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愛らしい踊り子
# ワ~ パチパチパチパチ・・・
歓声と拍手の中、尚正は、スタンドにギターを立てるとゆっくりと立ち上がり、丁寧に一礼する。
# パチパチ・・パチ・・×
拍手が鳴りやむと、観客達に開催の挨拶を述べる。
「御来場の皆様方、これまでのご静聴、誠にありがとうございます。さて、冒頭の挨拶で祖父、尚佐が申し上げました通り、これから僕の妹、恵海(めぐみ)の舞踏が加わります。初めてお越しになられた方もおられると思いますけん、ここで少し説明ば致します。フラメンコというものは、遥か西洋のスペインという国で生まれた民族芸能です。昔、その芸能を生み出したと言われる人々は、スペインに移り住んで来たため、流浪(るろう)の民として迫害を受け、虐(しいた)げられました。その怒りや苦しみ、悲哀、また恋への情熱、生きる喜びといった感情を音楽や舞踏に表現をしたのです。ですけんフラメンコが目指すところは速さや上手さというより、味わいとか趣(おもむき)なんですばい。恵海の舞踏は、とても母には及ぶものではなかとですが、フラメンコの意味を少しでも心掛けて、自分の思い描いたことを表すように練習させましたけん、それが伝わればと思うとります。かつて母は、華族の方達の前で、父と母は演奏と舞踏を披露し、絶賛されたと聞いとります。それは、神の成せるが如き音曲の幽玄(ゆうげん)さ、天女が空を舞うが如き踊りの優美さと。その時を想像しながら演じてみたいと思うとります。この度は、皆様方が華族の方々です。戦前の古き良き時代を思い起こして、披露してみるとです。それでは初舞台の踊り子が登場します。」
“恵海ちゃん、頑張って!”
“応援しとるけんね!”
「ありがとうございます。」
再び尚正はゆっくりと椅子に座って、スタンドのギターのネックを左手で掴むと、持ち上げて抱え直した。そして、素早い弦の調律にはいると、会場の照明が後ろの方から次第に落とされて行く。
♪ ♪ ♪ ♪♪♪・・・
調律が終わる頃には、総ての明かりが消え場内は真っ暗になった。やがて舞台の照明だけが灯されると、素晴らしい舞踏演奏を期待する拍手が沸き上がった。
# ワ~ パチパチパチ・・・
演奏の再開。
冒頭からラスゲアードとゴルペの応酬する賑やかな演奏が始まった。その陽気で軽やかな聞き取り易い調子の曲種は、セビジャーナス。
♪ ♪ジャン ♪ジャンジャン♪ ♪~♪・・・
すると、談話室の出入口から、小気味良く鳴らす打音が聞こえる。
♪ カラカラ カラカラカラカラ・・・
再び、割れんばかりの拍手と声援が飛び交った。
# ワ~ パチパチパチ・・・
パリージョというカスタネットを鳴らしながら小さな踊り子が登場して来る。バイラオーラ(踊り子)、恵海である。
顔には、妖しく大人びた化粧を施している。艶やかな乳白色のブラウス。大きく裾が広がったフラメンコスカート。その姿だけでも、観客達は大いに魅了される。
♪ ♪ジャガジャガ カラカラ ♪ジャン カラカラ ♪♪・・・
会場は、華やかな雰囲気、観客達の熱い興奮で包まれている。
力強さは無いものの、カタカタと可愛いらしく踏み込むサパティアード。ブラッソも子供の細い腕で、ぎこちない様子ではある。しかしそこに、尚正の機転の効いた巧みな演出が施されていた。その未熟な舞踏部分を逆手(さかて)に取り、兄妹同士が息を合わせ仲良く演舞している姿として見せることで、観客達の心を捕らえていた。
♪ オレィ、オレィ ビエン オ~レイ・・・
ハレオという粋の良い掛け声を、曲の調子に合わせて放つ。その掛け声に合わせて、恵海は踊りの調子を合わせている。尚正も呼応して、演奏に抑揚(よくよう)を付けている。舞踏と演奏の呼吸がしっかりと合っていれば、自ずと全体のバランスが整い、素人の発表会を観る時の様な不安感は、全く無くなる。正に、専門家の舞踏演奏を行っていたのである。
“愛らしかね~”
“見事、見事!”
殆どの観客達は瞬きもせず、感嘆し、声をそう漏らしている者もいた。この時、特に3人の観演者は、過ぎし栄光の日々の情景と重なり合わせていた。
世界にも通用するホセと尚子の記憶。
神懸かりな技術に裏付けられた演奏。天性の才能で変幻自在に繰り出される舞踏表現。今、演奏演舞する2人の子の姿は、夢の実現を目指した過去から未来への掛橋となっていた。まばゆく輝いていたあの光は、消えてはいなかった。もう涙が止まらなくなっていた。その1人は、当然、尚佐。そしてもう2人とは、北畠と新田である。
♪ ♪ジャンジャガ オレィ ♪ジャン ♪・・・
鳥達や小動物達には、眠りにつく妨げとなってしまっていることだろう。演奏への歓声と拍手は、旅館の外でも良く聞こえるほどで、鳴り止まなかった。
# ワ~ パチパチ ワ~ワ~・・・
そうして、全ての演奏の項目が終了した。
「本日は、最後まで観演してもろうて、誠にありがとうございます。夕刻からお付き合い頂いて、さぞかし空腹のことやと思います。ささやかですが大広間に食事と飲み物を用意しましたけん、宜しければ召し上がってってください。それではこれで、本日の演奏会ば閉会とします。」
尚佐の挨拶が終わると、再び舞台の袖から尚正と恵海が登場する。またの開演を要望することを込めて、惜しみない拍手が贈られる。
# パチパチパチパチ・・・
”良かったばい!“
“また次の会にも来るけんね!“
演奏会の興奮が未だ冷めていない様で、観客達は、観演した感想を思い思いに語り合いながら、順次退出していく。
”私は、第1回からずっと欠かさず来とるけんね。筋金入りの応援者ばい。”
”第4回の時の尚正さんの演奏は、良かったばい。アルハンブラ言う曲でね。胸がキューっとなったとよ。”
”そうそう、その後の曲も良かったよね。”
”お母さんの踊りって、どげん凄かったとかね。”
そのような話が、あちこちから飛び交っている。
「御来場の皆様、御忘れ物の無かごとお願いします。出入口に近いお客様から順に、御退出下さい。先程、当館の主人が申しました様に、大広間に食事を用意しましたので、宜しければお越しください。」
尚佐が、観客達の退出して行くところを見送っている最中のことであった。
「田上さん、お久しぶりです。お孫さん達は立派に成長されて、嬉しい限りですよ。栄光の火は消えず、ですよ。しっかりとホセさん、尚子さんの才能を受け継がれておられますね。」
その声は、背後から聞こえて来る。そんな台詞(せりふ)は、過去を知る者だからこそ言える言葉であった。
『!!』
尚佐は、驚いて背後に振り返ると、そこには立派な身なりの3人の紳士が立っていた。
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