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□52.口笛と未知の領域□
第52話 口笛と未知の領域
崖を登り切った所で現地スタッフが松明で出迎えてくれる筈だった。
だがそこに待ち構えていたのは現地スタッフでは無く、身体中毛むくじゃらで黒くて長い手足を持った化物だったのだ。
ヴィクトー達は驚きと恐怖に目を見張り、腰を抜かしたような状態になっていた。
錯綜する頭の中では自分達は既に死んでいて、あり得ない幻を見ているのではないかとすら思った。
松明はどんどんと増えて行き、しまいには数十人の化け物達が手に手に松明を持ってヴィクトー達を取り囲んでいたのだ。
だが明かりに照らし出されたその姿をよく見ると、毛むくじゃらだと思った身体は毛足の長い何かの繊維で出来た衣服。
そして真っ黒な顔と手足は何かの染料で雑に黒く塗っただけの人間である事が分かった。
ギョロギョロと良く動く目は白目ばかりが目立っていて、それが一層化け物のように見えるのだ。
そしてそんな彼らの足元には、恐怖に縮み上がる三人の現地スタッフが蹲うずくまって震えていたのだった。
密林に来て初めてヴィクトーは恐怖を感じていた。
「あ、…貴方達は誰ですか!」
ヴィクトーが意を決して彼らに放った言葉が通じる雰囲気は微塵もない。
沢山の部族の言葉を操れる現地スタッフに助けを求めて目配せしたが、首を横に振るばかりでその目は逆にヴィクトー達に助けを求めていた。
と言う事は、今ここには彼らと意思疎通できる者が一人も居ないと言う事なのだ。
「ヴィクトー、どうしましょう。何とかして僕等が怪しい者では無いと伝えないと…」
青ざめたタオがヴィクトーに震える声で囁いた時だった。何処からともなく小さな小鳥の囀りが聞こえた。
初めは一羽、それに応えるようにもう一羽、やがて沢山の囀りがまるで会話をしているようにヴィクトー達を取り囲んだ。
そう、鳥の囀りかと思われたそれは、彼らの発する口笛だったのだ。
エリックとヴィクトーはその口笛に鳥肌が立っていた。
「ヴィクトー…!これ…、僕の聞いた口笛です!」
「ああ、知ってる。オレも真夜中に聞いた。あの口笛だ!」
二人の会話にシュアンが割って入った。
「私もだいぶ前から気になっていました。真夜中に最初は虫の声かと思っていて…」
「ボクもです。聞き違いかと思って誰にも言わなかったけど、確かにこの口笛でした」
結局は皆この口笛に気がついていたのだ。しかも随分前から。
「オレ達はこの密林に立ち入った時からずっと彼らに監視されていたんだ…!
そして、この小鳥の囀りが…これが彼らの言語なんだ…!」
ヴィクトーがそう口にした時、小鳥達の騒めきが一斉に止み、その目はヴィクトー達に鋭く注がれたのだ。
彼らは何者で、自分達をどうしたいのか。
四人は身を寄せ合って小刻みに震えていた。
そこにあるのは恐怖。それしか存在しなかった。
◆◆◆
「それで、お前は教会に逃げ戻って来たのだね?」
グリンダの家から命からがら自分の教会に逃げ戻ったジョルダンは、さっきから顔も上げられず萎縮しながら天使の足元に跪いていた。
そこには腕組みをした尊大な佇まいの異端審問官ラウェルが一見穏やかそうな顔でジョルダンを見下ろしていた。
「我々の先達は長きに渡り、どんな地の果てへでも出向いて布教をして来たんだよ、ジョルダン神父」
「は、はいそうですっ、そうですが、…それではまるで私に密林に行けとおっしゃっているように聞こえますっ!」
祈るように手を組んだジョルダンがラウェルを目の前で狼狽えていた。
いや祈るようにではなく、それは正しく祈りだった。
「わ、私は密林になど行った事などありませんし、彼らはいずれは戻ってくるのですから…」
「ですから何なのだ!!」
ラウェルの取りすました美しい顔が一変、地獄の番人のような恐ろしい形相になり、讃美歌しか歌ったことのさそうな涼やかな声からは想像も出来ない雷いかづちがジョルダンの頭上へと落ちた。
「次なる奇跡とやらが実行されてからでは遅いのだ!
今まさに復活の悪魔は密林にいる!奇跡など許されん!早く行って私の元にそのエリックとか言う者を連れてくるのだ!!」
「いえしかし」そう言い募るジョルダンをラウェルは尚も恫喝した。
「密林だろうが何処だろうが険しい道こそ神への一歩なのだ!お前の真の信仰を見せたくば早く行くのだ!ジョルダン!!」
とんだ無茶振りだ。
自分は涼しい顔をして高みの見物。自分ばかりなぜこんな目に合うのか。
腑に落ちない思いがジョルダンの中に渦巻いた。
密林どころか山登りすらろくにしたことも無いジョルダンにとっては死んで来いと言われたのに等しかった。
エッカーマンの所へも戻れず己の教会からも追い出され、ジョルダンは泣きながら当て所なく走っていた。
こんな理不尽があるものかと神を恨みながら。
◆◆◆
夕暮れを過ぎた人影まばらな学院の廊下に、学院長の野太い怒鳴り声が響き渡った。
「なにぃ?学生どもが戻って来ないだと?どう言う事なんだ!」
教授と思しきヒョロ長い男が、学院長を目の前に青白い顔でシドロモドロになっていた。
「み、密林で命を落としたか或いは……、ね、寝返ったのかもしれません!ど、どう致しましょうか」
「どう致しましょうかでは無い!こうしてぼーっとただ待っていても仕方が無い!」
「で、ではどう…、、」
このまま手をこまねいていては先を越されてしまう。ヴィクトー達か他の何者かか、或いは…。
たった一つの計画の狂いにに珍しく学院長は焦っていた。
初めは半信半疑だった不老不死に繋がる秘密、『化け物の棺』。
それはヴィクトーの父、ルネの頃から密かに狙っていたお宝だった。
あと少しのところでそれが己のものになるかもしれないと思うと気持ちは逸った。
だと言うのにここへ来て人任せにした結果がこれだった。
こうしてる間にもヴィクトーは謎を解き明かし、めでたく棺を手に入れているかもしれないのだ。
もう落ち着き払っている場合では無かった。
いつも冷静沈着、虎視眈々な男の気持ちがいつになく騒ついていた。
そこには死んだかもしれない学生達への思いは微塵もなかった。
「どうするか、だと?
ならば私が行こうではないか密林へ!
ついては隊を組む!急いで人と資材を掻き集めるんだ!」
こうして御大自らが密林に出向くことになったが、ここにもう一人密林を目指そうとしている者がいた。
グリンダの家に取り残されたエッカーマンだ。
グリンダの家の中には様々な遺跡の資料が残されていたが、その中にはヴィクトー達の日程やルートが書かれてある物もあった。
それを手にエッカーマンは不敵に笑っていた。
「行ってやる密林へ!待ってろよ、棺は俺の物だ!」
大戦下を生き延びた元軍人は体力にもサバイバルにも長けていた。
『化け物の棺』に関する資料と食料品や日用品、密林で当面必要そうな物を掻き集めたエッカーマンは、この日密林を目指してグリンダの家を後にした。
「ええ?!資料を全て置いて来た?!」
相変わらずのんびりと進む牛車の荷台。グリンダからことの顛末を聞かされたエルネストが素っ頓狂な声を上げていた。
「そんなに驚く事はないさ。全ては私の頭の中にあるんだから、あの男より先にヴィクトーに会わなきゃ取り返しのつかないことになるからね」
「ええ?!それ本気で言ってるんですかマダム!密林に本当に行く気ですか!」
「嘘ついてどうすんだい!それにしても…牛歩とは良く言ったもんだ。どうせなら車を捕まえれば良い物を!」
牛車に揺られた二人は無謀にも、今から大変なミッションに挑もうとしていたのである。
こうして『化け物の棺』に関わる全ての者達が密林へと吸い寄せられていた。
だが一方で、その密林ではヴィクトー達が未知の領域に直面していたのである。
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