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第三話 聖女はどこかのなにかを求めていた
三日前に話をもどそう。
イライザは裁判のあと王宮にもどることはなく、裁判所の裏口から馬車に乗り西の国境に向かった。このとき彼女が持っていたものは馬車代にしかならないわずかな現金と着古されたその礼服だけだ。だというのに、馬車から街を眺めながら、彼女は聖女であった時と何一つ変わらない微笑みを携えていた。
(ああ、これでメイソン様はわたくしから解放されたのですね……)
イライザの生まれはサリゾノリア北東に位置するバリスリアという田舎町だ。
彼女はその街の町長の娘として生まれた。陽を浴びると白銀に輝く色素の薄いブロンドの髪は母譲り、知性を感じる深い紫色の瞳は父譲りの天使のような子どもだった。彼女は幼い頃から聡明かつ心優しい娘だった。
彼女は生まれたときから常に『黒い靄』が見えていた。その靄は普段は空間に漂っているだけなのだが、稀に生き物を含めてなにかに付きまとうことがある。そうすると付きまとわれたものは壊れてしまう。生き物であれば根拠のない悩みや痛みを覚えるようになり、心を壊して死んでしまう。彼女がその靄の法則に気が付いたのはまだ六歳の頃、彼女のナニーが自殺したときだった。
それ以来、彼女は一人で黒い靄を散らす方法を模索した。そして靄を散らすには、はっきりと靄に『ここからいなくなれ』と告げることが必要だと気が付いたのは、彼女が九歳のときだ。
そのときに彼女は両親にも言えなかった靄のことを、親友に打ち明けた。親友はそれを信じ、そして彼女を支えることを約束した。イライザは親友の支えもあり、靄につきまとわれているものを見つけては祈りで散らし、街の平和に影で尽力し続けた。この頃は、街は平和でイライザも幸せだった。
しかしイライザが十五歳になった日、一晩のうちに黒い靄の数が異様に増えた。
あまりにも多く、イライザの目には朝が来ても夜が続いているようだった。イライザは必死に叫びまわり、なんとか街の靄を解くことはできたのが……翌日に『大災害』--サリゾノリア全域に大きな地震が起きたのである。それはそれは、恐ろしい地震だった。
突然の災害により国全体で多くの被害者が出ることになった。しかし、バリスノアだけは全く被害者が出なかった、奇跡的に……しかし奇跡とは噂で広まるものだ。それがきっかけで当時の王に彼女の能力が伝わることになった。王は彼女の能力こそが被害を遠ざけたと判断し、彼女を――王宮に連れ去った。
王は拉致をしたことを謝ることはなく、しかし彼女に頭を下げ、願った。
『この国を、……息子を救ってほしい』
皇子は当時の婚約者を大災害で失った。しかし彼は皇子であり、国の一大事の中で背負うべき大きな責務があった。だからこそ生真面目な彼は嘆くこともせずに責務にあたり、心を壊しかけていた。……彼だけではない。国中、そんな人に溢れていた。
イライザは拉致されたときに初めてバリスノア以外の惨状を目にしていた。だからこそ彼女は王の願いに頷いた。
王は黒い靄を『呪い』と名付け、彼女の言葉を『祈り』と名付け、そしてイライザを『聖女』にした。そうしたことによってすべては『呪い』のせいであり、それは『聖女の祈り』によってとけるもの、と民は認識したのだ。
実際、イライザの祈りによって黒い靄……呪いは解けていった。イライザは国中をわたり、呪いの全てに『永久にサリゾノリアに近づくな』と祈り、追い出した。それでも呪いが原因でないものはイライザには解くことはできないが、それでも彼女は必死に祈った。その行いは民の慰めとなり、結果として彼らの心が癒されることもあった。
大災害から三年後にはサリゾノリアからは黒い靄が全て消えていた。
それでも民は聖女を求め、そしてイライザは祈り続けた。その頃には彼女のその行いが他の人の慰めになることを彼女は理解していたからだ。だから彼女は五年間、正しく『聖女』としてあり続けた。
だが同時にサリゾノリアは『呪い』にすべての原因を求めたが故に、弱くもなっていた。
『聖女さえいれば』という他力本願な風潮が広がり、それは国民一人一人の成長を妨げ始めていた。その中でも特に公私ともにパートナーとなっていた第一皇子メイソン・サリゾノリアにその傾向が見られた。元々はだれよりも勤勉で、だれよりも国のことを考えていた彼だったが、五年の間に、まずイライザありきに物事を考えるようになってしまっていたのだ。
大いなる力は非常時には役に立つ。けれど日常においてはバランスを壊すだけの爆弾だ。
そのことを問題視したのは王であり、イライザだった。王は自分の死期を悟ると、イライザにまた頭を下げた。
『あなたには苦労ばかりかけて、すまない。……息子のために聖女をやめてもらえるだろうか』
イライザはまた王の願いに頷いた。
『この国のために聖女になったのですから、この国のために聖女を辞するのは当然のことでございます』
こうして……イライザは祈りをやめ、国外追放となったわけである。
(……こうして振り返るとわたくしの人生は、一編の物語のよう……なら最後に真の王が生まれたこの物語はきっと、よいおしまいでしょう……)
彼女は車窓を眺めながら、そのように自分の人生を振り返り、やはり微笑んだ。彼女の目にはもう、この国のどこにも靄は見えず、代わりに復興の進む街並みが映っていた。
(……これから先、メイソン様は王の物語を続けていく……)
国境が近づいていた。彼女は目を伏せると、そこで初めて微笑むことを辞めた。
(わたくしも、……新しい物語を始めなくてはいけない。ここではないどこか、聖女ではないなにかとして……)
そんな覚悟を決めた彼女は国境で馬車から降りると、どこかを求めて歩き、歩き、歩き続け―――――
「……ここはどこでしょうか」
全く覚えのないベッドの上で目を覚ましたわけである。
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