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桜守の少年達
はらり。
ひらり。
薄桃色の花が枝いっぱいに咲いている。
悲しい花びらを散らせながら。
恐ろしいくらいに美しいその光景は、終わることを知らないのだ。
誰もが見惚れるその光景が、こんなにも忌々しい。
少年は桜の前で静かに立っていた。藍色の着物をはためかせ、腰には刀を佩ている。
誰もが寝静まった丑三つ時。それらは四方八方からやってくる。ミミズのように長い生物、人型とはいえど醜いその額にツノを生やした生物、鳥のような生物。それらを少年は見据えていた。躊躇もなく、真っ直ぐに向かってくるそれらに怯むことなく、少年は刀を振るった。花びらが散る中、鮮やかな剣技が空間を踊る。花びらとともに肉片と鮮血が落ちていく。さながらそれは、舞のようであった。
最後の妖が倒れ、少年は刀に付いた血を振り払う。
……何度この光景を繰り返しただろうか。もうそろそろ飽きてきた頃だ。
花吹雪が激しさを増す。余分なものを削ぎ落とすかのように花を散らしていた。ひとしきり花びらの雨が降ったあと、あたりに散らばっていた妖怪の骸は跡形もなくなっていた。
少年は自らの掌を見つめる。
『……また強くなってる』
苦悶の表情を浮かべる。拳を握りしめて、少年はその場を立ち去ろうとした。
「お、もう終わってたのか。」
少年は声に振り返る。同じように着物を纏い、刀を佩いたもう1人の少年がいた。
「ああ。尊、そっちはどうだった?」
「別に。いつも通りって感じだな」
尊と呼ばれた少年は肩をすくめる。
「暁、お前は何か気づいたか?」
暁は桜の木を見上げる。あれだけ桜吹雪が待っていたというのに、桜は枝も花も何一つ欠けていない。異常なこの大木を見上げながら、瞳に険を宿す。
「また加護が強くなってる。妖怪たちが力を失くすスピードが速い」
「……そうか……。ここのところ、様子がおかしいな」
そう言って、尊は昔から変わらぬ友人をじっと見つめた。
「桜守」と呼ばれる存在を知ったのは16歳になる春の頃。尊と暁は同じ妖狐の里で育ち、同じ学校に通う、幼馴染だった。2人は突如、里長から呼び出された。
「二人に大事な話がある。これからの生き方を左右する話だ」
まだ何も知らなかった少年達は顔を見合わせる。
「桜守に、お前達が選ばれた」
「……桜守?」
里長曰く。
桜守とは、何百年か一度桜に選ばれる、のだそうだ。桜というのは普通の桜ではなく、妖とも神とも取れる魔物である。桜はこの地の邪悪なものを浄化し、守っている。しかし桜は妖力を溜めすぎた。その膨大な力を狙って妖怪達が襲ってくるのだそうだ。そこで、桜を守る者を桜自身が加護を与えて選ぶという。
選ばれる者は人間、妖怪関係ない。力を持つものが選ばれる。
「今回は二人同時に選ばれている。……私は、お前達に選択の余地があってもいいと思うのだが……」
尊は長の何か含みのある言い様に、なんとなく察した。
「俺たちに拒否権はないんだな?」
「……すまない。私ではどうすることもできないのだ。だが、お前達が桜守の役目を拒むのであれば、桜と向き合う覚悟はできている」
長は嘘のない真の瞳で少年達を見つめる。重い沈黙が流れる。それを破ったのは暁だった。
「……大丈夫です。俺は桜守を引き受けます」
「おい、まだ桜守について何も聞いていないんだぞ!?」
「それでも、俺に回ってきたんだから俺がやらなきゃ。俺は育ててもらった恩もあるし、長に迷惑をかけたくない」
暁は笑顔で長に頷いた。尊は一つ嘆息する。
「長、桜守っていうのは引き受けたら具体的にはどうなるんだ」
「……不死ではないが、老いることはなくなる。命を終えるその時まで桜守を続けなければならない。先代の桜守は、戦いの中で命を落としたのだ」
「不老、か……」
尊は友人を見る。本当にそれで良いのか、と。だが、暁の意志は固かった。
その時、尊は暁に対して苛立ちを覚えたのだ。
不老というのはどういうことなのか本当に理解しているのか。成長を一緒に喜べなくなるということなんだぞ。なのに、どうしてそんな諦めたような顔をしているんだ、と。
そして、尊も覚悟を決めた。
「分かった。俺もなってやるよ、桜守に」
それで、全部終わらせてきてやる、と。
あれからすでに50年は経っただろうか。今の所変化はない。桜を枯らしてやろうかとも企んだが、無闇に枯らせばこの地に何が起こるかわからない。両親もまだ生きているのだ。死なせるわけにはいかない。だから、好機が来るまでしぶとく待つことにした。
「あーあー、もうそろそろこの生活にも飽きてきたんだよなー」
尊がごろん、と与えられた庵の縁側に寝転がる。その隣に暁は腰を下ろした。
「ったく、だから桜守引き受けるなって言ったのに」
「うるさい。そもそも拒否権はないんだろ。それと、元はと言えばお前のせいだからな」
尊がじとっと暁を睨む。
「自分の決断を人のせいにするな」
「いーやするね。あんな顔されたらほっとけないだろ」
暁は首を傾げた。
「あんな顔?」
「なんでもない」
尊は選ばれた日のことを思い出す。暁の何かを諦めたような笑顔。思い当たる節がいくつか無いわけではないが、所詮他人の尊には明確にはわからなかった。だが、暁は幼馴染で、親友なのだ。友人には幸せになってもらいたいと思うのが当たり前だろう。
「ところで。どうして俺達への加護が強くなってるんだ?」
「さあ?桜の終わりでも来るんじゃね?」
尊が暁の問いにめんどくさそうに答える。そのまま不貞寝を決め込む尊に、暁は仕方なく続いた。
木々の隙間から星が見える。不老の力を与えられ、桜を守ることを命じられてこの場に縛り付けられている二人にとって、昼夜、四季のサイクルを感じることができるのが気休めだった。
不老とはいえ、疲労は溜まるものだ。2人はそのまま夢の中へと沈んでいった。
* * *
大切なものを失くしすぎた。両親を、もう1人の幼馴染を失くした。いつしか側には誰もいなくて。だから諦めた。目の前の友人を巻き込まないために、面倒を見てくれた長や里の人たちを巻き込まないために。迷惑をかけたくなくて。
でも、それは建前であり少しだけの本音。本当は、もう自分が傷つきたくなかったからだ。
そんな哀しい少年の想いを、なんとなく分かっていた。
こんな役目を押し付けた怪しい桜にも苛立ちが募るばかりだが、それは少年に対してもそうだった。
分かる。彼の気持ちも痛いほどわかる。苦しんできた姿を一番近くで見てきたのだ。だから、なのだ。
側にいた。いつも少し後ろから、彼を、彼らを眺めていた。今は隣を歩いている。
それなのに、あいつは先に諦めてしまった。桜守というものに逃げてしまった。誰も側にいないなら、いいや、と。
……ふざけるな。俺とお前が一緒に過ごした時間はなんだったんだ。勝手に諦めて、勝手に逃げて。一番近くにいたのは俺なんだ。なのに、どうして過去にだけ固執するんだ。
桜守にさえ選ばれなければ、この先大人になることを共に喜んで、大切な人が出来て、沢山の縁が生まれて。
そんな未来の可能性を奪った桜が許せない。そんな未来の可能性を切り捨てたあいつが許せない。
自分は、諦めたくなかった、少しでも希望を持っていたかったのに、選ばれてしまったのだ。だから、徹底的に抗ってやると決めた。
* * *
はらり。
何かが頬に触れた感触を思い、尊は瞼を上げた。
桜だ。なんら変わりないその花びらを、鬱陶しそうに払いのける。だが、目覚めた場所が庵では無いことに気がつく。どこかの小島だ。大きな桜の木が一本、地面は桃色の絨毯、空は見えず、どこまで行っても桜色の世界。
ここはおそらく。
『なにゆえ、抗う』
空間に響く、風のような声。ここには、自分ともう一つの存在しかいない。
『なにゆえ、怒る』
「……るせえ、現実の世界へ戻せよ」
『応えよ』
ビリビリと一言で空気が震える。桜吹雪が激しさを増す。尊は忌々しげに舌打ちした。
「わかったわかった。答えれば良いんだろ」
尊は諦めてひらひらと両手を振る。声は再び問いかけた。
『なにゆえ、抗う』
「お前が俺の未来を奪ったからだ」
尊は桜を睨む。
『なにゆえ、怒る』
「お前があいつの未来を奪ったからだ」
『なにゆえ、願う』
願わくば、もう一度限りある時間を過ごせるように。もう一度、時間が大切なものだと思えるように。
そんな祈りは、何故。
「……俺たちがまだ子供だからだ。まだ成人もしていない子供をとっ捕まえて、永遠の籠に閉じ込めて楽しいかって話だよ」
本当に、趣味の悪い桜だなとこぼす。声は途切れた。音もなく桜が咲いては散りを繰り返す。
「……ほんと、俺はお前が大っ嫌いだよ」
視界が歪む。夢幻から覚める時だ。それとも、桜が出ていけと言っているのだろうか。招いたのはそっちだろうに、なんて自分勝手な。
「絶対に、終わらせてみせる」
尊は手のひらをぐっと握りしめた。
「……と、……こ……と!…………尊!!」
暁が呼ぶ声で覚醒する。とんでもない悪夢だった。
尊はうんざりしたように目を擦る。
「あー、嫌な夢見た」
「お前、大分魘されてたぞ」
「いつものやつだから心配するな」
尊はそう言いながら、ふと外を眺める。こんな気分で目覚めさせたあれが悪い。ちょっとくらい反抗の姿勢を見せたほうがいい。
そう思い立って友人の手を引く。
「あ、ちょっ、どこ行くんだよ!」
「あいつらが襲ってくるのは黄昏時だろ。それまで暇だし、遊びに行くぞ」
「は?」
桜の花びらがかからなくなる場所まで暁を連れてくる。尊は花びらが消えてしまうその境界の手前で一度立ち止まる。思いっきり足を一歩踏み出した。
なにも起こらない。
もう一方の足も境界を超え、尊は外へと出た。
「ほら、早くこいよ」
尊は暁を振り返る。暁はそっと嘆息した。
「ったく、どうなっても知らないからな!」
やけくそ気味に暁も外へと飛び出す。2人は駆け出す。その顔には笑みが溢れていた。
そろそろ下界にも面白い娯楽が溢れるほど増えたことだろう。今日はそれらを堪能しようじゃないか。
桜が見えなくなるまで走る。久方ぶりの外の眩しさに目を細める。人間の営みがこんなにも眩しい。
この時間が、この日がなんでもない、しかし特別な1日になることを期待して、彼らは駆けて行く。今この時だけは、桜守ではなく、ただの頑是ない子どもとして。
そんな2人を、妖の桜は花びらを散らせて、ただ見ていた。
はらり。
ひらり。
永遠のなにが悪いのだろう。
いつまでも美しく、いつまでも儚く、いつまでも穏やかに。
過去は願った。永遠であれと。
未来は願った。あの頃が続いていればと。
しかし。
現在は願った。有限であれと。
何故なのか。過去の人々に願いを託された桜は、知る由もない。
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