六 涸沢之蛇

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「なんだ、兇魂(くたま)が憑いた者を必ず斬る必要はないんだな」  近藤の言葉を遮るように狐火が扇で近藤を指す。 「そのことは貂が藤堂はんに伝え、あんたはんに提案した。やな?」  鋭い視線を感じた近藤が不可解そうな顔をする。 「空境破邪(くうきょうはじゃ)。たとえ死をもってせずとも、それ自身が自分の中の兇魂を認識し、駆逐する意識を強く持てば兇魂を剥離させられる。我々魂喰だけが知る(すべ)」 「平助もそう言っていた」  狐火がずずいと近藤に詰め寄る。 「この話は他の誰にも?」 「平助は俺にだけ話しに来た。なんでも聞かれてはいけないとかで」  狐火が近藤に詰め寄ったまま小さく息を吐く。 「この話を口外する事、あまつさえ人の身体から魂喰自ら兇魂を引きずり出す行為。その行為は魂喰の中ではご法度や。この意味、武士なら分かるやろ」  殺意にも似た狐火から放たれる雰囲気に近藤がごくりと唾をのむ。 「どうして貂が法度を破ってまで今回みたいな愚行を冒したのか。あんたなら察しはつくやろ」  「ああ」と近藤が頷いた。 「今回は近藤はんの意思が強かったお陰で上手くいったものの。普通の人間では滅多に成功せん」 「しかし人を故意に殺さなくて済むなら、どうしてそうしない」  聞きたい欲にかられつつも狐火の威圧感に近藤の心臓が大きく鳴っている。狐火が自身の顔を近藤の顔に極限まで近づけた。 「近藤はんは、今長州はんが権威を手放したり、京から不逞浪士が一切おらんなってもええと、ほんまにそう思ってはるん?」  面の下で不敵に笑う狐火を近藤は感じた。  近藤がにっと口角を吊り上げ笑う。 「あっはは。 狐火殿は面白いお方だ。しかし、気が合うやもしらん」  「合いとうないわ」と狐火がふいっと顔をそむける。 「貂殿は、どうなる」  笑うことを止めると真剣な顔で近藤が問う。 「今日の話は上にも通しとらん。うちらとそちらが黙っとったら露呈する事はない。そうやろ?」 「命を救ってもらった恩人だからな。私らが漏らすことはないから安心してくれ」 「おおきに」  へこっと頭を下げると踵を返し、表へと向かう。進めた足を止め狐火が振り返る。 「あと近藤はん。芹沢はん、あれももう危ないで」  そう言い残すと狐火は八木邸を出ていった。  近藤が狐火を見送っていると障子が開き、土方が姿を見せる。 「お前が隠れて聞いているのもバレてるんだろうな」  がははは、と近藤が豪快に笑う。 「やはり正体の知れない気味悪いヤツだな」 「あちらも同じ思いじゃないか? だから釘を刺したんだろうよ」  土方が踵を返し歩き出す。 「それにしても法度という手があったか。なるほど、こりゃおもしれえな」 「おお、トシ。また面白い事を思いついたのか?」  ワクワクしながら土方の後を近藤が追いかけた。 「それにしてもトシ、狐火殿は私らのことを武士と言った。案外いいやつかもしらん」 「やめてくれよ近藤さん。あんたは流されやすい。しかし今の俺らはあんたを失うわけにはいかん。今日はあれにも感謝するよ」  二人が話しながら屋敷の奥へと姿を消した。  狐火の少し後ろを付いて歩く貂。 「狐火様、その」 「このど阿呆が」 「はい、申し訳ございません」  はああ、と狐火が大きくため息を漏らす。 「狸吉(たぬき)、お前もええな?」 「ああ。俺は何も」  狸吉が貂の頭をくしゃくしゃと撫でる。 「猫尾(びょうび)の奴がおらんくて良かったわ。あれが知ったら厄介やからな」 「俺はもう新選組に近づかない方がよいでしょうか?」 「それはお前がそうしたくないからか? もしそうやっても引き続き新選組(あれ)を張っとけ」 「はい。承知しました」  貂が唇を噛みしめ、狐火の後ろに付き歩き出した。その胸には今まで感じたことがなかった(もや)が何かを訴えていた。  近藤の騒動が終わり、再び静かな夜に返る。揺れるろうそくの灯が障子に影を映していた。  土方が文机に向かい筆を走らせる。 「あとはあいつが上に報告し、下命が下れば」  不敵に吊り上がった口角を怪しい光が照らしていた。
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