壊すなら、貴方の手で18

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壊すなら、貴方の手で18

 その後、黒兎もサポートメンバーとして加わった舞台は、大盛況に終わった。ただ、どうしても初演とキャストやスタッフが変わってしまっていて、寂しさが拭えない、と雅樹は言っていたけれど。 「綾原くん、私はこれから一週間の出張に出る」 「え? あ、はい。また急ですね」  社内では敬語で話すことにした黒兎は、雅樹の言葉にそう返した。  一応、きちんとしたトレーナーではないけれど、身体のことは分かるので、応急処置や怪我予防の為のテーピングなども先輩から教わったりしている。雅樹の私情で入社したにも関わらずみんないい人で、黒兎の精神もだいぶ落ち着いていった。 「きみにも同行してもらうよ」 「……ええ?」  まさか同行とは、と声を上げる黒兎。それに対してにっこりと笑う雅樹はとてもカッコイイ。そして、前のように穏やかに過ごせるのが、とてもありがたいことだと思うのだ。  すると雅樹は黒兎の耳に唇を寄せ、「というのは表向きで、二人でゆっくり過ごそう」と囁く。その甘く腰に来る声に黒兎は肩を震わせた。黒兎は息を吹き込まれた耳を押さえる。顔が熱い。 「さあ、行こうか」  満足そうな顔の雅樹を、黒兎は少しだけ睨む。そして顔の熱が冷めないまま、雅樹の後をついて行った。  思えば二年前から、雅樹との性的な接触はほとんどないことに気付く。ハグやキスはするものの、それ以上のことをしなかったのは、やはり黒兎が全快ではなかったのも大きいだろう。  大の大人が、しかもこれだけ引く手あまただろう美丈夫が、二年間も何もしていないなんてありえない。きっと、外で発散させているのだろうと思っていたけれど。 (やばい、意識したら何か……)  二人でゆっくり過ごそうなんて言われて、勝手に期待している自分が恥ずかしい。黒兎はこっそり、熱くなった顔を手で扇いだ。  ◇◇  雅樹の運転する車に乗って、夕方に着いたのは温泉が有名な地。しかし彼が車を停めたのは、緑に囲まれたオシャレな一軒家だ。 「ようこそ、私の別荘へ」  まるで黒兎の疑問に答えるように、雅樹は玄関ドアを開ける。中は綺麗に管理されていて、スイスイと奥へ入っていく彼に慌てて付いていった。 「あら雅樹さん、お早い到着で」  廊下を歩いていたら、奥から慌てたように出てきたのは六十代くらいの女性だ。エプロンで手を拭きながら来たので、どうやらこのひとは家政婦さんで、仕事中だったらしい、と黒兎は思う。いかにも日本のお母さん、といった風情で、穏やかな雰囲気に黒兎も緊張が解けた。 「すみません永尾さん。永尾さんの料理が待ち遠しくて、早く来てしまいました」  笑顔でそういう雅樹に、あら口がお上手なんだから、と笑って答える永尾。仲がよさそうな二人に黒兎は黙ってその様子を見ていると、雅樹が永尾を紹介してくれた。 「私が小さい頃にお世話になった家政婦の永尾さんだよ。まあ、例によって父といざこざがあって、今はこんな形でこっそり雇わせてもらってる」 「よろしくお願いします、綾原さん。お話は伺ってますよ」  一体何を話したと言うのか。黒兎は雅樹を見ると、彼は黒兎を紹介してくれる。 「前から話していた黒兎です。やっと色々落ち着いたから、連れてきました」  笑顔で話す雅樹は、どことなく幼く見えた。そして、ああそうか、と納得がいく。  永尾は、雅樹の母親代わりだったのでは、と。そういえば雅樹から出る家族の話は、父親しかない。家族とまともに食事をしたことがないと言う雅樹は、一体どんな家庭環境で育ったのか。 (というか、色んなひとに俺のこと話しすぎ)  みんな受け入れてくれるからいいものの、そうじゃない人だったらどうするのか、黒兎は肩を震わせた。  永尾によると、もう少しで夕飯ができあがるらしい。少し休んでいてください、という彼女の言葉に甘えて、黒兎たちは部屋に向かう。  部屋は洋室で、ホテルのようにシングルベッドが二台、置いてあった。掃き出し窓からは森が見えるらしいけれど、冬の夕方は陽が傾くのが早いので、もう景色は分からない。 「黒兎」  荷物を置くなり後ろから抱きしめられ、黒兎は身体に力が入る。戸惑いながら振り向くと、頬を撫でられた。 (や、やっぱり、そういう目的でここに来てるんだよな?)  しかも一週間も。目の前の彼氏は、あからさまに欲情を湛えた瞳で黒兎を見ていて、黒兎は掠れる声で名前を呼ぶ。 「雅樹……?」  すると、雅樹の表情からフッと熱が引いた。綺麗な笑みを浮かべたと思ったら、彼はある人物の名前を挙げる。 「牧田(まきた)智大(ともひろ)、三十五歳。化粧品代理店の営業主任。バイセクシャルを公言していて、社内でもそこそこ人気」 「え?」  どうしてその名前を? と思って黒兎は振り向いた。雅樹は黒兎の頬を撫でながら、目を細める。惚れ惚れするような彼の綺麗な顔に、黒兎は目が離せなくなった。 「二年前、言い寄られていただろう?」 「……っ、いやあれは……っ」  そういえば、会社名と名前を菅野に伝えたのだった。彼に言えば雅樹に伝わるのは、少し考えれば分かることだったのに。案の定、雅樹は牧田のことを調べたようだ。 「ああ分かっている。私に助けを求められる状況じゃなかったからね。だから私が直接、『ご挨拶』に伺ったよ」 「……っ!」  綺麗に微笑んでいる雅樹は、黒兎のコートのトッグルを外す。まさか雅樹がそんなことをするなんて、と青ざめていると、彼は話を続けた。 「『綾原さんの恋人って男性だったんですね。じゃあ俺にもチャンスがある』と言っていた」  する、とコートを脱がされた黒兎は、不安そうに雅樹を見ていたらしい。大丈夫だよ、と雅樹は言い、黒兎はまた頬を撫でられた。 「黒兎は高校生の時から、私のことを好いていてくれているから、他人が入る余地はありません、と返したよ」 「……もう、何で勝手に……」  雅樹の言う通りだから恥ずかしい。いずみにキチンとお別れしなさいと言われて、その通りにできなかった自分の落ち度ではあるけれど、と黒兎は俯く。それでも他人の人間関係に首を突っ込んでまで、自分を束縛したいなんて、と少し複雑な気持ちになった。これも、今まで思い通りにひとを動かしてきた、雅樹ならではの行動なのだろうか。 「雅樹……養子縁組のこともそうだけど、牧田さんのことも、きちんと事前に相談して欲しい」  今まで自分で何もかもを決めて、会社を回していただけあって、雅樹はベストやベターな方法を判断するのは早い。けれど二人の関係は会社ではないし、黒兎の意思があってこそだ。タイミングだってある。 「俺は今、確かに治療しながら生活してるけど。何もかもを先回りして世話を焼かれるのは、好きじゃない」  大切な関係だからこそ、黒兎は丁寧に話した。仕事関係や、上辺だけの関係ならそれでも構わないと思うけど、と諭すように言う。 「俺は、雅樹の都合いい人間になりたくない。周りに、俺が雅樹を利用してる風に見えるのは、俺にとっても雅樹にとっても、良くないだろ?」  久々に沢山話したからか、少し苦しくなった。はあ、とため息をついて雅樹に寄りかかる。 「都合のいいだなんてそんなこと、微塵も思っていないよ」  雅樹は黒兎の頭を撫でてくれる。分かっていないな、ともう一度ため息をつくと、雅樹を見上げた。 「どう見ても、俺のこと逃げられないように囲ってるだろ」 「ああ。それの何がいけないんだい?」  雅樹の顔が近付いた。誤魔化すどころか開き直っている雅樹に呆れて、黒兎はその顔から逃げる。しかし強い力で両頬を掴まれ、キスをされた。
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