プロローグ

1/1
前へ
/20ページ
次へ

プロローグ

 サリゾノリア国立裁判所には『第一皇子が婚約者を訴える』という、前代未聞の民事裁判を傍聴しようと多くの人が詰め寄せていた。  王の意思は神の意思とされる絶対王政のこの国で『王族が裁判を起こした』ということは、神足る王があえて(・・・)人による裁きを求めたという意味になる。それだけでもかなり珍しい裁判であるため人を集めるには十分だったのだが、今回の裁判はさらに(・・・)被告が『あの』聖女イライザだ。  原告の皇子同様に、多くの国民が彼女に『突然職務を放棄した理由』『職務放棄への心からの謝罪』、そして『職務の継続』を求めていた。だからこそ多くの国民が第一皇子の訴えとそれに対するイライザの返答を聞くために、わざわざ裁判所に詰めかけてきたのである。  あまりにも多くの人間が詰めかけたため裁判所にはとても入りきらず、辺りにはなんとか声を聞こうと地面に寝そべる人や、裁判所の門に張り付く人で溢れ帰った。裁判所前広場がまるで市場のように騒がしく、それはそれは異様な光景だった。  そして始まった裁判もまた、異様なものだった。  被告として出頭したイライザはいつもの白の礼服に身を包んでいたが、その頬には青あざができていた。明らかに殴られたことがわかるその痛々しい顔にもかかわらず、彼女はいつもと同じように穏やかに微笑みながら入廷した。  そして原告であるメイソン・サリゾノリアもまた礼服に身を包み、見目をいつものようき整えていたが、こけた頬や濡れた瞳は隠せていなかった。  それはこれまでの二人が国民に見せてきたものとは全く違う姿だった。それでも二人はいつものように並んで歩いてきたこともまた、裁判の傍聴に来たものを怯えさせた。  だが彼らはそんな傍聴人のことなど見もせず、裁判官の言葉すら待たなかった。彼らは勝手にお互いの席に着き、勝手に二人の裁判を始めた。 「イライザ、何故……、『呪い』を解いてくれないのだ……『祈り』を行うから聖女なのだ。何故、聖女であるあなたがこの『呪い』を放置するのか」  皇子の訴えは、そのまま国民の総意であった。  五年前に起きた『大災害』の直後に、聖女として皇子に仕え始めたイライザは有能だった。彼女は『呪い』を見ることができ、また『祈り』によってその呪いを解くことができた。彼女のその能力のおかげで、国内の呪いはすべてなくなり、民は一生懸命に働くことができた。  なのに彼女は一月前に、――大災害から五年過ぎ、王が亡くなった日に――祈りを辞めたのだ。  国中に呪いが溢れ、民は思い悩み、眠れぬ日々を過ごした。特に彼女の近くでもっとも恩恵を受けていた皇子にかかった呪いは重く、彼は一カ月でかのようにやつれてしまったのである。 「あなたは今のわたしを見てもなお、祈りをささげてはくれないのか……?」  しかしそんな皇子の訴えを受けてもなお、聖女イライザは穏やかに微笑む。 「大地が揺れ、国中が傷ついたあの大災害からこの五年、わたくしたちは一心不乱に復興をしてきました。そしてようやく、わたくしたちは日常を取り戻し始めました。ですからこれからは己の心と向き合い、傷ついたことを認め……悼む時間を取らなくてはいけません」 「悼む? ……そうではないだろう? 呪いはこの国にいらない。だから聖女が必要なのだ」  聖女イライザは目を伏せた。 「今この国に必要なのはわたくしではありません。それどころか、わたくしは邪魔なものとなっております」 「……イライザ! 質問に答えてくれ! 何故あなたは力を持っているにもかかわらず救えるものを見捨てるのか!」 「今この国を導くものは、力強き王でございます。……わたくしの申し上げたいことがわかりますでしょう、メイソンさま」 「あなたは、……どうして……」  皇子の手からは血がこぼれる。しかしイライザはなお微笑み続ける。 「あなたの今覚えたその怒りこそ、王になるために必要なものでございます。……どうか、ご決断を」  皇子はイライザの言葉に、深く息を吐いた。 「……わたしがこれほど願っても……もう……祈りは行わないと、言うのだな?」  イライザは頷いた。それを見届けた皇子は顔を伏せ、目を閉じ、深く息を吐いた。 「……ならば、……いいだろう。……お前(・・)は、この国には必要ない……」  顔を上げた皇子の瞳にはもう嘆きは残っていなかった。 「今この時より、父の後を継ぎわたしが王となる。これは王命だ。イライザ、お前を国外追放とする。二度とこの国の土を踏むな」 「慎んでお受けいたします、我が君。……サリゾノリアにとこしえの幸運を」  そうして裁判は王命により幕を閉じた。  そのことを批判する者もわずかにいたが、国民の多くは王の心に寄り添った。そして王はそんな民に応えるためにサリゾノリアに尽くし、長きに渡り国を繁栄させ、『勤勉王』として歴史に名を残すことになる。  が、今回の話はそちらではなく、国を去った聖女イライザと、彼女をささえた美しい一人の魔女のお話だ。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加