卵を割るだけの簡単なお仕事です

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 1.軽く、ヒビが入るまで叩く。  2.両側を持ち、両方を傾ける。  3.中身が落下したのを確認する。  4.外装を捨てる。  以上の動作を確認して、「卵を割る」行為を想定された方は概ね正しいと言えます。今期の授業を正しく履修した証拠です。 では実際に、一緒に卵を割っていきましょう。  ……どうでしょう?  成功しましたか?  おそらく、失敗した、という方のほうが多いと思います。そうです、我々には指が一本しかなく、ゆえに卵を割る行為のために必要な4ステップのうち、ステップ2で失敗される方がとても多いのです。  卵を割る、という行為は、人間学のなかでも非常に重要な位置を占めていることをご存じでしょうか? ……いいえ、この質問は愚問でしたね。  今期の授業を履修された方はきっと、教科書第五章のタイトル「卵を割らなければオムレツは作れない」ということわざを存じていらっしゃると思います。オムレツというのは、西洋の料理の一品で、西洋とは、第七基地のある大陸のことを、人間が指す際に用いた言葉です。  話を戻しますが、このようなことわざのある通り、人間の生成する――人間的に形容すれば〈調理〉に該当するこの行為の実行において、卵という食品は、非常に大きなウェイトを持っています。  また、卵は、人間が服用する薬品の生成の要素としても度々登場することがあります。古くは、卵そのものを信仰する宗教まであったのだとか。  卵。  これは、我々の想定する以上に、人間の生活において欠かすことの難しい製品だったのです。  さて、我々の属している艦隊、〈あーAAAOJOCOSHU〉が地球に不時着してから、もうすぐ890000000ヶ月が経過しようとしています。  我々の祖先は、我々の種を絶やさないために、見知らぬ土地、見知らぬ世界で、人類を相手に戦いました。これを二日間戦争と言います。人類をひとり残らず排除した我々の祖先は、新たに広大な土地を手に入れました。  しかしながら、想定外の事態に襲われます――人類の文明があまりにも発達していなかったのです。  未発達。  これは非常に由々しき問題でした。  人類は、未だに三次元的領域の学習にこだわり、肉体の存在に固執して、感情の保存すら怠っていたのです。科学文明も未発達であり、我々のような高次元の生命体の使用する道具を、この地球で修理、あるいは調達することは非常に困難でした。  そしてさらには、艦隊から惑星Gへの連絡も滞り、今なお連絡の取れていない状態です。  そんな状況に際して、我々の祖先はある決断を下しました。  それは――これまで人類が使用していた、低水準で未発達で不十分な生活に、我々自体が慣れる、というものでした。  屈辱。  よってここに、遅れた文明を、劣った文化を学習するための学問、人間学が成立したのです。  さて、卵の話に戻りましょう――通常、人間は卵の殻は食さないとされています。これは当然と言えるでしょう。鳥類の臀部を経過している以上、雑菌が付着していないと明確に断言することは難しいはずです。  もっとも、我々の高次元な科学があれば、菌など一瞬にして消し去ることができましたが。  ですが、人間の生活に合わせようとする以上、人間の文化に、人間の文明にこちらから寄り添おうとする以上、どうしても人間がしてきたことをトレースする必要があります。  ゆえに、我々は卵を割らなければなりません。  卵を、割る。  1.軽く、ヒビが入るまで叩く。  2.両側を持ち、両方を傾ける。  3.中身が落下したのを確認する。  4.外装を捨てる。  さて、もう一度試してみましょう。  どうでしょう――そうですね、またもや失敗する人ばかりのようです。さきほど私は、〈おそらく、失敗した、という方のほうが多いと思います〉と述べましたが、実はきちんと全員の結果を見ていました。成功者はまだひとりもいないようです。  指二本で卵を割る――この行為は、とても難しい行為です。  畢竟、卵を割るためだけに何か機器を作成することも可能と言えば可能ですが――そのためだけの機器を、この地球という材料の枯渇した惑星のなかで作ることは、優先度が劣ります。  そこで、我々は〈卵破壊業〉という職を設け、卵を割ることのできる技能を持つ方を積極的に採用し、我々の卵割に貢献してもらおう、というわけです。  では、もう一度繰り返してみましょう。  1.軽く、ヒビが入るまで叩く。  2.両側を持ち、両h 「教官」  ……はい、なんでしょう。 「失敗しました」  …………はい、そうですか。前述の通り、我々には指が左右一本ずつしかなく 「そうではなく」  僕は指先で挟んだそれを大きく持ち上げる。  黄色くて、小さくて、ふわふわでぴよぴよなそれを。 「これは卵ではありません」  瞬間、全員の目線がこちらに向くのが分かった。  指のうえでそれは、小さなくちばしをコツコツと鳴らしながら、ひょ、ひょひょ、ぴぴ、と鳴いている。  教官は僕のところにやってきて、  それは有精卵です、  と答えた。   O  どうやら、失敗、の定義からは外れる結果だったようだった。  講義後、教官に呼び出されて僕は、その黄色い生物について説明を受けた。どうやらそれは、地球に所属する人類以外の動物であるらしい。家畜、に分類されるそれは、主に人類が捕食するために存在したという。 「ひよっこ、ですか」 「違う、ヒヨコ、だ」  教官は僕の間違いを正しながら、傍の戸棚からバケットを取りだした。毛布の敷かれたそれのうえに、『ヒヨコ』は満足そうに鎮座している。 「家畜という存在は、我々の星にはなかった定義です。そもそも、異なる種の、サイズのほとんど同じ生物が同じ環境に共生している、という状況は我が故郷にはなかったものであり、ゆえにこれは良い機会と考えることができます。う・PJCEI、あなたはこの生物を飼育しなさい」  そう言われて渡された『ヒヨコ』は現在、僕の部屋のなかで縦横無尽に歩き回っている。書物を踏み、ベッドの足をつつき、布団のうえを駆けまわってそれから、枠の部分から床へと落下を試みる。  きわめて危険な行為を厭わない生物だ。  人類の記したとされる書物を解読するに、この生物は鳥類に属していると考えられる。鳥類、とは空を飛ぶ生物のことだ。 もっとも、空を飛ぶとは言っても、僕たちが飛行する際に使用するリアルアのように、燃料によって動力を動かすというわけではなく、完全に筋肉と翼とで、空気を掻いて飛ぶようにできている。 しかしこの『ヒヨコ』もとい、僕たちが割ろうと試みていた卵を産み落とすニワトリ、という生物はどうやら翼はあるものの空を飛ぶことはできないようだった。 「きみ、ニワトリを飼ってるんだって?」  僕が教官の指示で『ヒヨコ』を飼うようになったことは、けっこう早くに噂話として伝播したようで、まったく別の学部に属している、くあ・IHIHWも、その話を聞いてはるばる僕の部屋を訪ねてきた。 「そうなんだ、卵割り訓練のときに有精卵が偶然回ってきたみたいで」 「へえ、そりゃあルドスが転げ落ちる(「奇妙な運」の意)出来事だな」 「ああ、本当に。しかもこいつ、人類が家畜として飼っていたみたいなんだけれど、なにもできないんだ。食用にできるほど肉があるわけでもなく、小さすぎるから荷物の運搬もできない。おまけに喋らないし、知識があるわけでもないらしい」  すると、くあ・IHIHWは指をクロスして僕に囁いた。 「でも、そのニワトリ、風を読むことができるそうだよ」 「風?」  僕は訊き返す。 「そう。」  くあ・IHIHWは自慢げに続けた。 「なんでも、人類は風によって自分に行く末を見ていたそうだ。勝利や敗北、幸運や不運、安全に危険、そう言うものを風と呼び、その流れを見る。ニワトリというものはな、『風見鶏』というものがあって、だから風やその流れを読むんだ」  なるほど? 「占い師のようなものか」 「そういうこと」  と、部屋の奥で寝ている『ヒヨコ』を見つけた、くあ・IHIHWは、『ヒヨコ』にキョク(頭部の触手のこと)を振った。『ヒヨコ』は未だ眠り続けている。くあ・IHIHWはそのまま、次の授業があるからとどこかへ行ってしまった。  さて、再び部屋のなかに『ヒヨコ』と取り残されたわけだが――まさかこいつに、占いができるとは思わなかった。僕は検索端末を開き、人類のアーカイブスから、家畜と占いについて検索してみる。 なるほど、確かに家畜は、人類の運動大会の勝敗を予想するなどしているようだった。 「お前にもできるのか?」  と、僕は『ヒヨコ』のほうを見る。 『ヒヨコ』は「わかりません」と答えるかのように首をふるふると振った。  時折考えることは、『ヒヨコ』には思考回路はあるのだろうか、ということだった。知識はないようだし、自分たちよりも、およそ何千年と昔からこの地球に同じ種はいただろうに、地球ははじめてです、といったふうな態度でずっといる。  けれど、どこから落ちると危ない、とかそういうことは分かるようだ。一応、他の〈■■■■■■〉と僕とは見分けがついているらしいし、学習する能力はあると見える。  学習することができるならば、飛ぶことだって可能ではないのか。  例えば、飛行練習を繰り返すだとか、飛ぶために体重を減らすだとか、そういうことを続ければ、なんとかして空を飛ぶことはできるようになるかもしれない。  彼らが飛ぶことができれば、前時代、人類が発見できなかった生物の新しい側面、ということになるだろう。  僕は『ヒヨコ』に餌を与えながら、話しかけて見る。 「きみは、空を飛ぶ気はないかい?」  僕の問いに、やはり『ヒヨコ』は無言のまま、首をふるふると振るだけだった。  六年ほど経つと、『ヒヨコ』はもうニワトリと同じサイズにまで成長していた。ここまで来ると、くあ・IHIHWの言っていたように、風読み、すなわち占いをすることもできるかもしれない。  そこで、ニワトリの占いについて詳しく聞くために、くあ・IHIHWのところを、今度は僕が訪ねることにした。が、かつて彼の部屋があったはずの場所に彼の家はなく、そこはまっさらな更地になっていた。  どうやら、彼は重大な機密違反をしでかしたらしい。くあ・IHIHWは処刑されたのだ、と大屋さんが教えてくれた。 「そういえばきみ、あの『ヒヨコ』を飼ってる、う・PJCEIさんじゃないかい?」  帰ろうとしたところを呼び止められて、僕は振り返る。 「くあ・IHIHWくんから、手紙を預かってるんだ」  大屋さんが差し出したのは、遺書ともとれる内容の手紙だった。機密警察が、くあ・IHIHWの部屋を家宅捜索した際、大屋さんはその部屋の鍵を機密警察に渡したが、この手紙だけは差し出さなかったという。 「中身は見てないし、知りたくもないから、とっとといきなさい」  大屋さんは軽くあしらうように言った。ただでさえ、自分の貸した部屋が更地になったうえ、事故物件ともなったのだ。これ以上は関わり合いになりたくない、という気持ちも十分に理解できる。  帰り路、くあ・IHIHWが遺したその手紙を読むことにした。   前略    助けはもう来ない   〈あーAAAOJOCOSHU〉を失った我らが故郷の星は、    我々の向かっているあいだに、    異星人ジョックハイドルンドルンによって滅ぼされてしまったらしい    そして現在進行形でこの地球に迫っているようだ    僕たちを残らず殺してしまうために    そして、地球程度の低水準な軍力で彼らに立ち向かうことは困難だ    重役たちは僕らを見捨てて逃げる気だ    これをきみが読んでるってことは僕は死んだってことだろう    裏のレンガ街の一番東のものを崩せ    俺が使う予定だった、旧式のスペースエクスプローラーがある    それで逃げろ    P.S   『ヒヨコ』ちゃんにもよろしく                        くあ・IHIHW  帰り道、ずっと誰かに追跡されているような気配があった。  何度か振り返ったけれど、姿は見えない――これがもしも光学迷彩で、僕のことを秘密裡に暗殺しようとしている組織の一員だとしたらどうしよう、とか考えながら、僕はようやく家に戻った。  その瞬間だった。  びすうっ! と壁にマンホール大の穴があき、直後に僕の家を光の束が直撃した。なるほど確かに、あれを何発も喰らえば、マンションの一室なんて簡単に消せてしまうかもしれない。  爆撃は続く。  僕はひったくるように『ヒヨコ』の入った鳥かごとゲージ、それからおよそ長旅に必要であろうものをバックパックに詰め、気付かれないように裏口から逃げ出した。  裏のレンガ街の一番東。  そこにあったものは、文字通りレンガの壁だった。落書きが為されているが、旧言語(人類の言語だ)のものだから、おそらくはかなり昔のものだろう。  けれど崩した形跡がないことを見るに、かなり手の込んだ修復作業を行ったはずだ。そして、だからこそ、機密警察もこのレンガ壁を破壊しなかったのだろう。  僕はハンマーを振り上げて、レンガの壁を破壊する。  中から出てきたそれに荷物を載せ、動力を稼働させた。  背後から電子音。  戦闘機だ――しかし、宇宙間を移動するこのスペースエクスプローラーのほうが、何倍も速い。  宇宙間に飛び出して、ようやく一息つくことができた。  青いと言われていた地球は、今は鈍色に光っている。この色彩が、やがて戦火の赤に染まるのも時間の問題だろう。  スペースエクスプローラーのなかには、四十年分の食料が含まれている。そのなかに卵も入っている。  卵を割るとき、ボウルを下に置いて、僕は二本しかない指で卵を支える。『ヒヨコ』が下から卵にヒビを入れ、僕は指を持ち上げる。  綺麗に中身だけがボウルに落ちる。  1.軽く、ヒビが入るまで叩く。  2.両側を持ち、両方を傾ける。  3.中身が落下したのを確認する。  4.外装を捨てる。
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