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兄の喜六を中心に家族皆で宥めてはみたが、やはり強情な歳三は奉公先に帰ることはなかった。奉公期間は一年足らずであったという。
しかし如何に歳三とはいえ、何の理由もなく番頭に逆らうことは有り得ないのに加え、甘やかされがちな末っ子とはいえ父母がないからこそ厳しく躾けねばとの想いもあろう、子どもの言いなりに辞めます、はいそうですかと認めるのも考えにくい。家族が聞いて納得する程の理由があったのだろう。
十一歳の子どもが夜中歩き通して帰った実家だが、翌年の大雨により浅川が氾濫し、一部が濁流に流されてしまった。
その以前には洪水で玉川の堤防が破壊され、多くの役人が土方家を宿として周辺の修復作業を行ったという。
庭の樫を見て、稀に見る程の良材だと褒めたのを聞いた歳三は、ズカズカと歩み寄り
「お侍様、ここを曲がれば良い薬屋があります」
と、玄関前を指し示した。
片隅の大木よりももっと褒めるべきものがあるとでも言いたげな振る舞いに皆おおらかに笑い、そのうちの一人が家業の宣伝とは良い子だと小遣いをやろうとしたが、銭などは欲しくありませんと受け取らなかった。
ならば欲しい物を言えば買ってやろうと重ねても、いや欲しい物などありませんと言いながら、傍らの別の一人が楊枝を削る小柄に目が釘付けになっている。
これが欲しいのかと与えると、俄然大喜びだ。
存命であった母はおろおろとしながら見ており、お礼も言わないのを叱りつけると、
「後々、厚く報いる時が必ず来ます」
などと、しゃあしゃあと言い頭すら下げず、笑いながら去ってしまった。
それでも役人らは怒りもせずに顔を見合わせ、凡庸な子なら我らに寄り付きもしないであろうに大胆不敵の振る舞い、末恐ろしき子よと呟いたという。
物心ついた頃から武士になると志した歳三らしい話である。
その類の話なら勇も負けていない。
まず、五、六歳年長の者と喧嘩しても相手を泣かせる程の腕白であった。
剣才を見込まれて天然理心流の跡継ぎに抜擢されたが、正式に入門したのは十五歳で、入門から目録までおよそ三年はかかると言われているところ、たった七か月で取得してしまった。平均は切紙まででも一年半は要する。あくまで取得出来た者のうちの平均であり、勿論そこまで到達できない者もあるのだ。
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