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□64.晴れがましい日に□
その微かな叫び声に最初に気がついたのはエリックだった。
シュアンを囲んで助かって良かったと喜び合う三人に阻害感を覚え、何処か気持ちが遠のいていた隙間を突くように、その微かな声はエリックの耳に届いたのだ。
だが最初は思い違いだと思い、エリックはもう一度その声に集中してみた。
すると今度はさっきよりもはっきりとその声が聞こえたのである。
『ヴィクトー私はここだ、エルネストだ』と。
その瞬間、エリックは驚きのあまり声を張り上げていた。
「ええ?!エルネストさん…?!」
突然エルネストの名を叫んだエリックに、何事かと皆一斉に振り返った。
見るとエリックは何やら血相を変えて正面の壁を両手で叩きながら訴えた。
「ヴィクトー!この壁の向こう側からエルネストさんの声がします!エルネストさんがヴィクトーを呼んでます!」
「なに?!エルネストだと?!」
今度はヴィクトーが血相を変えて壁に張り付き耳を壁に押し当てた。
壁の向こうからは確かにエルネストが己を呼ぶ声がしていた。
何故ここに彼がいるかなど二の次にしてヴィクトーは瞬時にその声に応えて叫んでいた。
「エルネスト!エルネストーーー!!聞こえるぞ、オレだ!ヴィクトーだ!!」
壁の向こうではヴィクトーのその声をキャッチした二人が喜びに沸き立っていた。
「聞いたかい?!ヴィクトーだ!ヴィクトーの声だよミス・グリンダ!」
「ヴィクトー!私もエルネストさんと一緒なんだ!そんな所にいないで早くこっちにおいで!」
思いがけないグリンダの声にヴィクトーの頭は混乱し、何故あなたが…、と言いかけた時、更にショッキングな言葉がヴィクトーの耳に飛び込んで来た。
「遺跡を見つけたよ!ヴィクトー!アンタの探してる遺跡を見つけたんだよ!」
衝撃だった。
人間はあまりの衝撃を受けた時には耳も口も思考も何もかもが何処かに吹き飛んでしまうことがある。
今のヴィクトーはまさにそんな状態だった。
何も言わなくなってしまったヴィクトーに、グリンダが畳み掛けた。
「聞いているかい?!碑文なんてもんじゃ無いよ、これはもう遺跡だ!そんなとこでグズグズしてる場合じゃ無い!早くこっちにおいでヴィクトー!」
隣にいたタオが、固まるヴィクトーの身体を揺さぶった。
「ヴィクトー!やりましたね!エルネスト先生たちが遺跡を見つけたんですよ!早く向こうに行きましょう!」
一拍遅れてヴィクトーは「ああそうだな」と頷いた。
「エルネスト!オレも直ぐにそっちに行くよ!何処かそちらに抜ける通路が無いか!」
まだ頭の何処かが痺れていたが、漸くヴィクトーの頭に血流が蘇って来た。
壁をペタペタと叩き視線が忙しく壁の向こうへ抜ける場所を探し始めた。
「どこだ?どこから行けるんだ?」
「ヴィクトー…こっちです」
不意にそれまで黙っていたシュアンがヴィクトーの手をとって壁に沿って歩き出したのだ。
「お、おいシュアン?」
「大丈夫です」
シュアンがキッパリと言い切った通り、突き当たりまで行くとそこで行き止まりだと思っていた場所に細い通路が通っていることが分かった。
シュアンは躊躇なくその細い通路を歩いていく。
彼について行きながら、エリックは不思議でならなかった。
まるでこの場所を良く知っているかのように淀まない歩み。
皆不思議に思わないのだろうか、滝に飛び込んだ時シュアンはパピヨンだったはず。
水底に沈んでいた時だって溺れもせずに水も飲んでいなかった。
彼を包んでいた光のヴェールは皆には見えていなかった?
そんな事ばかりが頭に渦巻いて、この場に至ってもなお、エリックには高揚感をヴィクトーと分かち合う事ができないでいた。
その通路は短く、少しだけ進んだところであっけなく開けた場所にぽんと抜けた。
そこは自然の作った大聖堂、大伽藍という表現が相応しい空気の漂う空間だった。
「ヴィクトー!!」
そこに待ち構えていたのは懐かしいエルネストとグリンダだった。
二人はヴィクトーを思い切り抱きしめた。
「エルネスト!グリンダ!なんでこんな所にいるんだよ!はは!凄い格好じゃないか!はははは!」
そう言うと二人を両脇に抱えるようにヴィクトーも二人を抱きしめ返し、久しぶりに皆で声を立て笑っていた。
「だけど本当に皆んな凄い格好だこと!」
皆を見渡せば土まみれ泥まみれ、ずぶ濡れで髪を振り乱し、揃いも揃って酷い有様だった。
だが誰も欠けてはいなかった。
こうして不思議な縁に導かれ、ここに漸く一同が会したのだった。
皆が嬉しそうに笑っていた。
この壮大な遺跡を前にして、ここまで辿り着いた互いの経緯を楽しげに語り合い、空腹も忘れて夢中になってこの遺跡について話している。
そんな皆の様子をヴィクトーは嬉しそうに目に細めながら眺めた。
この時のヴィクトーは確かに報われた気持ちだったのだ。
遺跡探索など結局は絵空事。父然り、自分も然り、周りの人達や時には実母からも冷めた目で見られていた親子の悲願がここに漸く結実を見た気がしていたのだ。
「エリック。オレはフランスを発つ時、こんな日を迎えるなんて想像もしていなかったよ。この発見で歴史が変わる。変わるぞエリック!これで棺が見つかれば何も思い残すことはない。必ずここにそのヒントがある筈だ」
高揚感に満ちているヴィクトーの隣で口数少なく佇んでいたエリックの肩をヴィクトーが引き寄せた。
本当ならヴィクトーに飛びついて喜びを分かち合えると思っていた筈なのに、今のエリックにはこんな憎まれ口しか出てこなかった。
「…貴方は…こんな時ばっかりずるい…!心の中ではいつだってパピヨンを選んで来た癖に、どうしてこうやって僕を愛してる振りなんかするの?」
思いもよらなかったエリックの言葉にヴィクトーは驚いてエリックを見た。
辛そうに唇を噛み締めるその顔は笑顔とは程遠い所にあった。
今まで自分の隣で同じ夢を食んでくれていたとばかり思っていた。
なのに突然の反旗にヴィクトーは動揺した。
「エリック?突然どうしたんだ?」
「突然じゃありません!ずっとずっと僕の足元はグラグラしてた。でも、貴方が好きだったから、貴方の大切なものは僕の大切な物だって思っていたかった。でも、気づいてしまったんだ本当は僕を一番に愛してくれる貴方でなければ僕は嫌だった!」
よりによってこんな時にこんな風に自分がヴィクトーの喜びに水を差すとはエリックも思いもしなかった。
今まで我慢して来たものが表面張力を破って一気に流れ出すのをエリックは感じていた。
ああもうだめだ…僕達は終わりなんだ。こんな晴れがましい日に、ヴィクトーが夢に見た場所で…僕達は!
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