欵冬華(ふきのはなさく)

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欵冬華(ふきのはなさく)

 祖母が側に立っていた。僕はベッドに横になり、目を閉じている。だが、祖母の姿が見えていた。  両手を合わせ祈るように、何か話している。話しをしているのは、知らないおじさんだ。  祖母は3年ほど前に亡くなったはずだ。そうか、これは、夢なんだ。  おじさんは、消えていった。祖母は僕の肩をポンポンと叩き頷いた。口が動いて、何か言ったようだが、うまく聞きとれない。そして祖母も消えた。  その後、小さな光が少しずつ、ゆっくりと広がり、母の声が聞こえた。  今日も大した成果はなかった。大手のスーパーで販売の拡張を頼みに行ったが、良い返事はもらえなかった。  冷凍食品は人気ではあるが、大手のメーカーが主要のスーパーやコンビニを押さえている。  俺が勤めている小さな会社の商品は入る余地がない。取引先のスーパーに、せめて目立つ場所に置いてくださいと頼むのが精一杯である。  だが、スーパー側にすれば、大手の売れている商品を前面に押し出し、お客さんの気を引きたい。  売れている商品は優遇され続け、優遇されるには売れる商品を作らねばならない。  だが、売れないのを商品のせいにばかりには、していられない。  俺は、もう30歳を過ぎている。それなりの成果をつくっていかなければならない。  時々、営業職は向いていないのではと思うが、なんの実績もない今、転職したところで、同じだろう。  結衣のことが頭に浮かんだ。つき合って3年になる。彼女との関係も、はっきりしなければならない。結衣も来年で30歳にる。  考えてはいるが、結局答えは出せなかった。避けているのはわかっているが、結婚し子供をつくり、養っていけるのだろうか。そう考えると、いつも立ち止まってしまう。    駅までは自転車を利用している。駅前の交差点を渡ろうとしたら、右折の車が減速せず、突っ込んできた。私も急ブレーキをかけ、車も急停止した。年配の男がかなり長い間、睨みながら車を発車させた。気をつけろ!悪いのはお前だ、という視線だ。  俺も睨み返したが、こんなことをしても、腹の虫はおさまらない。  こういった小さなトラブルが日々積み重なっていく。仕事場、相手先、通勤。決して良い状況ではない。わかっているが、少しづつ俺の中の何かが削りそがれていくような気がした。    仕事帰りに、近所の小さなスーパー、というより個人商店に立ち寄った。  うちの商品を僅かであるが、置いてもらっている。いつもだと店は閉じているが、時間が早いせいかまだ開いていた。 商品を片付けている、店主に尋ねた。 「こんばんは。いいですか」  俺は、玉ねぎを一袋手に取った。そこで、4個6,300円のタマゴをみつけた。「欵冬華ふきのはなさく」と書いてある。店主が言うには、農家のおじさんが来て、置いていったそうだ。 「なんでも縁起ものらしいよ。大寒の日に産んだ卵なんだって。4,000円でどうだい」  それでもいい値段であるが、興味があった。 「わかりました。買います」  俺はアパートに帰り、目玉焼きでも作ろうかと、フライパンを火にかけた。2個の卵を手のひらにのせて見つめた。普通のものより、少し重い気がした。いや、確かに重い。しだいに手のひらから、腕にその質量が伝わってくる。身体が沈むような感覚さえ覚えた。  火にかけたフライパンが油をはじいた。そこで、はっとした。おかしな感覚だった。卵を割り、フライパンに落とした。色艶は確かに美味しそうだ。  一口食べてみる。普段スーパーで買っているものと比べると確かに濃厚てまはある。しかし、この値段はどうかと感じた。まぁ、話しのネタにはなると思うことにした。  ベッドに入り、携帯をみた。LINEがきている。結衣とある。  今日の出来事が書いてある。私は簡単に返事を書き、おやすみのスタンプを送った。    眠ってから、しばらくしてパタパタという音がした。上の階からだろうか。時間は深夜のはずだ。大人のものではなく、子供の足音だ。上の階に子供はいただろうか。寝ぼけた頭で考えているうちに、再び眠りに落ちた。    翌日普段より早く目がさめた。いつもなら、また1日が始まるのかと、重い気持ちで、電車に乗るのだが、今日は違った。早く起きると気分も良いのだろうか。そういえば、昨日はベッドにはいると、すんなり眠ることができた。  会社に着き、挨拶をしながら部屋に入った。同じ営業の吉川さんがすでに仕事を初めていた。あとの3人と課長はまだ来ていない。直接店舗の方に行っているのかもしれない。  パソコンを開いていると、先輩の吉川さんが声をかけてきた。 「おはよう、今日は顔色がいいじゃないか。良いことでもあったか?」 「ないですよ。そんなの」 「経理の江上さんから連絡あったぞ。あとで寄ってくれって」 「わかりました。ありがとうございます」  そこで、メールが入ってきた。大輝・原口とある。午後、時間がある時、会いたいということだ。  大輝は市内にある中堅スーパーで、大きくはないが近所に団地があり、多くの客が利用している。その店内の一画にうちの商品を置いてもらおうと、話しを進めている。今俺が、最優先に狙っている大きな仕事だった。  俺は、午後すぐにに伺いますと、返信した。 いくつか雑務をこなし、2階にある経理に向かった。  経理部には経理課長と、派遣の女子社員が2人いる。 その中の若い子が江上さん。もう1人が年配の加藤さんだ。  俺は部屋に入り、江上さんに声をかけた。 「何かありましたか?」 「この前の納品書の日付ですけど、この日は先方のお店、お休みではないですか?」  俺は日付を見た。 「すみません。そうですね。翌日に変更してください」  俺は頭を下げた。 「しっかり、確認してくださいね」  隣の加藤さんが、睨んでいる。  俺はもう一度頭を下げた。  これ以上小言を聞く気はなかった。さっさと部屋を後にした。  営業部に戻り、午後からの予定を報告し、外出した。    早めの食事をすませ、スーパー大輝に向かった。大輝の敷地内にある、駐車場で資料を確認し、1時になるのを待った。  午前の買い物を終えた後なので、駐車場は空いている。お客はまばらだった。夕方からが、混む時間帯になる。ここを押さえることができれば、売り上げに貢献できるだろう。  1時なり、店内に入った。  事務所には、社長の原口さんがソファに座っていた。  50過ぎの気さくに話せる人だが、時折厳しいことを言ってくる。2代目らしいが、やり手というのが、最初の印象だった。  挨拶もそこそこに商品について尋ねた。  商品は前回伺った時、フライ物、野菜の冷凍食品を試食品として置いてきた。 「うん、悪くないよ。新しさはないが、値段も大手に比べると手頃だし。お客さんの気を引くのはそこだな」  俺は少しだけでも、置いてもらえないかと、頼んだ。 「新商品として、少しだが、棚を作っみようか」 「ありがとうございます」  その後、具体的な日にちと数を話し合い、事務所を後にした。  気分は晴れやかだった。得意先を数件回り、会社に戻った。大輝スーパーの話しがまとまったことを部長に報告し、帰宅した。    冷蔵庫を開けて、昨日のタマゴが目に入った。そういえば、味は特別というわけではないが、なんだか元気がでるというか、活力が湧いてくる気がした。  今日も2個を手のひらにのせてみた。しばらく見つめる。また、あの感覚だ。手から腕、お腹へと重みが伝わってくる。身体が沈んでいく感じがした。  入社して間もないころ、研修で座禅のようなことをさせられたことがあった。自分の呼吸に意識を向け、集中できた時の感覚に似ていた。  この感覚にひたっていたいと思った瞬間、我に帰った。  スーパーで買った、唐揚げ弁当をテーブルにひろげ、フライパンをコンロにのせた。今日はオムレツにするつもりだ。手早く作り皿にのせ、一口食べた。やはり昨日と同じような味だった。  いつもだと、仕事を終え、帰宅するとグッタリしてしまう。だが、今日はあまり疲れを感じなかった。    ベッドに入り、欵冬華フキノハナサクと調べてみた。  二十四節期の1つ「大寒の日」に生まれた卵。 大寒卵ともいう。  この時期、鶏はあまり水分とらず、エサをふんだんに摂取する。それで濃厚な卵が生まれる。  厳しい寒さの中、ようやく春をむかえようとする頃、雪解けを待たずに、顔を出す蕗。寒い時期を乗り越えて芽を出すことから、その大寒に生まれた卵を"欵冬華"と呼んだらしい。  栄養価が高く、大寒の日のみということで、縁起物となっている。再生、誕生の意味合いもある。となっていた。  こうやって解説を読むと高価な卵だと思えてしまう。もう少しありがたく、いただくべきだったと、少し後悔した。  説明の仕方、プレゼンの内容で商品の価値が違ってくるのかと実感した。    深夜また、ペタペタと子供が走るような音がしている。昨日より眠りが深かったのか、目を開けるのが億劫だった。ただ、音の感じが、2階というよりもっと近くで聞こえている。うっすらと目を開けると、台所ほうから、小さい子供が玄関方へ走り抜けていった。  目をしっかり見開き、台所の方を見た。だが、誰もいない。足音もしなくなっていた。気のせい、そう思うことにして、目を閉じた。  昨晩のことが、原因か、夢を見ながら目が覚めた。小学生の頃の友達が現れた。当時仲のよかった2、3人の子とボールを蹴っている。そこへ、クラスの女の子が2人でやってきた。中の1人が好きな子だった。  そこで、目が覚めた。ドキドキした感じはそのまま残っていた。しばらく、ぼんやりしていたが、気分は良かった。  会社に着き、営業販売のシートを見直した。今までとは違う、商品説明をやってみようと考えていた。  新しい切り口を見つけて、商品を売り込んでいく。ターゲットを主婦から独身男性にシフトする、というのはどうだろう。私のような独り者も少なくないはずだ。  揚げ物、焼き物、野菜類の冷凍食品をまとめ、コーナーをつくる。いいネーミングをつければ、お客の目を引くのではないだろうか。  俺はさっそく、大輝スーパーに向かった。  社長にこの案を提案すると、すぐに了承を得ることができた。    その日の帰り、経理の江上さんと一緒になった。 「お疲れ様」  互いに声をかけて、駅に向かった。 「最近、なんだか元気ですよね」  江上さんが、尋ねてきた。 「ああ、なんだか体調が良くて、気持ちが軽いっていうのかな」 「そう。でも、あまり無理しないでくださいね」  彼女は、心配そうに私の顔を見ていた。なんだろう。  駅に着き、彼女は上り、私は下りの電車にそれぞれ乗った。  シャワーを浴びた後、鏡の前に立ち、自分の顔を見た。江上さんの心配そうな顔が浮かんだ。特に変わったことはないように思えた。     そういえば、西川さんも、私の体調を気にしていた。    土曜に結衣と会うことになっている。久しぶりなので、楽しみだ。同時に、今後のことを考えると少し気が重い。  別れたいわけではない。今の気持ちを正直に伝えるしかないだろ。  その日の朝は寒く感じていたが、昼過ぎから気温が上がり、過ごしやすい日となった。結衣は、待ち合わせの場所にすでに来ていた。 「なにか雰囲気変わった?」  結衣が私の顔を見ている。 「特にないけど、今、仕事が楽しく感じるんだ」 「元気そうだけど、少し疲れてる感じがして。気のせいならいいけど」   結衣は、それ以上のことは言わなかった。  私たちは、映画を観て食事に向かった。最近の仕事のことや、友達のことを話しているうちに時間が過ぎた。こういうなにげない時間が幸せなのかもしれない。そう感じた。 「話したいことがあるの」  結衣はそのまま私のアパートに来た。初めてだった。少し様子がおかしかったが、あえて聞くことはしなかった。  部屋に入り、結衣は話し出した。 「私達のこと、これからのこと、聞きたいの」  結衣は言いにくそうに、つぶやいた。  結衣に対する気持ち、仕事のこと、そして将来のこと。話しているうちに、気持ちが固まっていった。 「結衣とずっと一緒にいたい」  最後にそう言った。   彼女はそのまま、泊まっていった。ベッドの中で、結衣は私の額に触れていた。右の方にある古い傷跡をなぞっている。 「これは?」 「小さいころ、バイクとぶつかったらしい。よく覚えていないけど」  幼いころの話をぽつぽつ話しているうちに、私は眠ったようだ。そして、暗い部屋の中で目を覚ました。隣で結衣の寝息が聞こえている。  台所に目をやると、子供が座り込んで何かを描いている。今度ははっきり見た。それは、幼いころの私の姿だった。スケッチブックに絵を描いている。小さいころアニメのキャラクターをよく描いたものだった。夢を見ているのかと思ったが、目は覚めている。私は、結衣の肩に静かに触れた。再び台所の方に視線を向たが、そこには暗闇しかなかった。  春になり、結衣と花見に出かけた。桜はまだ3分咲きほどだったためか、人もさほど多くない。彼女の作った弁当を広げて、のどかな1日を過ごした。 「満開になったらもう一度来よう」  結婚式の話になり、結衣は内輪だけで小さくやりたいと言っている。私も賛成だった。 数日後、会社にも報告し、みんなに祝福された。気恥ずかしかったが嬉しかった。  妊娠を告げられたのは、式が終わり、引っ越しも終わった翌月だった。予定日は2月。2人の生活も楽しかった。1人暮らしの気楽さは失くなったが、守りたい誰かがいるというのは、今までなかったものだ。  ただ、あの幻覚のような現象は、まだ続いていた。  新居でも、幼少期の頃の自分は、時々現れた。結衣に話そうかと思ったが、不安にさせるだけだと思い、黙っていた。  しだいに、リアルに感じるようになり、目覚めた時も鮮明に憶えている。    年が明け、結衣は出産のため実家に戻っていた。  深夜、また子供が、現れた。今度は老婆と一緒だった。目は完全に覚めている。夢や幻覚などではない。2人はリビングの隅に座り、話しをしている。  老婆は祖母だ。すぐに気がついた。私はベッドからでて、2人に近づいた。 「なにをしているんですか」  祖母と子供は座ったまま、私を見上げた。 祖母の口が動いて何か言っている。手を合わせ祈っているようだが、聞き取ることはできなかった。  そして2人は闇の中に消えていった。  結衣が出産すると連絡が入った。帝王切開になるかもしれないと、事前に聞かされていた。そして、そうなった。  会社を早退し、タクシーで駅に向かった。 駅近くの交差点を右折しようとした時、直進する車が、減速せずに迫ってきた。時間の流れが、変わっていた。ゆっくりと突っ込んでくる。初老の男だ。私と目を合わせたまま、口が開いている。  ああダメだ。ぶつかる。あの時と同じだ。  記憶が蘇る。幼い頃バイクと衝突した日だ。  病院で治療を受けている私の枕元に立ち、亡くなったはずの祖母が、手を合わせ祈ってくれた。そして命は救われた。  先日祖母が部屋に現れ、手を合わせていたのは、祈りではなく、謝っていたのだ。  新しい命を授かるまで。それまでしか生きられないということだった。    結衣と赤ん坊の姿が見える。結衣は幸せそうな笑顔を浮かべている。  光がしだいに失われていった。  今日は大寒。欵冬(華ふきのはなさく)  新しい生命の誕生。              (了)
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