<1・Farce>

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<1・Farce>

 この国で最も信じられている宗教、その聖書にはこう書かれている。“この世で愛ほど尊いものはなく、愛は全てにおいて最も重視され育まれるべきものである”、と。  それを聞いた時ファイス伯爵家令嬢、フィオナ・ファイスは思ったものである。  なんとまあ、その神様は偽善者だったものか、と。その聖書に、赤ペンで注釈を書き加えてやりたいものだ。  なお、神様が認めた愛に限る、それ以外は全部ゴミなので排除します――と。 「もう私は我慢がならないのだ!」  バン!と彼は激しくテーブルに拳を叩きつけた。それを聞いて、フィオナはびくり、と体を震わせるフリをする。  目の前で激怒しているのは、エメリー・セブン。セブン伯爵家の次男坊であり、フィオナの婚約者とも言うべき青年である。  その顔には、阿修羅のごとき怒りの色。長い銀髪に青い目、白皙の美貌を持つ青年はまるで親の仇でも見るようにフィオナを睨んでいる。フィオナはそれを見て、心から感心してしまうのだった。なんて名演技。あんた、その気になれば役者でご飯食べていけるんじゃないの、と。 「この写真が全てを物語っている。フィオナ嬢は、自分の身の回りの世話をしてくれる使用人達を虐めぬいているというのは間違いではなかったのだと。かつては心優しく、純粋で可憐な女性だと思っていた。だから、私も家のため、彼女となら婚約もやむなしと思っていたのだ。それが、実際はどうか?身分なんてくだらないものを振りかざし、年下の少女を虐げるようなその姿勢……断じて看過することはできない!」 「は!この国で有数の名家、セブン伯爵家の次男さんの言葉とは思えないわね」  自分も頑張らなければ。ふん!と鼻を鳴らしてフィオナは返す。というか、純粋可憐だと思ってたことなんか一度もないでしょ、と心の中でツッコミを入れながら。 「エメリー。私だって全て知っているのよ?召使どもに親切に勉強を教えてやってるんですって?自分の勉学の時間さえおろそかにしてなんと無駄なことをされているのか。この国の政治を動かしていくのは、私たち貴族であって、あんな薄汚れた無産階級の連中じゃないのよ。もう少し現実を見たら?」 「現実?君と結婚するのが現実に役立つとでも?」 「ええ、そうよ。未来を背負って立つ、高貴な血筋を繋いでいくことこそ両家の願いであったはず。貴方みたいな夢想家の次男坊に、私以上に素晴らしい縁談が来るとは思えないわ。私だってムカつくけど、“あんたで妥協してやる”って言ってんのに、何が不満だってのよ」 「……なるほど、それが本心か」  ふふふふ、と悪役さながらに笑うエメリー。そういう顔もできるのかと、少しばかり新鮮だ。 「冗談じゃない。血がなんだというんだ。人を愛する気もない、自己顕示欲の塊のような女を妻にするなど願い下げだ。この婚約、なかったことにさせてもらおう。婚約破棄だ!」  彼はフィオナに怒鳴ると、一瞬ちらっとフィオナの隣に座る両親を見た。フィオナもつい、そっちに視線を投げてしまう。  お互い、心は一つだった。つまり。 ――お、お願いお父様お母様!この婚約破棄、通してください!!  そう。  この婚約破棄はすべて演技。フィオナとエメリーがともに仕組んだ、盛大なお芝居なのである。  こうしなければ、愛する人との未来を守ることができなかったがゆえに。
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