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 黒兎はあまりのできごとに、思考が過去に戻っていたことに気付き、慌てて取り繕う。 「あ、すみません……貴方が皆川さんのご紹介で来られた方ですか?」  雅樹は、ええ、と微笑んだ。その笑みは甘いけれど、先日の同窓会で女性たちに見せていたものと同じだと、黒兎は動揺していて気付かない。  黒兎は早速中へと案内し、いずみが待つ部屋へと向かった。 「あ、木村社長。先日はありがとうございました」  いずみが立ち上がって挨拶し、そのまま雅樹と話し出す。まさか彼女が紹介したかった人物が、黒兎の長い片想いの相手だなんて、誰が思うだろうか。 「あ、それで、この方が綾原先生」  いずみが中心となって話を進めてくれ、黒兎は内心ホッとした。挨拶しながらも心臓が痛いほど大きく脈打っていたし、微笑んでいるだけで精一杯だったからだ。 「すみません先生。突然来てしまって……」  なかなか皆川さんと、スケジュールを合わせるのが難しくて、と申し訳なさそうに言う雅樹。黒兎は今にも引き攣りそうな微笑みを保ちながら、大丈夫ですよ、とソファーを勧めた。 「では先生、今日は木村社長をお願いします」  私は後日、改めて来ますねと言われ、いずみは次の予約を取って家を出て行った。  玄関までいずみを見送った黒兎は、長いため息をつく。  どうしよう、緊張で手が震える。  どうして、一生関わる事は無いと思っていた雅樹が、自分のサロンにいるのだろう? 遠くから見ていただけの憧れの存在と、言葉を交わしてしまった。 (……浮かれてる場合じゃない)  黒兎はフッと短く息を吐くと、両頬をペチペチと叩く。向こうはこちらの存在に気付いていないようだし、黒兎も言うつもりは無い。あくまでも向こうはお客様であって、それ以上踏み込む事はしない、と自分に言い聞かせる。 「お待たせしました。早速ですが、こちらをご覧下さい」  部屋に戻った黒兎は、雅樹に同意書を見せた。一応、納得して来られていると思いますが、と前置きをし、民間療法であること、治療を確約するものではないことに同意をもらう。 「良ければ、お悩みを聞かせて頂けますか?」  黒兎は話しているうちに、いつもの調子を取り戻していった。目の前にいる人が初対面だと思えば、あとはひたすらリラックスしてもらうように努めるだけだ。 「元々睡眠時間は短かったんです。けど、最近更に短くなって疲れが取れなくて」  黒兎は頷く。手を出してください、と言い、素直に出した雅樹の右手の甲を、軽く皮膚だけ摘んだ。 「……この程度の力で、摘んで戻して、というのをやっていきます」 「痛くないんですね」 「ええ。皮下組織を柔らかくして、リラックスしてもらうのが目的なので」  血液やリンパ液の流れが良くなるんです、と黒兎は手を離す。 「では早速施術に取り掛かりましょう」  そう言って雅樹をパーテーションの向こうに案内した黒兎は、着替えたら呼んでください、とテーブルの上のマグをキッチンに片付けに行った。 (よし、いつも通りやれてる)  多少はまだ緊張しているけれど、それは仕方がない、とまた息を短く吐く。平常心平常心、と心の中で呟きながらマグを洗って、サロンへと戻った。
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