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第五話 そして魔女は聖女と踊る夢を見た
「もし、落とされましたよ……」
三年前、王の護衛としてサリゾノリア国の舞踏会に出席した『ロクサル』に声をかけてきた女性がいた。白銀にかがやく髪をもち、宝石のような瞳をもつ女性は真白の服を着ていた。
彼女は白いハンカチーフで口紅を包みもち、それをロクサルに差し出した。それを見たロクサルは一瞬動揺したが、すぐに首を横にふった。
「……私のものではありません」
嘘だった。
それはロクサルの宝物で、お守りで、願いの象徴だった。幼い頃に観た舞台の女優がつけていたものと同じ口紅。彼の憧れのもの、騎士の初任給で購入してからずっと持ち歩いていたものだ。
捨てられず、でもつけられない。けれどやはりどうしても捨てられない。
それが、ついにポケットから勝手にこぼれ落ちてくれたのだ。ならば拾うまい、そう思ってロクサルは嘘をついた。
けれど、拾った女性は「いいえ」と言った。
「あなたのものですよ」
ロクサルは動揺を押し隠し、また首を横に降った。
「私のような男がこんなものを持っているはずないでしょう。私のものではありませんよ。他のご令嬢が落とされたのでしょう……」
「いいえ」
「そうなのです。そうでなくては、おかしいでしょう……」
イライザは震えるロクサルの手に取ると、その手の平に口紅を握らせた。
「この口紅はあなたのもの。なにもおかしくありません」
聖女は微笑んだ。
それは朝焼けのように美しい微笑みだった。あまりにもその微笑みが美しく、ロクサルは言葉をなくしてしまった。否定しなくてはいけないと思うのに否定できず、捨てなくてはいけないと思うのに手を開くことはできなかった。
彼女は呆けているロクサルに、「では、失礼いたします。美しい騎士さま」と告げると、去っていった。
彼女の向かう先には美しいサリゾノリア国の皇子がいた。彼はロクサルのことなど目にもとめなかったし、彼女もまたロクサルを振り向きはしなかった。
その舞踏会は、彼らの婚約発表の場でもあった。彼らはとても幸せそうで、とても美しかった。
「…………私が持っていても、おかしく、ない……のね……」
ロクサルはポケットに大事な口紅をしまった。そして彼はその日の内に騎士団長を辞することを国王に告げ、一月後にはアマンダとなっていたのである。
「……あのときにあんたがおかしくないって言ってくれたから、今のアタシがあるの。だからね、アタシ、あんたに感謝してんのよ」
イライザの髪をブローしながら、頬を赤くし照れた様子で語っていたアマンダを鏡越しに見上げ、イライザは困っていた。
というのはこの話を聞いてもイライザは『そんなことあったような気もいたしますが、そんな当たり前のことでなぜここまで感謝されるのか』ぐらいにしか思えなかった。しかしアマンダの様子から『そんなどうだっていいことをなぜそこまで覚えていられるのか』とは聞けないと理解していた。彼女は気を遣える女性なのだ。
「だからね、ずっと仲良くなりたいなって思ってたんだけど、サリゾノリアは王宮付きの魔女とか魔導師たくさんいるじゃない? だから王宮となると行く用件作れなくて……運も悪いみたいで採用試験にも受からないし! もー、恩が返せないー! って思ってたの」
彼女は「……そうなのですか」と当たり障りのないことを言うしかできなかった。アマンダはそんなイライザに気を悪くした様子は少しもなく「でもね!」と声をあげる。
「あんたが追放されるなんてのはちっとも望んでなかったわ。アタシ、あんなボロボロのあんた見たくなかったもの。……ねえ、なにがあったの?」
急に話を自分にふられたイライザは戸惑った。
「わたくしの話は面白いものではありませんよ……」
「面白がって聞いてないもの。アタシの大恩人の聖女をあんなボロ雑巾にした理由を知りたいだけ。……ね、話して。話すと楽になることもあるわ」
「……、……わたくしは、」
イライザがたどたどしく話し出す。それに対しアマンダが「まあ!」「そんな」「とんでもないわね!」と聞き上手であったため、結局、彼女は素直に王宮に拉致されたことから追放されることになった理由を話していた。
一通り話し終わる頃には、イライザの髪は艶めきをとりもどし、爪先まで整えられていた。
「……ですので、聖女ではないものとして、……サリゾノリアではないどこかで生きていかなくては……わたくしの王のために」
アマンダは、そんなイライザを見て、「あんたね」と震える声を出した。大きな手で自分の顔を隠し、アマンダは荒い息を吐く。
「……まだ十五歳なのに、国を背負わされて、なのに、文句も言わないで、ずっと、五年間も、タダ働きってことじゃない……」
イライザはそんなアマンダの様子には気が付かず、渡された櫛で毛先をとかす。
「あの頃の皇子は十八歳で、とても辛い思いをされたのに文句一つ仰らないのです。責任と年齢は関係がないものと、勉強させていただきました」
「あんたは町娘! 相手は王族でしょっ……」
「国を思うことに身分は関係ございません。サリゾノリアは美しい国でした、その美しさを取り戻すためであれば、わたくしの身一つ大したことではありません。……今のサリゾノリアにはわたくしの力は過ぎたるものとなってしまいましたが……それを理解してくださっているメイソン様が王になられた、……あの国の平和は保たれることでしょう」
「……その、男、信用してるの? 婚約までしておいて、……勝手に頼りにしてきて、 勝手に手放したやつ、信用できるの?」
イライザは櫛を置き、聖女らしく微笑んだ。
「あの方ほど敬愛に値する方はいません。ご自身の心にとらわれず、目先の得をとらず、わたくしを国外追放されたのですから」
「だからっ、そんなの、そんなことするやつ……っ」
「全ては国のためでございます」
「そんなことは、好きな女にさせることじゃないわ!」
イライザはそこで、ようやく、アマンダが泣いていることに気が付いた。彼女は立ち上がり、大きなアマンダの腕を撫でる。
「ひどいわ、そんなのっ……アタシ、あんたたち、すごく幸せそうでっ、お似合いだって、……」
「泣いてくださるんですか?」
「泣くわ、こんなのっ……泣くしかないでしょっ!」
イライザはアマンダをソファーに座らせ、自身もそのとなりに腰を掛けた。
「美しい魔女さま、どうか泣かないでくださいませ。……わたくしはもう祈りは行えないのです。あなたの憂いを晴らして差し上げることはできないのです」
「いらないわよ、祈りなんか! 自分の機嫌ぐらい自分でとるわ!」
「え、……」
「自分の人生は自己責任なのよ! 他人に責任を押し付けて、メソメソ泣くようなやつと一緒にしないでちょうだい!」
アマンダは顔を上げて、切れ長な瞳でイライザを睨む。泣いてもアイラインにもアイシャドウにも濁りはなかった。
「あんた、もし今、王様が訪ねてきて『また祈ってくれ』『国のためだ』『前と同じようにはならない』『私は強くなった』とか言い出したらどうするのよ!」
「……それは、……そのときはもちろん国のために……」
「だめよ!!!!!」
アマンダはシルクのハンカチで涙はぬぐうと、困惑しているイライザの目をじっと見た。
「聖女をやめたのよね?」
「……はい」
「サリゾノリアには帰らないのよね?」
「……はい」
「なら、ここで、いい女に、なりなさい」
「……はい?」
アマンダはとても真剣な顔だったが、イライザはぽかんと口を開けた。
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