開かれゆく扉

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□47.迫る危機□ 「不思議な話ですが、私の男根が川に流されて行かなかったのは、このペンダントが引き留めていたからなんだそうです。 兄が拾い上げた時にこれが男根に絡まっていたそうですから。 それから不思議な蝶が私の周りに飛び始め、精霊が見えるようになり初めて…」 以前にもシュアンに聞いた話はその時には現実味がなく、どこか遠い世界の物語のようだった。 だがこうして遺跡を目の当たりにすると、今はもっと現実のものとして自分に迫ってくるようだった。 シュアンが指で弄ぶそのペンダントは、エリックの持っているペンダント同様まるで木の破片のようにしか見えない。 本当はこれはただの木ではないのでは? じっとその破片を見つめるヴィクトーにシュアンは更に話を続けた。 「身体が良くなった私はその蝶に導かれてこれらの遺跡を見つけました。 そして精霊は決まってその遺跡の前に悲しそうな目をして佇んでいた。 それらが何なのか、なぜこんな所に私を導くのか長いこと分かりませんでしたが、今まで私の身に起こった事全てが、今日のための布石だったんじゃないかと思えるんです。 全ての出来事は遠い国から貴方をここに導びき寄せるために仕組まれた事だったんじゃ無いでしょうか」 仕組まれた事…? 父の死もエリックやシュアンの凄惨な過去も、そのために必要だった事だと言うのか。 ならば誰がそんな事を仕組めるって言うんだ。 目に見えないどんな力が働いていると言うんだろうか。 遺跡の探索を始めて一週間が経ったこの日、ヴィクトーが夜半にテントの中で、手に入れた碑文の整理をしていた時の事だった。 何か小さな虫の鳴くような音が風に乗って細切れに聞こえた気がした。 それは小さな口笛の音に似ていた。 暫く聞いていると、それはそこかしこから聞こえ始め、まるで会話でもしているようなざわめきにも聞こえ始めた。 ふと、ヴィクトーは数日前にエリックが不思議な事があると言っていた事を思い出した。 エリックを見ると昼間の疲れからか今夜は夜具の中でぐっすりと寝息を立てていた。 ヴィクトーはエリックを起こさぬように、そっとテントの端を指先で捲って、その隙間から見える夜のしじまに目を凝らした。 外は暗いまま何も見えない。 虫の声がしたが、さっきの音とは明らかに違う。 やはりあれは口笛だったのか? だとしたら、かなり沢山の人間が我々のテントを取り囲んでいることになる。 一瞬、ヴィクトーは己の考えにゾッとした。 暫くじっと耳をそば立てていたが、間も無く何も聞こえなくなり、再び辺りは静寂に包まれた。 結局は明け方までヴィクトーは眠れなかったが、あの不思議な口笛を聞く事はなかった。 だが嫌な予感を抱えながらも探索は続行された。 探索予定は今回は二週間と決めていた。 この二週間で出来るだけ多くの遺跡を訪ね、できるだけ沢山の言葉を集めたい。 自分達の帰りを首を長くして待っているグリンダのためにも、明日はいよいよ最後の遺跡に臨むのだ。 これまでで一番難関な場所にあるそれは、シュアンが以前に近づけなかった場所だった。 シュアンの話だと、切り立った崖の上に蝶が柱のように群れを成して飛んでいた場所があると言う。 今回は機材もある。 ちょっとした登山になるかもしれないが、最後の遺跡には期待が持てた。 ◆◆◆ 「これだけ違うねぇ〜、何だろうね。やっぱりこれだけ他の文章とは違う」 床に散らばった資料の真ん中に座り込み、グリンダはあの生と死の伽藍の石櫃からヴィクトーが書き写して来た文字の羅列に視線を走らせていた。 「男、女、これは良く出て来るから分かるんだよ。だけどもう一つ、何だろうねコレは。 太陽と月と…何らかの薬草の名前でも羅列してあるのか?…それから…虫、蝶か…?ここで例の粉らしき文字。蝶と粉…粉?ああ、鱗粉のことか?宗教儀式にでも使う物の説明なのか…?」 正しく解読に寝食も忘れて没頭している。そんな感じだった。 そんなところへノックの音がした。 煩わしそうに扉に視線を投げたが、応える気はないらしい。 だが執拗にドアはノックされた。 ヴィクトー達は二週間は戻らない筈だ。こんな偏屈婆さんの所へなど誰が来るものか。 そう思ってグリンダは三度目のノックも無視しようと決め込んだ。 だが三度目にノックされた時、ドアの向こう側の人物がこう言ったのだ。 「こんにちは、私はエリックさんに頼まれて来ました」 「…エリック?」 孫のようなあのエリックの顔がグリンダの脳裏を掠め、同時に嫌な予感が走った。 もしやヴィクトー達に何かあったのではあるまいか。 そう思ったら矢も盾もたまらず、用心深い彼女らしからず不用意にも扉を開けてしまったのだ。 グリンダの目の前に立っていたのは小柄で痩せた墨衣の男。首にはクルスが下げられていた。 「まさか…!死んだのかい?!」 神父の思わぬ訪問に、グリンダは思わずそう叫んでいた。 「はい?誰が死んだんですって?…私はジョルダンと言う者です。怪しい者ではありません。 いえね、こちらにエリックさんと言う青年から訪ねるように言われていたんですが、いらっしゃらないんですかな?」 ジョルダンは内心、しめたと思った。 これは当たりだ。 彼女はエリックの事をよく知る人物に違いない。 神父の背中に回した手が物陰から様子を伺っていたエッカーマンへとOKサインを作った。 「ついに見つけたか、くそ坊主」 そう呟くとエッカーマンは不穏な笑みを口端にのぼらせながら、物陰から身を起こした。 ジョルダンとエッカーマンは無い知恵を絞って、エリックを探し回っていた。 手当たり次第にエリックの名を出してはこの辺りの家々をしらみ潰しに訪ね歩いていた。 訪問の理由など何でも良かった。ただエリックと言う青年の名前を出し、その反応を伺うだけ。 ここはハノイ。そうそうエリックと言う名前などない筈だ。 そんな企みなど知らぬグリンダは眉を顰めながらつっけんどんに答えた。 「エリックはここには今いませんよ。悪いが帰ってくれないかい?」 仏頂面で素気なく返され、ドアまで閉められそうになってジョルダンは慌てた。 「ああ待って、、か、彼はいつ帰って来るのかな?」 閉まりそうなドアに手を掛け、部屋の中を覗き込もうとする仕草に、勘のいいグリンダは不信感を抱いた。 「ドアを閉めたいんだ。手を離しな!」 「いや、そのそんな事を言わずに、イエス様の有難いお言葉でも…」 「坊主の話なんぞ興味が無い!離さないと大声出すよ!」 一つの扉を巡って力の弱い者同士がすったもんだしている所へ、グイっと有無を言わさぬ力でドアは外側へと開けられた。 「こんにちは、マダム。突然お邪魔してすみませんねえ」 軍服を着崩した素行の悪そうな男がぬっとグリンダの前へと立はだかった。 足はドアを閉められないように一歩部屋の中へと踏み入れられていた。 グリンダにただならぬ予感が走った。 「あんた達、何者だい?!こんなババアの所に何の用があるって言うんだ!」 怪しい男二人を目の前に、殺されるかも知れない窮地に立たされながら、強気なグリンダは一歩も引こうとはしなかった。
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