開かれゆく扉

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□45.最悪のコンビ誕生□ ジョルダンが初めてエリックに会ったのは彼がまだ五歳の時のことだ。エリックはジョルダンの顔を覚えてはいないようだったが、成長したとは言え、ジョルダンにとっては忘れたくても忘れられない面差しだった。 昔、彼は敬虔な神父の道を外れ、欲に目が眩んで流行りの降霊術と宗教とを取り混ぜたインチキ宗教の教祖を(かた)っていた事があり、そんな頃に信者の一人としてエリックの母親に出会った。 彼女は当時アフリカに出兵したまま五年も帰ってこない夫に寂しさや憎しみを募らせていた。それを埋めるように如何わしい宗教にのめり込み、行きずりの男との間に子供を宿してしまったのだ。 それがあのエリックだった。 ところがである。もう死んだものと思っていた夫がある日突然帰ってきたのだ。ますます精神的に追い詰められた彼女に、ジョルダンはこう囁いた。 罪の子の背に十字架を背負わせれば貴女と子供の罪はそれで相殺されますよと。 常人の頭で考えればそんな馬鹿な話はないが、精神を病んでいた母親はそんな悍ましい言葉を信じたのだ。 母親はジョルダンに大金を積んで儀式を執り行って欲しいと懇願してきたのだ。 そうしてインチキ儀式はそれらしく執り行われ、母親自らの手でエリックの背中に十字の傷を刻んだのだ。 だが、エリックに致命傷を与えたのは彼女ではなかった。 エリックの存在を知った夫が儀式の最中に乗り込んできたのだ。 そんな穢らわしい罪の子供など要らぬ!死んでしまえ!とエリックの小さな身体を喉元から一直線に切り裂き、それが致命傷となってエリックは息絶えた。 そしてその可哀想な小さな骸は綺麗に傷を縫合され、きちんと身形を整えて花に囲まれた棺に入れられた筈だった。 だがそれから数日後、エリックは墓穴に納められる直前で息を吹き返したのだ。 その時誰よりも驚き、恐れ慄いたのは己の所業の罪深さを誰よりも分かっていたジョルダン自身だった。 それ以来、ジョルダンはキッパリと如何わしい行いから足を洗ったが、その噂はやがて蘇りの実験などと言う尾鰭がついてヴァチカンの知るところとなり、異端審問にかけられてジョルダンは破門となったのだった。 それにしても、とジョルダンは今でも考える。 蘇りなど、目の前で見たのに未だに信じられない。 もし、本当にあれが甦りだとしたら、それは神の仕業か悪魔の所業のどちらかだ。 それか、彼自身がそうなのだ。 ジョルダンは走る寒気にぶるりと震える肩をすくめた。 どちらにしても自分から言い出したくせに、彼を探さねばならないのかと思うと気が重かった。 ジョルダンは公園の入り口に立って、長いため息をついていたが、ふとカフェの店主と不良軍人のような男が揉めている声が聞こえて顔を上げた。 「だから!この前の客だよ、ここで新聞読んでたヤツだ。知らないわけないだろう!」 ドイツ人は声が大きいと言うが本当にそうだなと、そのドイツ訛りのフランス語にジョルダンは苦笑した。 「ですから!覚えてないと言ってるでしょう!そこにいられると迷惑ですから!」 無論、この男とその客は一悶着あったのだから店主が覚えていないはずは無かったが、問われた客が何処の誰かまでは分からない。 それよりもこの男の尊大さが気食わなかったのだ。 店主は迷惑そうに、食い下がるドイツ人の足元を箒で穿くように外へと追い立てた。 「綺麗な顔の細っこいガキと、三つ編みの中国人が一緒だったんだ印象にない筈ないだろうが!」 その時、店主が道端に勢いよく水を撒いた。おそらくは出て行けと言う無言のサインなのだ。 強か軍人崩れに水がかかると、男はやっと諦めたのか唾をひと吐きして軒先から離れた。 その様子を見ていたジョルダンにある予感が走った。 綺麗な顔の細っこいガキと三つ編みの中国人? もしやそれはエリックのことではないのか? あの日、エリックと一緒にいたのがやはり三つ編みの中国人だった。 「あのっ、失礼だが…、貴方の探してる人と私が探している人は同じかもしれない…」 思わずジョルダンは軍人崩れの男に話しかけていた。 「何だ?アンタは。神父なんか結婚式と葬式だけで結構だが?」 水をかけられてイラついていた男の返答は乱暴だ。 「ああ、失礼しました。私はこの先で教会を営んでいる者でジョルダンと言いますが、その…、今話されていた綺麗な顔の細い子供を探していましてな」 「なに?俺が探してるのはそっちじゃない!その連れのフランス人を探しているんだ。残念だったな」 まるで興味がないとでも言うように、早々に踵を返す男をジョルダンは引き止めた。 「あのっ、一緒に探さないかね。その方が一人で探すより良さそうじゃないかな? 相当切羽詰まっていらしたようだが、私も切羽詰まっておるのですよ!」 軍人崩れの男。それは勿論、あのインゲル・エッカーマンだ。 突然現れた神父の申し出にエッカーマンは渋面を返しはしたものの、確かにそうだなと頷いた。 「その綺麗な顔のガキを探せば、自ずとフランス野郎に行き当たるか…」 少しの間、エッカーマンは考えを巡らせながら、顎をなでていたが、何かを思いついたようにジョルダンを見た。 「そうだな、早速だが俺に一つ名案があるんだが…」 巡り合わせというものは、いい時もあれば悪い時もある。 この偶然の巡り合わせは後者なのは明らかだった。 ◆◆◆ ジョルダンとエッカーマンが手を組んでエリックを探し回っている頃、エリックは密林地帯を歩いていた。 およそ獣道しか無い場所を、(なた)を持った現地スタッフが先頭で道を切り開きながら道なき道を進み、そこかしこに潜んでいる蛇に怯えながら進んでいた。 エリックは何度か木の根っこと間違えて蛇を踏んで足を噛まれたが、幸い頑丈な革靴に助けられ傷を残すような事は無かった。 人の掌より大きな虫や色彩豊かな毒蜘蛛。ヒルのウヨウヨ生息している沼地など、眉を顰めるような事ばかりだったが、時折はいい香りのする珍しい果物をもいでは喉を潤すこともあった。 そんな時は大変な道のりには違いないが、ヴィクトーと出会わなければ一生、こんな経験はできなかったに違いないとしみじみとした気持ちになった。 密林の夜は早くやってくる。 明かりが乏しく先に進むには早朝を待つしか無い。 野営のテントの中、毒虫に足首を刺されたエリックは現地スタッフから貰った変な匂いのする正体不明の軟膏を塗っていた。 「この先、谷を下ったところに一つ目の石碑が埋まってるそうだよ。昼前には拝めそうだぞ。……足は大丈夫か?エリック」 テントを捲って中へと入って来たヴィクトーが、心配そうにランタンの明かりを患部へと近づけた。 患部は赤く腫れ上がっていたが、エリックは大丈夫だと首を振った。 「明日、歩けそうか?」 「勿論!こんなのへっちゃらだ。タオが数日すれば腫れが退くって太鼓判押してくれたもの。それより、僕ちょっと気になることがあって…気のせいかもしれないんだけど…」 そう尋ねたエリックの顔は少し不安そうだった。それは微妙に揺れるランタンの不穏な明かりのせいばかりではないだろう。 「うん?…何が気になってるんだい?エリック」
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