お金はほどほどに

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 富める者はますます富み、貧しき者は持っている物さえ取り去られる(マタイ伝13章12節)  富める者とは?13章の種まきの譬え話で石地、道端、茨の道、良い道それぞれに種が落ちる描写があり、良い道に落ちた種だけが実を結び豊かになる。その種こそがイエスの御言葉(みことば)を聞いて悟る人であって富める者であり、イエスの御言葉を聞く度に悟り、ますます富むのである。逆に貧しき者は良い道以外に落ちた種のことであってイエスの御言葉を聞いても悟れないように実を結ばす、何も身に付かないから持っている物さえ取り去られるように貧しくなるばかりなのである。  同じくイエスの言葉で、富める者が神の国に入るよりはラクダが針の穴を通る方がもっと優しいというのがあるが、この富める者とはまんま金持ちのことである。  だから前者の富める者は精神的に豊かな者で後者のそれは物質的に豊かな者ということになるが、経済学のマタイの法則に沿って前者のそれまでを物質的に豊かな者と解釈してイエスだってそう言ってるんだから富める者を目指してどんどん金を求めりゃいいんだよ、だから、お金を欲しがるのを悪徳みたいに思ってたらダメで、お金はほどほどに持ってるのが良いなんてことを美徳に思っていてはポジティブフィードバック出来なくて貧乏になるだけなんだよみたいなことを言う奴は完全に間違っている。  皆さん、金持ちになりたいでしょ、だったら悪びれずに正直にお金を求めなきゃダメですよみたいなことを此奴が盛んに言うように金が無いよりは有る方が良いと言って金が有る方を大抵の者は望むもので先立つ物は金、それは分かるが、過ぎたるは猶及ばざるが如しで金についてもほどほどにと弁え、中庸の徳を心得るべきなのだ。何せ、隴を得て蜀を望むと言って人間の欲には際限がないのだから金が有る方を望んでいては金が幾ら有っても足るを知ることが出来ず心が貧しくなるばかりで安んじれず清くなれず欲に塗れ堕落するのが落ちなのだ。  足るを知るは富むと老子が言ったではないか。温故知新で魏然たる先人たちの故事成語を学び、今に生かそうとする市井の隠の卵みたいな小生でもここまで悟れたのである。  件の奴は無類の読書家で知識が豊富なのだが、如何せん正鵠を得ることが出来ないから本人は悟っている積もりでも実は全然悟っていないのである。斯様な者が知識人よろしくユーチューバーとして発信力を持つというのは罪なことだ。ま、しかし、此奴のお陰で小生も色々学んだのであって富める者はますます富み、貧しき者は持っている物さえ取り去られるという御言葉も此奴によって冒頭に掲示したのであるが、富裕層の金回りが良くなるよう大規模な金融緩和をしたアベノミクスにより貧富の格差が拡大したことと中抜きしたりピンハネしたり搾取したりする資本家と労働者の関係を言い表しているようで資本主義社会の成れの果てを予言したのではと思わせる所もやはりイエスは偉大である。  件の奴はそんなことも言い、よくイエスの御言葉を話の中に持ち出すのだが、イエスの言う、聞いても聞かず見ても見ず悟らない輩の一人に違いなく自分の善行を吹聴したり身なりに拘ったり金儲けに執心したり金持ってる癖に何かにつけて困り顔をしてカンパを募ったり、凡そイエスの教えに反している。そんな奴が而も高級ブランド物の服を着て得意になるような奴が糅てて加えて自ら俗物を以て任じてるような奴がイエスを語るなと言いたくてこれをしたためる気になった次第だ。  況して、求めよ、然らば与えられんという御言葉さえ金のことを言ってると解釈するのは愚の骨頂だと思ったからで、これは、信じる者は救われると同義で神に祈り求めれば、神は正しい信仰を与えて下さるのである。  大体、金持ちが神の国に入るのは難しいと言うイエスが金を求めよ、然らば与えられんと言う訳がない。そんな解釈するクソは大黒天でも拝んでろ。
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