邂逅

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□58.アドモス、愛しいあなた□ 第58話 アドモス、愛しい貴方 散り散りに逃げていた隊員達も、この密林では戻ってくるより他に宛ははない。 だがいざ戻ってみたら大将の首は学院長からエッカーマンにすげ変わっていた。 「密林探索にしちゃあ結構な量の爆薬を揃えたもんだな。おフランス殿は今度は密林侵略なさるおつもりで?」 学院長に皮肉を言いつつ隊員達を働かせて爆薬や銃を一箇所に集めさせたエッカーマンはまるでお山の大将気取りでそれらを眺めた。 学院長の腰には縄がうたれその紐はエッカーマンが握っている。それはまるで猿回しの猿だ。 「なあ、お前、私と取引をせんか。棺が手に入ったらお前にくれてやるから腰縄を解いてくれんかね」 勿論、本気でそんな事を考えている学院長では無い。 背後をチラチラ伺いながら脂下がった顔で諂った笑みを浮かべている。 それを見たエッカーマンは小馬鹿にした薄ら笑いを浮かべて学院長の尻を蹴飛ばした。 「フン、軽々しい奴だ。だいぶ俺をみくびっているみたいだなぁ」 「か、考えすぎだ。なら、棺に金もつけてやろう、それならどうだ」 「ククっ、それが俺を見くびってるって言うんだよ!分からねえとは重症だな」 エッカーマンは学院長の戯言などお見通しだった。 どうせそんなのは口先三寸の二枚舌。この下衆びた男が守るはずもない事は、これまでの彼の経験上容易く想像出来た。 続けられる学院長の愚かしい交渉にはもう耳すら貸さずにエッカーマンは現地人らしき隊員に声をかけた。 「おい、この崖はどこまで続いてる」 エッカーマンをフランス人だと勘違いしている男はドギマギと身振り手振りでカタコトのフランス語で返した。 「わ、分からない。東は中国、西はカンボジアまで続いていると言う人もいる。とても長い、とても大きい」 エッカーマンはそれを聞きながら思案気に東西に伸びた崖を眺め、その高さを目で計った。 「成る程ね。要するに、ここを登っていくのが手っ取り早いってわけだな。高さは…そうだな、300フィートくらいでほぼ垂直か…」 そう口の中で呟いた直後、エッカーマンは作業していた隊員達に向かって叫んだ。 「おい!この中で山登りが得意な奴はいるか!あの崖の向こうを偵察する!志願すれば報奨金を出すぞ!なあ?学院長殿?」 「なっ、私はそんな事は」 そう言った途端にエッカーマンは眼光鋭く猿回しの紐をきつく引いた。学院長はよろけて尻餅を付きながら喚いた。 「分かった!分かった!出すぞ、報奨金を出す!」 流石軍隊経験者だけあってエッカーマンは兵隊の使い方には慣れていた。 あっという間に十人が集まり崖の上を目指すことになった。 隊員達は銃の代わりに背中にダイナマイトを背負わされ、何か有れば脅しに使えと言われて崖上に送り込まれた。 崖にはヴィクトー達が登る時に使ったロープが二本崖の上から垂れている。 それを利用して最初の一人が足場を組んで、それを足がかりに次々に男達が崖の上を目指してよじ登っていく。 まさか上では部族の男達が待ち構えているとも知らずに。 エッカーマンはその様子を下から高みの見物よろしく眺めていたが、一人の男が不意に落下してきたのだ。 慌てて落ちた男の元に行ってみると、男の首には矢が刺さり、落下したせいで首の骨が折れて絶命していた。 明らかに崖の上には兵士たちを狙っている何者かがいる。 「ふうん、崖上で待ち伏せねえ」 崖のすぐ上では部族の男達が矢を番え、登ってこようとする者達に狙いを定めて待ち構えていた。 エッカーマンは舌打ちすると崖の上を狙って銃を構えた。 だが崖の上の人影はここからでは目視できない筈だ。 学院長や隊員達はエッカーマンが何を狙っているのだろうと不思議に思っていると、構えた銃口が火を吹いた。 その瞬間、崖の途中でダイナマイトが炸裂する閃光と爆発音が轟いた。 エッカーマンは他ならぬ、彼らの背負ったダイナマイトを狙っていたのだ。 ダイナマイトは連鎖的に次々に爆発し、隊員達は勿論の事、部族の男達をも巻き込んで崖が大きく崩落したのだった。 ついに無為な血が流されてしまう事態となったのである。 ヴィクトー…   …ヴィクトー… 暗闇の中、誰かが自分を呼んでいる。 頭の中でその声は奇妙に反響する。 ヴィクトー…   ヴィクトー…アドモス…愛しい貴方…。     私はここにいて貴方を待ってる。 誰だ?君は…。アドモス…?何の事だ…? 目を凝らすと闇中でヒラヒラと目の前を紫の羽をそよがせた蝶が飛んで行くのが見えた。ヴィクトーが手を伸ばすと紫の羽は薄布となってふわりと広がり、白く輝く肢体を包む衣になった。 白く透ける肌、その香り。 覚えている。 ああ、オレはこの香りを知っている。 否応なくヴィクトーを虜にして止まない幻の君。 濡れて光る紫の眼差しが揺れてヴィクトーを見つめ、静かにその人はヴィクトーの目の前に佇んでいた。 ああ…パピヨン。随分と久しぶりだ。 相変わらず君は美しい。 君が誰なのか、教えてくれないか。 頑張ったけど、とうとう分からなかったよ。 もう疲れてしまった。 そこへ連れて行ってくれ…パピヨン…。 ヴィクトーの意識がパピヨンへと誘われて行こうかと言う時、また違う誰かの声が騒々しく自分を呼んでいる。 …ヴィクトー…! 目を開けて! 目を開けてよ! 誰だオレを呼ぶ声は…オレはこの声を良く知っている。 ヴィクトー! 「ヴィクトー!」 ヴィクトーは土埃に塗れて今度こそ本当に目が覚めた。 エリックが目覚めたヴィクトーの首に取り縋って泣いていて、心配そうに覗き込んでいるタオと、ヴィクトーの手を握るシュアンがいる。皆一様に土埃で真っ白になり、顔も土に塗れていた。 「良かった!助かって本当に…、ヴィクトー…本当に良かった」 エリックはまだ朦朧としているヴィクトーに泣きながらキスの雨を降らせていた。 この状況が一瞬ヴィクトーは理解できずに呆然として辺りを見渡すと、足場にしていた崖が崩れ、洞窟の入り口から直にぽっかりと青い空が見えている。 同じように土まみれの男達があちこちで咳き込んだり、血を流したりしてしゃがんで居る。 ようやくヴィクトーの頭が追いついた。 ああそうだ。 下から登ってきた兵士が爆発して最前列にいた自分の足場が崩落したのだ。 土砂に揉まれて視界が塞がれ息もできなくなって、その時沢山の手が自分を引っ張ってくれた気がする。 それは皆んなの手だったのか。 「ありがとう…皆んな」 混乱の中で一頻り無事を喜び合う一方でヴィクトーは激しく心が乱れてもいた。 自分達がここに来なければこんな事にはならなかったのではないか。悠久の時を刻む平和な村が、穏やかに暮らす人達が脅かされる事は無かったのではないか? ただ自分の記憶を取り戻したい。長年自分を惑わせるパピヨンとは何者なのか知りたい。それだけだったはず。 国を出た時にはこんな未来を予想したろうか。自分が追い求めているものはこんな風に関係のない人たちに死の犠牲を強いるようなものだったか? 心が萎えかけた時、気を失っている時に聞いたパピヨンの言葉がヴィクトーの脳裏に鮮やかに蘇った。 あれは一体何だったのか…。 『アドモス…愛しい貴方…私はここで貴方を待っている』
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