一夜ひとよ

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 古参の門人であり歳三と同じく八王子千人同心の家系である井上源三郎は、定説によれば上達は遅い方であったらしいが稽古熱心で、総司の親戚なので歳三への悪口雑言とは違い真の意味で源三郎伯父さんと呼び慕う相手だが、 「まぁた稽古ですか、おじさん」 とのヘラヘラ笑いながらの声掛けに対し、 「わかっているなら来ても良かりそうなものを」 と返していたという逸話にあるように、稽古をつける役割はよく担っていたが自分の稽古を人前でする頻度が少なかったらしい総司がこのように試合をすること自体が珍しいのだから。  歳三としては対等に見える程度に打ち合うのに必死であるが、一方総司はその顔色までは伺えないものの軽口を叩く程の余裕があるようだ。 「こんなこと言いたくないんですけどね」  いきなり正面を打ち込んで来た木刀を受け止め、鍔迫り合いの格好で呟く口許は、歳三には見えないが恐らく笑っている。 「歳三さんは速いほうだけど」  神速の剣士に言われるのは皮肉のように聞こえる上に、このヒョロ長い痩身のどこから湧くのか力の鬩ぎ合いでも全く引けを取らない。 「斬る気なら」  いや、それどころか。  稽古中は別人のように短気で、元々過酷な天然理心流の稽古を積んで来た門人達が厭がる程に厳しい彼の指導として有名な言葉がある。 「身体で斬らないと」  現代の剣道大会でも然り、巧者程、長い鍔迫り合いはなるべく避けるもの。  僅かな隙に強かに押しやり、この形からは王道の引き面だ。 「死んじゃいますよ」  流石に当てない。先程の歳三の素振り同様に寸止めである。  試合の際、面と籠手と胴つまり突きではない有効打突部位を打った瞬間に竹刀や木刀を跳ね返すように高らかに上げるのをよく見かけるが、字が表す通り扱うのは刀である。刃物は押して引かなければ切れない。  そして総司の剣術指導の言葉として遺る 「身体で斬れ」 は、やはり天然理心流は型の美しさは然程重視せず、人を斬るのを想定して稽古をしていたのであろうことが窺い知れる。  ここで歳三を揶揄い気味に言ったのは、速さや隙に付け入ることを意識するあまりに一本一本が軽いと、要は言いたいのだ。  いや、暗に言うつもりさえない本心は。
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