。今度の演奏会で、フラメンコば踊るって聞いたばい。凄かやなかね。」 「そんな大袈裟(おおげさ)なことや無いとよ。それに踊る時間は、ちょっとだけやし。フラメンコの中でも一番き易かとやけんね。」 「ばってん、ずっと前から練習しとったもんね。おめでとう、それでお披露目は、いつになるとね?」 「今度の木曜日になるとよ。」 「そう、絶対行くけんね。」 「ありがとう。」  3人は、わいわい喋りながら映画館を出てくる。 「順子ちゃん、別に改めて言わんでも、何か特別の用事やなけりゃいつも観に行きようやないね。さては、そう言うて良か席ば予約しといてもらおうと思うとるね。どげんか服で、どげんか髪型で行こうか、もう頭ん中いっぱいやろ?」 「もう、私はそげん邪(よこし)まな考えなんか無かよ。恵海ちゃん、純粋に応援しとうけんね。そういえば、この先に新しい純喫茶が出来たけん行かんね。ミルクコーヒーが凄く美味しいとよ。」 「ほんと?」  恵海は、喫茶店に入ったことが無かったので、目を丸くして興味を示した。その表情をしっかりと見ていた順子は、話を広げる。 「それにね。ドイツからわざわざ取り寄せたバームクーヘンって言う丸かケーキがあるけん、一度食べてみたかと思ったとよ。店には私の好きな俳優のポスターがあってね、面白か婦人雑誌や恵海ちゃんの大好きな漫画も置いてあるよ。」 「本当?、好江姉ちゃん、行こうよ。」 「順子ちゃん、恵海ちゃんば使って、おごって貰うつもりやろ。私は、良か席ば取りたかけん恵海ちゃんの分は出そうかね。」 「ええっ、そんな、お姉様の意地悪。」  そうして、お披露目の日がやって来た。  尚子が亡くなった後、蓄音機のある部屋は増築され、20人程も着席できる談話室に改装された。‘名曲の間’、そう題されたこの憩いの場所は、室内の床は幅広のデッキ、壁から天井までスタッコで仕上げられ、趣のある燻(いぶ)された剥き出し梁(はり)が見える小屋組など、南欧風の内装であった。そして、何処かは判らないが、外国の海辺や町並みの写真や映画のポスター等が張られてある。普段は、コーヒーや紅茶などを用意し、レコードをかけ流しにして、来訪した客達の会話や読書の場所としている。更に可動式の間仕切を取ると、奥座敷にまで間取りを拡張できるようになっている。
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