導き

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□60.ゾウの墓場と謎の道□ 狂ったように走り出した象は、そうそう簡単には止まらない。 どこまでも川を遡り、密林の奥地へと突入して行った。 象の背中に頑張ってしがみつくにしても、グリンダもエルネストももはや限界だった。 「ミス・グリンダ!私はもう限界です!最後に貴女と出会えて楽しかったですよーーーっ!!」 悲観的になっているエルネストが激しく揺さぶられながら泣き言という名の遺言を叫ぶのに対して、グリンダはと言うとどこまでも肝が据わった婆さんだった。 「こんな時に情けない事を言うのはおよしっ!アンタ私より若いんだろう?!こんな所でくたばるつもりかい!」 強気な事を言っても、どう見てもグリンダの方が早く振り落とされそうだった。 もうダメかと思い始めた頃、漸く象の歩みが止まった。 殆ど同時に二人は象の背中から水辺へと落っこちた。 髪は降り乱れ、疲れ切って呆然となった二人は激しく息を喘がせていた。 「はーっ、はーっ!ミス・グリンダ…っ、生きているかね…」 「ふぅ、はぁ、何とか生きているみたいだよ…、ところで…ここは何処なんだい」 漸く我に返って辺りを見渡すと、今まで走っていた象は全力を使い果たしたのか水の中にバッタリと倒れて動かなくなっている。 水飛沫を浴びて見上げた先には滔々と流れ落ちる滝があり、大きな水溜まりのような滝壺の(へり)に二人は腰まで水に浸かってしゃがみ込んでいた。 「滝…のようですな…。ほう、これは見事な滝だ!」 こんな時に思わず見惚れて驚嘆の声を上げたエルネストの傍で、グリンダが小さな悲鳴を上げた。 「エルネストさん!ここは…凄い場所かもしれないよ!ここは…ここは幻の象の墓場というやつじゃないのかい?!」 グリンダが興奮した声で、彼女の近くに転がっていた象の頭蓋骨らしきものを撫でている。 その視線が見渡す先には、幾つもの白骨化した象らしき骨達が、滝壺の周りに累々と横たわっていた。 「これは…!これは凄い発見だ!象の墓場なんてのは、荒唐無稽な噂話だと思っていましたが…本当に存在するとは…!」 象の墓場とは、自分の死期を悟った象が死ぬためにだけにやって来る秘密の場所がある。という伝説なのだが、普通の感覚の持ち主なら、この危機的状況下に、象の墓場で感心する前にもっと違う事を考えていただろう。だが生憎この二人は似た者同士の学者バカだった。 「これは何年前のものだろう。随分と新しい物から相当古そうな物もあるぞ。これは貴重なサンプルだ!これは象の甲状軟骨だな!」 まだ新しそうな骨のかけらをエルネストが水からつまみ上げると、すかさずグリンダが興味深そうに覗き込む。 「これが甲状軟骨かい?なるほどねえ、象は人間には聞こえないとても低い声で話しているという説もあるが、この形状に秘密があるのかもしれないねえ」 「おっ!こっちのは相当古そうだぞ!」 今の状況を忘れて二人は夥しい象の骨を夢中になって次々と物色していた。滝壺の水位が異常なほど上がっているのも気づかずに。 「おや?エルネストさん、何だか水が…」 水に広がるグリンダのスカートが胸の辺りまで上がっている事でようやく異変に気がついた。 「ああこりゃいかん!水の水位が急に上がると言うことは…」 「と言うことは…何だい…」 何処かで腹の底から湧き出すような嫌な音が聞こえてきた。 それは強いて言うならば水底の線が抜けて勢いよく水が吸われていくような音。 「これは…!いかん!ミス・グリンダ!早く岸に上がるんだ!…うわぁぁ!」 「エルネストさん…!これは…っ、、ヒっ、、ぶ、」 そう言っている間に本当に水底の蓋が開いたように滝壺の水が勢いよく渦を巻いて二人を飲み込んだかと思うと、二人とも逆巻く流れに足を取られ身体は水圧に負けてあっという間に滝壺から姿が消えてしまったのだ。 そして滝壺の水面は何事もなかったように再び静かに滔々と流れ落ちる水を湛え始めた。 まるで何も無かったように。 象の墓場からそう遠くない場所で、全てから取り残された男が一人荒れ果てた密林の中を、相変わらずの覚束ない足取りで歩いていた。 そう、あのジョルダン神父だ。 無防備な彼がここまで来られたのはもはや奇跡ではなく、神の思し召しではないだろうか。 途中、まるで戦争かと思えるような場面に遭遇し、見知らぬ沢山の部族達に訳もわからず追われ、様々なものに怯えながらもなんとかここまで辿り着いたのだ。 「だいたい無茶苦茶なんだよ!何も分からないのにこんな所までやってきちまって、これからどうしろって言うんだ…」 ぶつくさと文句を言いながらも密林にたどり着いてみればそこは所々焼け爛れ、エリックを探して当て所なく彷徨う先には空を禍々しく覆うほどの蝶の群れが飛び交っている。 引き返したところで異端審問官のラウェルが待ち構えている。 「ああもうイヤだ…このままどっかに逃げちまおうか…ヨーロッパからハノイに逃げて来たのに、今度はハノイから何処に逃げれば良いっていうんだよぉ」 神父の身でありながら、神を呪いながらジョルダンは当て所ない歩みを続けていた。 いつの間にか川縁に出て来た所でジョルダンは思わぬ人物に出くわした。 水飛沫を上げて二人の男達が川を上流に向かって走って行くのが見えた。 一人は太った中年の男。そしてもう一人は自分をいとも簡単に撃ち殺そうとしたあの恐ろしい男、エッカーマンだ。 咄嗟にジョルダンは物陰に身を隠した。 「エッカーマンじゃ無いか!あの男どこに行こうとしているのだ…。あいつはヴィクトーとか言う学者を探していたはず…となれば、エリックは…」 あわよくば漁夫の利を得られる筈だと姑息にも考えたジョルダンは、なけなしのやる気を振り絞って、エッカーマンの後を追いかけていた。 同じ頃、崖の上のヴィクトー達は後から後から湧き出てくる蝶の群れが一体何処から来るのか突き止めようとしていた。 「今までオレ達は紫の蝶に導かれ、この蝶を追いかけてここまで来たはずだ。棺に関する石碑や碑文でもあれば良いと思ってここまで来たが、もしかしたらオレ達はもっと核心に近い場所にいるんじゃないか?」 「…と言う事は…棺そのものがあると…?」 そう言ってタオが見上げたヴィクトーの視線は真っ直ぐに蝶がやって来る方角を見据えていた。 この時、四人の気持ちは一つになっていた。 言葉にせずとも互いに見交わす眼差しが言っていた。 「この蝶の道を辿ってみよう」と。
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