閑話 魔王はかく語りき

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閑話 魔王はかく語りき

 アマンダからの突然の誘いに目を丸くしたイライザはたっぷり五秒黙った。  イライザは混乱はしながらも、アマンダの言う『いい女になりなさい』が、『ここにいなさい』という意味であることは理解し、『これ以上お世話になってはならない』と考えた。彼女はなにももっていなかったが、それでも見ず知らずの他人にこれ以上ご迷惑をかけられない、という気づかいと常識だけはもっているのである。  けれどそんな彼女が断る前に、アマンダが「駄目よ」と切り込んだ。 「無一文のあんたを放り出すほど、アタシは外道じゃないの」  アマンダの強すぎる目力から逃れるために、イライザは目を伏せ、ふ、と短く息を吸った。 「……わたくしは婚約破棄され、国まで追われた『キズモノ』でございます。そんな女を置いていたら、アマンダ様さえ縁遠くなってしまいますよ……?」 「あんたがいるぐらいで遠くなる縁ならいらないわ! それにアタシを見なさいよ! 美しすぎて凡人は、はなっから近づけないのよ! だから、アタシはあんたがいたって全然迷惑じゃないって言ってるの! それともなに⁉ アタシがあんたを手籠めにするとでも思ってるの⁉」 「そ、そんなことは……しかし……」 「しかし? しかし、なによ⁉」  アマンダの堂々たる態度に、イライザは反論の言葉をなくしてしまった。『しかし』『それでも』『そんな迷惑は』とイライザが言葉を探していると、アマンダが大きな手でパチンと柏手をうった。 「なら、こうしましょ。アタシがあんたを雇うわ。あんたは『魔女見習い』として泊まり込みで働くの。で、あんたはお金が貯まったら出ていくの。これなら、いいでしょ?」  アマンダがウインクすると、イライザはとうとう、口を閉ざした。  イライザには行く宛もなく、頼れる相手もおらず、金もない。アマンダの誘いは、身一つしかない彼女にとっては天から与えられた唯一の救いの道だったのだ。  だから、彼女は深く、深く頭を下げた。   「……お世話になります、アマンダさま」 「ええ、よろしくね!」  こうして嵐に押し流されるように、イライザはアマンダのもとで働く魔女見習いとなった。イライザがサリゾノリアを離れてから四日、彼女はようやく新たな物語の舞台に立ったわけである。  一方で、その頃の前の舞台サリゾノリア王宮では王位についたメイソン・サリゾノリアの戴冠式が行われていた。つい先日の裁判のときに見せた憔悴した姿を思い出せないほどに美しい王の姿に、国民は膝をつく。  新たな王は一人穏やかに微笑み、民に手を振っていた。  ――しかしその『上空』には二つの人影があった。  彼らは魔女のように箒を使うこともなく、己の足で宙を踏み、足下の王宮を眺めていた。  一人は、とても美しい人間に見えた。差し色に赤が使われた黒い軍帽と軍服をまとい、背中まで伸びた艶めく黒髪を一つに束ねたその人間は赤い瞳をしており、その赤い瞳からはゆるぎない自信と匂い立つような色気がこぼれおちる。男にも女にも見えるほどに美しい顔立ちをしたその人間は、両腕を広げ、世界を掌握するように空に立っていた。  その赤目の人間につきそうように立っている男は、機能性が重視されている作業着を着ていた。その男は癖のある白髪と鍛えられた体と青い瞳、それから無数の傷痕を持っており、顔の中心も一文字の切り傷があった。その男は無表情のまま足下の賑わいを眺めていたが、ふとそこから目をそらし、今度は赤目の軍人の背を見つめる。彼の瞳は静かで、少しの感情も見えない。  ただ彼は、自分の前に立つ軍人を見ていた。 「シャドウ」  しかし、先に言葉を出したのは赤目の軍人だ。  その声は青年のようにも妙齢の女性のようにも聞こえた。軍人は振り向くと、白髪の男に笑いかける。 「お前の報告通り……確かにサリゾノリアから『異端』が消えたようだ」  『シャドウ』と呼ばれた男は「バーリバル」と軍人を呼んだ。 「それでもここに入り込むのは難しいだろう」 「難しいのであれば不可能ではない。しかし今、この『出口』に用はない。帰るか」  『バーリバル』は踵を返し、宙を歩き始める。が、『シャドウ』は大股でバーリバルに追いつき、その軍服の袖を掴んだ。バーリバルはそうされることがわかっていたように振り返り、シャドウの顔を見る。  頭一つ分背の高いバーリバルを、シャドウは無表情で見上げた。 「また引きこもるのか?」  シャドウの言葉と無表情に、バーリバルは楽しそうに歯を見せて笑う。 「哀れな子羊よ、お前は私に外に出てほしいのか? ……『世界が終わるかもしれないのに』?」  シャドウはバーリバルの軽口にも表情を変えず、「オレが心配してるのはお前の健康だ」と言った。 「せっかく外に出たんだから、身体を動かせ。人は宙を歩くより地面を歩くべきだ」 「私はもう人ではないぞ、シャドウ。健康も不健康もない。まだそれがわからないのか」 「……そうだな、あの山を登山しよう」 「登山? なにを馬鹿な……」 「オレが触れられる間、お前は人だ。人である内には『約束』通りオレに付き合え」  バーリバルは笑みを消すと、自分の腕をつかむシャドウの手を取る。バーリバルは傷だらけのシャドウの手を撫で、それから「ああ、約束だったな」とつぶやく。バーリバルはまた、妖艶に微笑んだ。 「……だったら私も試したいことがある。もちろん付き合ってくれるよな、シャドウ?」 「オレがお前に付き合わないことなどない。だから、山に登るんだぞ」 「はいはい、わかった、わかったよ。仕方ないな」  そんな話をしながら、彼らは宙を歩いて去っていった。  残されたサリゾノリアには今日も呪いは一つもない。堂々たる王の誕生に沸き立つ民だけだ。しかしそこにはすでに火種があり、それに火を放つ者もそろっていた。時さえくれば、『大災害』が起きる基盤が、まさにこのとき、人知れずにできあがったのだ。  とはいえそこは昔の舞台。今の舞台はここではない。  今の舞台は、サーラント国の海辺の街ログサスロ、そうして登場人物は魔女アマンダと魔女見習いイライザである。
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