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現代の剣道で相手の剣先を退ける時には竹刀を遣って払ったり押さえたりして隙を作り攻めに転じるように稽古を積むので、頭を振って避けるのはあまり見栄えが良くないが、薬売りの剣術は全くの我流なのでそもそも形式などは存在しない。
普通の道場剣術ならば、特に対応しにくい相手である。
「次は取る」
「ふぅん。どうぞ?」
一本目は負けたことを認めるようで、意地っ張りな彼が口に出すのも憚るような科白だが、思わず無意識に口を衝いて出てしまう程、自分の信条を憂慮する余裕がない切羽詰まった状態だ。
元より実力差が悲しいかな雲泥の相手に、このような状態で勝てる見込みはない。
どうぞ、などと言いながらまた先に打たせてやるような甘ったるさは青年にはない。常ならば周りの誰もが優しくて朗らかだと評する彼なので、稽古中や試合中は特別なのだが。
「……籠手」
これは既に打った後での一声である。
打突の瞬間は彼の先生によく似た甲高い気合を発し、打たれた薬売りがその部位を押さえて蹲り悶絶、している頭上から浴びせる、その技の名前だ。
元より我流である薬売りの剣術は一癖も二癖もあるのだが、そのひとつ、中段に構えている時、右手が斜めに上がり過ぎて籠手が丸見えだ。
有効打突部位をそう見せつけられては打ちたくなるものである、しかしそれも計算の内かまんまと打って来た相手の隙をついて籠手を返す、のがよく薬売りが遣う戦法である。攻めようという刹那が、最も隙になりやすい。
今まで自慢としていた速さ比べで、残念ながら敵う相手ではない。それも、得意技を見抜いて、敢えてその籠手を打つという性格の良さの持ち主だ。
さぁ骨を折ってやろうというつもりで打ったわけではないが、真面に食らえば折れるぐらいの強さで打ってはいる。そこをやはり野生の勘で僅かに避けたのか、腫上がって後から大痣になる程度で済んだ。
今更だが二人とも、薬売りに至っては命知らずにも、防具を着けていない。
「お薬ありますか? 薬売りさん」
打撲に効くような薬があるなら、塗るなり服むなりしろと言うわけだ。
言わずもがな、漏れなく満場一致でかなり引いている。
そこへ助け船なのか、帰らぬ筈の鬼瓦もとい先生がその凍てついた空気を破顔一笑で現れた。
「ただいま!」
「おかえりなさい、先生!」
おいおい別人じゃねぇか、猫被りめ。
とは、何も薬売りだけの吐露ではない、これも満場一致の心の声である。
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