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庭の桜の木は私が生まれる前に死んだ姉の誕生樹でした。物心がつく前から庭に居座っているそれが嫌いでした。
姉ならもっとうまく、姉ならもっと綺麗に姉ならと。今はいない、成長もしない死んだ赤ん坊の姉を引き合いに出す両親。だから死んだ姉とこの桜の木のことはすっかり嫌いになっていました。この木が無くなれば自分を見てくれると思い、桜の木にナメクジや芋虫、コーヒー、洗剤、桜が嫌いそうなものを撒くに必死なっていた頃もありました。それでも毎年葉をつけて、花を咲かせる桜の木が不気味でした。
嫌いから憎いに変わったのはあの夏です。その頃、桜の木ばかり食う虫が大量に発生していました。学校や公園、とにかく町中の桜の木が被害に遭い中から腐り枯れていました。私はこれをラッキーだと思いました。早速それらをうちに連れ帰り庭の桜の木に移した。虫たちが葉を食む姿がとてもかわいかった。その日の夕方でした。家の中にいるはずの両親がいません。私は両親を探して家の中を歩きました。すると庭の方で何か物音がしました。猫足にして息を殺して、庭を覗きました。
両親がいました。桜の木に何かしています。父は脚立に登って葉や枝、幹から虫を剥がしていました。母は虫を踏み潰して桜の木に何かを塗っていました。それは強力な虫除けの薬でした。夕焼けに照らされた両親の顔は笑顔でした。世話が焼ける我が子を安心させるような笑顔を桜の木に向けて話しかけていたのです。私には一度だって見せたことがないものでした。
だから決めたのです。あの桜の木を跡形もなくこの世から消してしまおうと。
その日は、冬の寒い夜でした。父のところから盗んできたタバコ一本、秋にためた枯葉の山、それで学校の理科室から持ってきたマッチとアルコールランプ。
私は誰かのタバコの不始末に見せかけて桜の木を燃やそうとしたのです。
子どもの浅知恵とはいえよく燃えました。これでこの木はなくなる。もう両親のあんな顔は見ない。そう安心していました。両親が燃え盛る桜の木に飛びつくまでは。
もう手遅れだとわかるくらい火は空を舐めて、煙はあたりに広がっていたのに、両親は火のそばにいた私なんて見ずに桜の木に走って行きました。両親はそのまま焼け死んだのです。
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