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目覚めてパソコンに向き合う。好調に筆を飛ばしていた続きのシーン。最初から書きたかった場面に差し掛かっている。
(ここの、主人公・塔矢が辿り着く地で、この話の第一部が終わる……。塔矢が『果て』を見つけて、それで……!)
すらすらとキーを叩き、やっぱりあの夢は現実とは関係ないのだと確信する。しかし、塔矢が『果て』を見つけてから起こすはずの行動を書こうとして、正人は指を止めた。
(え……? 塔矢は此処から新しい地へ踏み出そうとするはずなのに……。その新しい地を思い描いたときの塔矢の感情が分からない……!!)
どうしたことだろう。眠りに就くまでは確かに頭の中で把握できていた塔矢の感情が把握出来ない。途方にくれたのだろうか? 呆然としたのだろうか? 心弾んだのだろうか? 未知の地に恐れをなしたのだろうか? プロットに書いてあるキーワードを見ても、全然思いつけない。
(どうしちゃったんだろう、僕……。だって、もう此処まで書けてるのに……!!)
原稿の提出期限は朝八時。無情にも時計はその時刻を超え、正人はまた締め切りを破ってしまったのだ……。
『結城先生、どうされたんですか? 昨日はあと少しで完成するとご連絡を頂いておりましたが……』
川野の言葉に返す言葉もない。声を荒げることなく正人のことを責める川野は、怒るときに怒鳴り散らした父親よりも怖い。正人は、もうしません! とスマホに頭を下げて土下座した。
「もうこれ以上締め切りは破りません! 理由はなんとなく分かっているんです! ただ……、自分の中に不安があって……」
『ご不安ですか……? なにか私に出来ることはありますか?』
川野の申し出に正人は飛びついた。
「そりゃあもう! ただひたすら、川野さんは健康で居て下さったら、それでいいんです! 僕の励みになりますから!!」
あの女を傷付けることと、川野の無事は、無関係でなくてはならない。川野さえ傷付かなければ、夢で逢う女を、何度となく切りつけることなんて、締め切りを破ることに比べたら、全然怖くない。川野は正人の必死の言葉に、ふふっ、なんですか? それは、と笑ったうえで、
「私もこの前みたいな痛みはもう嫌ですからね。ストレスかもしれないと思って、最近ヨガを始めたんですよ。なかなか気分転換になって、ストレス発散にも良いです。この先も健康であり続けて、結城先生のお仕事をサポートさせてくださいね」
そう、頼もしい言葉を正人に届けてくれた。
これで安心して女と戦える。正人は原稿に向き直った。
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