太平洋戦争の記憶

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太平洋戦争の記憶

 戦争は誰も幸せにならない。それを誰もが分かっているのに人間は簡単に戦争を始めてしまう。そんな戦争の影は平凡に暮らしていた私にも忍び寄って来ていた。  高等女学校を卒業した私は安曇重工という会社の事務員として働いていた。その会社で帝国大学を首席で卒業して戦闘機の設計をしていた正一さんと出逢い一年前に結婚して今は妊娠三カ月だ。  その時代に産休なんて制度は無かったから、私は妊娠後もそのまま働いていて、陸軍から安曇重工への命令に従って、木更津で軍需装備の生産に携わることになった。これには高等女学校の生徒が動員されていて、彼女達の作業指導や管理が私の仕事となっていた。  私達が生産していたのは風船爆弾。和紙を重ね合わせて作られた気球に爆弾と焼夷弾を搭載して、直接アメリカ本土を攻撃する兵器だ。動員された女の子達は昼夜問わず十二時間の交代制で作業に当たっていた。
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