第四話 魔女の黒猫は苦労すると相場が決まっている

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第四話 魔女の黒猫は苦労すると相場が決まっている

 イライザが目を覚ましたのは普段はアマンダが使用しているベッドであるが、もちろん彼女はそんなことは知らない。  そのため彼女はゆっくりと体を起こし、その青で統一された寝具やドレッサーの大量のドレス、手入れされた色とりどりのカツラ、壁にかけられた古い舞台のポスターなどを見て、部屋の主を想像し、ほとんど悩まず正しい答えにたどり着いた。 「……ここはアマンダさまのお部屋ですね」  イライザは姿見に移った自分の姿で、自分の手足に丁寧に包帯がまかれていること、着ている服が礼服ではなく、ゆったりとした黒色のワンピースになっていることに気が付き、『何もかもお世話になってしまったようですね』とため息をついた。  眠ったことで少し思考力が回復した彼女は『どうしてこんなことになったのだろう』とアマンダのことを思い返した。 『アタシ、あんたに恩があるの』 「……恩?」  その言葉に違和感を覚えた彼女は、アマンダと会ったことがあるか、思い出そうとした。しかしイライザの人生の中で女装した自信満々の魔女などというのは、昨日まで全くどこにもいなかった。 「……アマンダさまのような方、一度でもお会いしていれば覚えていると思うのですが……」  彼女はベッドに腰かけ、しばらくの間思い悩み、「もしかして別の方と勘違いされているのかしら」というありきたりな結論に辿りついた。 「でしたら誤解を解いて、御礼をして、出ていくのが筋でしょう」  そこでイライザはベッドを整えてから、アマンダに話をするためにその部屋を出た。  廊下に出ると、床には金糸で縁取られた濃い赤色の重厚なじゅうたんが敷かれ、壁は淡いクリーム色を地に四季折々の植物の模様が入った壁紙が張られ、窓には幾何学模様のかわいらしい装飾がされ、栗木の柱にはサーラント国の伝統的なマルゾーラ様式の象徴であるツルを巻くような装飾が施されている。天井はいくつかの木枠にわけられ、そこに金糸の刺繍の入ったシルクが布張りされている。つるされたシャンデリアの光は柔らかい色をしており、この家の雰囲気をやさしくしている。 「とてもきれいなお家……」  イライザは天井の美しい刺繍にため息をついてから、『そういえば先ほどの部屋も、あれほど物があるのに整理されていました』と思い出す。『アマンダさまは丁寧な方なのでしょう』、彼女はそう考えてから、『ああ、こんなことをしている場合ではありませんでした』とアマンダを探すためにその廊下を歩きだした。  一方、アマンダは、イライザが目を覚ましたことなどには一切気が付かず、彼女の仕事部屋で魔法薬を作り続けていた。 「はあ、……ええっと、これで最後だったかしら? 数が多いのよ、いちいち……まとめて発注しないでほしいわ、こっちは個人事業主なのに! アーン! 次の取引で絶対ぼったくってやるわ、あのせっかち王様!」  相変わらず独り言の多い魔女は、ぶつくさと取引先である自国の王の悪口を言いながら最後の薬を作り始める。と、その背後の扉が静に開き、イライザが顔をのぞかせた。  イライザはアマンダの声を頼りにこの部屋にたどり着いたのだが、このときアマンダは動きやすい作業着にスッピン、カツラもなく刈り上げた頭をさらし、しかも汗が流れないようにタオルで頭を覆っていた。要するに精悍な青年にしか見えない状態だったのだ。  そのため彼女はその男性がアマンダか確信がもてず、話しかけるのを少し戸惑った。 「さあ、集中するわよ、アマンダ!」  そしたらアマンダがそう叫んでしまったものだから、イライザは彼がアマンダであることはわかったが、もう声がかけられなくなった。イライザは他人の都合を気にする性格の女性なのだ。  そのため、彼女はアマンダの邪魔をしないようにそっと部屋に入り、そっと部屋の隅に転がっていた椅子に腰かけて、アマンダの仕事が終わるのを待つことにした。  アマンダはそんな気遣いのできる彼女に全く気が付かなくことがないまま、宙に複数の魔方陣を形成し、ぶつぶつ呟きながら薬草のはいった鍋を混ぜていく。 「ランザスには癒しの力、リーラクラスには闇の力、……馴染み馴染ませ……光を奪え……」  中に描かれた魔方陣に反応するように、鍋からは色とりどりの光がこぼれ、部屋の壁にまで光が広がる。まるで花火のような美しさだ。イライザはそんなアマンダの仕事風景をみながら『なんて幻想的で美しいお仕事でしょう』となどとのんびり考えていた。 「そしてあなたを眠らす薬としよう……『カサルノヴァ』」  アマンダの声に反応するように、鍋の中で、ポン、となにか破裂した。アマンダはそれを確認すると、鍋を混ぜていた木べらを放った。 「はい! できあがり! これを瓶につめて……あら、瓶がないわ。マリー! マリアンヌ、ちょっと来てー! 瓶とってー!」  アマンダが鍋から目をそらさずに誰かを呼ぶと、アマンダの影からヌルりと黒猫が這い出してきた。イライザにはそれが『呪い』の一種であることがわかった。が、彼女は意思をもって動く呪いは初めて見たため、それが悪しきものなのかなんなのかわからなかった。  その黒猫はぴょんととんで壁際におかれた薬品棚の上段にのると、尻尾で瓶を1本アマンダに向かって投げた。  アマンダは黒猫の方を見もせずに死角からとんできた瓶を受けとる。 「ありがと、助かったわー」  礼を言われた黒猫は顔を洗うと、あくびをし、口を開く。 「段取りが悪い魔女だな!」  そして猫は喋った。  イライザは驚いていたが邪魔をしないように静にしようと意識していたため、声をあげることはなかった。そのため猫もアマンダもイライザの存在には未だに気が付かず会話をし始めた。 「そんなに怒んないでよー、つまんない用事で呼んでごめんね、マリー?」 「それは別にいいけど……というか、そのくそださい名前、変えろ!」  猫の声は明らかに男性のものだ。そして猫は雄猫だったが、「なんで? 可愛い名前じゃん」とアマンダに悪気はないようだ。マリーと呼ばれた猫はシャーと威嚇する。 「悪魔を使い魔にしておいて、かわいさなんかいらねえだろ!」 「いるわよ、むしろそれがメインでしょ。よいっしょ! よし完成! マリー、店の焼き印とってー」 「だからなんで準備しておかねえんだよ。てか魔法を使えよ! はい、焼き印!」 「マリー呼んだら魔力切れよ。残ってるのは筋肉だけだわ」 「魔力切れてんのに喰えねえ魂ってなんなんだよ……契約相手完全に失敗した……」 「オーホッホッホッホッ! アマンダさまに死角はないのよ!」   黒猫は不満そうにあれこれ言うが、その動きは俊敏で、的確にアマンダを助けていた。イライザは連携の取れた二人に『なかよしさんですね』などとのんきに考えて微笑んでいた。  彼女は聖女ではあったが、悪魔を見てもそんなことを思う程度には天然だったのだ。 「死角ないってどんな化け物……ん?」  そんな風に優しく微笑むイライザに、先に気が付いたのはマリーだった。  彼はイライザを見て、固まった。イライザはそんな彼に優しく微笑む。微笑まれた彼は会釈をしてから、ぺしんと尻尾でアマンダをたたいた。 「なあにー?」 「……お前、好みドンピシャの小柄で華奢でお人形さんみたいな微笑み系彼女ができたのか?」 「なにその理想彼女、どこにいんのよ。ここにつれてきてよ。幸せにしてあげるから」 「あそ……じゃあ彼女じゃねえのか……焦ったー! お前が悪魔を使い魔にしてるのバレて、フラれて、俺のせいにされるかと思った!」 「そりゃそんな理由でフラれたら荒れ狂うわよ、アタシ。そもそもあんたが勝手に死んで悪魔になったのが悪い……え、待って、なんでそんな話を……?」  ググググ、と不自然な動きでアマンダは振り向き、そしてそこにチョンと座っているイライザを見た。アマンダはヒュ、と息を飲んだ。 「言ってー!!!!!! いたなら言ってー!!!!! 声をだしてー!!!!!! いやだアタシスッピンよ、今!!!! マリー! 布とって!!!!!」 「頭に巻いてるだろ」 「アー頭までスッピンじゃない!!!!! もうやだー!!!! 見ないでー!!!!! ビックリさせないでよ!!!!!! 化粧してくる!!!!!」  アマンダは叫ぶだけ叫ぶとすさまじい勢いで部屋から出ていった。残されたイライザとマリーは視線を合わせ、苦笑した。 「あいつの声のが人を驚かせるよな?」 「フフ、……いえ、あの、ごめんなさい……」 「なに謝る? ……まあいいや。俺はマリアンヌって名前つけられた哀れな悪魔。あいつの使い魔だ。あんたは?」 「イライザと申します」  黒猫はイライザの足元に進むと、上目遣いでジと彼女を見た。 「あんた、妙だな」 「妙……ですか?」 「影が少しもねえ。人なら絶対あるはずなのに」  イライザには影はある。だが、黒猫が指している影はそれではないようだ。 「……呪いのことでしょうか?」 「『呪い』? ……そうか。あんた、サリゾノリアの聖女か。……なるほどな。あの馬鹿……道理で情緒不安定なんだな」  黒猫はなにかに納得したらしいが、イライザにはなんのことかわからない。彼女は立ち上がり、黒猫の前に膝をついた。 「わたくし、学がないのです。自分が追い出した呪いがなんなのか知らぬまま、でももう災害が起きないようにと追い出し続けてきました……その結果、わたくしは一番大切な人を傷つけることになりました」 「……まあ、人間ってやつは大体そうだ。好きな相手ほど傷つける、……あんただけじゃないさ」 「あの、マリアンヌさま、教えていただけませんか。影は、……呪いは、人にはなくてはならないのですか? この靄に付きまとわれている人は辛いのだと、……だから死を選んでしまうのだと、……そうではないのでしょうか? ……アマンダさまは、黒いもやをたくさん連れていらっしゃる。なのに平気なのでしょうか?」  イライザのたくさんの質問に黒猫は嫌そうに目を細める。 「影は、……光があるところにできるものだ。あいつは無駄にビカビカしてるから、そりゃ影も黒くなる」 「ビカビカ……とは?」  黒猫は退屈そうに欠伸をした。 「ちゃんと答えてほしいなら対価がいるぜ、お嬢さん。悪魔は魂と引き換えにならなんでもしてやる。あんたの魂は、きっといい味がするだろう」 「……魂は人に差し上げられるのですか?」 「悪魔は人ではない。俺たちこそが影」  黒猫はにんまりと笑うと、前足を持ち上げた。  その足が、顔が、姿が、まるで氷が解けるように姿を変えていく。黒猫の前足がイライザの頬に触れるとき、それは前足ではなく手のひらであり、それは黒猫ではなく一人の男性だった。  灰色の肌に真っ黒な髪、赤い瞳をしたその男はイライザの頬を触れ、にんまりと笑う。 「可愛いお嬢さん。影を知りたいなら……俺に喰われてみるかい?」  悪魔の唇がイライザに近づいた、そのとき、悪魔の頭に影ができる。その理由は、--悪魔の頭上から、筋肉質な足が振り下ろされようとしていたためだ。  悪魔は「ひにゃ!」と叫び、床を転がり、魔女のピンヒールは床に突き刺さることになった。 「あっぶね! なにすんだよ、ちょっとふざけただけだろ!」  悪魔は、床からピンヒールを引き抜いたアマンダの悪鬼のごとき顔を見て、『やばい』と瞬時に猫に姿を戻した。  彼はあざとく腹を見せて転がる。 「ごめんにゃさい……?」  猫好きなら一発で許すであろうその態度に、イライザは頬を緩ませた。が、アマンダはバキン、と首の骨をならす。 「……『ダグラス一等兵』?」  その名前で呼ばれた瞬間に黒猫は前足で頭を隠しペタンと床に伏せた。それは完全に土下座だった。 「ごめんにゃしゃい! ごめんにゃしゃっ……殺さないでくだしゃい! 『団長』!」  「……次はないわよ」 「はいっ!」 「帰りな」 「はいっ帰らせていただきます!!! 失礼いたしました!!!!」  ぴょんと猫はアマンダの影に飛び込み、そして消えた。残されたイライザはあわてて、その影を撫でたがそれはもうただの影だった。  話を聞けなかったことにがっかりした彼女の二の腕をアマンダがつかむ。 「あんたね! 悪魔なんかに声かけちゃダメよ! 危ないでしょ!」 「……危ないのですか?」 「危ないわよ! 頭から食べられちゃうところだったのよ!? そりゃ二人きりにしたアタシが迂闊だったんだけど! あんたも迂闊よ! 悪魔はダメ!」 「でしたら、……アマンダさまは平気なのですか? アマンダさまも危なくないのですか?」 「そりゃ危ないわよ! アタシも気を付けるわ!」  はっきりと言い返され、イライザは口を閉じた。  イライザはアタンダが『アタシはいいのよ!』と答えると思って、それに対しての反論しか用意していなかったのだ。そういった素直な戦法しか用意できないのが、イライザらしいところでもある。そしてそんなものに引っ掛からないのがアマンダらしいところなのだ。  要するに箱入り聖女が魔女に口で勝つのは無理だということである。イライザはしょんぼりして「わたくしも気を付けます……」と答えるしかなかった。アマンダはその答えにほっと息をつくと立ち上がり、イライザも立ち上がらせた。 「後、起きたんなら挨拶してちょうだいよ。静かにしてないで? 急に現れると驚くわ」 「集中されているようでしたので……」 「仕事よりあんたのが大事、いつでも声かけて」  イライザは優しく笑うアマンダをじっと見て、『やっぱりお会いしたことはない』と確信し、『だとしたらこんな風にしてもらう理由はなにもない』と理解し、頭を下げた。 「……アマンダさま、申し上げにくいのですが、わたくしのことをどなたか別の方と勘違いされていらっしゃいませんか? わたくしはアマンダさまとは初対面です、あなたに大事にしていただく理由はないのです……」  アマンダはパチパチと長い睫をはばたかせてから、「マア! アタシをなんだと思ってるのかしら、失礼しちゃう!」と笑った。 「でもあんたが覚えてないのは無理ないわ、アタシ、前にあんたと会ったときはスッピンだったもの! ンフ、でも、すっごくいい出会いだったからちゃんと聞かせてあげるわ。でもその前に、あんたはお風呂、アタシはクッキーを焼かないとね」 「え、……?」  矢継ぎ早に言われイライザは半分も聞き取れないが、アマンダに背中をとんとんと 押され、部屋から出されてしまう。 しかもそのままどんどん廊下を進ませられてしまう。イライザは慌てたが、アマンダの筋力に逆らう術などない。 「だっていい話をするならちゃんとしないとだめでしょ? ほら、おいで、イライザ。我が家のお風呂は最高なのよ!」 「いえ、そんな、お風呂などお借りできませんっそこまでしていただく理由が……」 「それは後で話すから! ほらほら! お風呂沸かしの呪文は、えーっと……」 「アマンダさまっ魔力が残っていらっしゃらないのではっ」 「オーホッホッホッホッ筋肉があれば魔力は即時回復するものなのよ、沸きあがれお湯! 『フロスゲー』! はい、で、これお着替えとタオルね、中にあるものは好きにつかって! 指の間から耳の裏まで洗うのよ!」  結局、イライザは風呂場に放り込まれた。白を貴重とし金細工が施された風呂場は広く、猫足の浴槽はイライザが五人ぐらいはいれそうなサイズだ。そして壁の棚には様々な、香料や石鹸が置かれている。 「出ていっても、また戻されてしまうでしょうね……」  彼女は自分の手足を見た。爪は汚れで黒くなり、傷だらけだ。いつも整えていた髪もバサバサと指通りが悪い。彼女はそんなみすぼらしい状態の自分は、きっとアマンダさまの美意識が許さないのだろうと判断し、ありがたくお風呂を頂くことにした。  そして彼女はその広くてあたたかいお湯に浸かると、ここ一ヶ月の困難を思い出し、少し泣いた。その声は外に漏れるようなものではなかったし、その心は誰かに伝わるようなものではなかった。ただ彼女は少し泣いて、あとは全てお湯に流したのである。
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