わが身ひとつはもとの身にして

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わが身ひとつはもとの身にして

月やあらぬ春や昔の春ならぬ  わが身ひとつはもとの身にして    (古今和歌集 恋5) (私だけは以前の私であるのに、 この月はあの時の月ではない、 この春はあの時の春ではない、 あの人は以前のあの人ではない。) 上の歌は、 「私は何も変わっていないのに、 (あなたがいなくなってからは) あなたも変わってしまわれたが、 それだけでなく、 月や春という季節さえ、 何もかもがあなたといた時とは、 すべてのものが変わってしまったかのようだ。」 と嘆く、失恋の歌でしょうか。 高校時代、古文の勉強をしている時 (平安貴族って、 愛だの恋だの歌ばかり詠んで、 仕事しないんかい! 今でいえば、公務員か政治家だろうが! 貴族社会が崩壊して武家の世の中になるわけだ…。)などと思ったものだ。 けれど、 彼らにとっては歌を詠むこと=恋の駆け引きは、 人脈を造ることであり、 それが政(まつりごと)だったのかもしれませんね。 “恋”もお仕事のうち…だったのかも それはともかく… 家族や親戚の大反対にあいながらも、 今の旦那と結婚して、 私の長い“片想い人生”は、 一応終わった。 と思ってた。 ところが…、 不倫はNGですが、 心が揺れたことがありました。 上の歌は失った恋の歌ですが、 女性の場合、 “環境が激変する”ことが男性よりも多くて、一生のうち何度かあると思うのです。 例えば、 結婚だったり、 出産だったり… 私も、結婚と同時に (転勤できないので)職場を辞めて、 家から近い会社に再就職しました。 周りの環境ががらりと変わると、 「わが身ひとつはもとの身にして」 という気分になることがありますよね。 そして、 子どもができるというのは、 凄く大きな変化で、 生まれてから“育てる”のが大変なのはもちろんなんですが、 お腹にいる時も、 ホルモンバランスが変わるのか、 精神的に変わるというか、 揺れたりするような気がする。 これは、 たぶん女性でないと分からないかもしれない。 私は結婚して、住まいが前の会社から遠くなってしまったので、転職をした。 転職先で、経理課に配属になった。 そこは、親会社の経理システムを使っていて、経理も機械化されていて簿記の知識がなくても仕事はできたのだが、 資格を取ると“ご褒美”があるのと、 せっかく経理課に配属になったのだから良い機会だと思って、簿記の勉強をすることにした。 3級は商工会議所が開いている講座に参加して取った。 その先生がとても良かったので、 少し遠かった(電車で30ぐらい?)のだが、その先生がやっている「珠算・簿記塾」に通った。 ところが、2級の担当はその先生でなく、息子さんだった。 その、息子さんは…普通?わざわざ通うほどの“先生”ではなくて、 教材だけ貰って、後は自習した。 試験だけは、その塾の生徒として受けた。 ちゃんと合格できたし、 塾としては美味しい生徒だったろう。 一級は、いきなり難しくなる。 科目も商業簿記、会計学、工業簿記、原価計算の4科目になる。 自学自習では無理と思い、通信教育の講座を申し込んだ。 そこは、 通信とはいえ、添削だけでなく、 週1回日曜日に講座を無料で受けられるのが良かった。 転職した会社は週休二日制だったから、仕事をしながらでも何とか通えた。 その、日曜日の講師の先生も教え方がとても上手く、始めの2科目、 商業簿記と会計学は順調にマスターでき、合格圏内に入れた。 講義の後も 「質問がある人は個別に受けるから職員室に来て」と言ってくれるので、私もほぼ毎回質問に行っていた。 1対1で質問していると、だんだん打ち解けて雑談もするようになった。 そしたら、なんと、 同い年だと分かった。 ネクタイをしめて、教壇に立って教えていると、“先生”と思うからか、てっきり年上かと思った。 どうやら、“先生”も税理士の資格を取るために勉強しながら、講師のアルバイトをしているようだった。 「一応“先生”だからネクタイしめないとダメでさ。あまり軽い格好はNGなんだ。」そうだ。 それと、教えるのが上手いので、 授業が増えるのはいいんだけど、 自分の勉強が進まなくて…というのが悩ましいらしかった。 税理士になりたくて始めたのに、 塾講師の比重が大きくなって、 かといって、正職員ではなくアルバイトな訳だし…。 同い年だとわかると、つい気安くなって長話になることもあった。 「日曜日来られない時とか、週末まで待てない時は、電話で質問してもいいよ」と言ってくれ、電話番号まで教えてくれた。 直接聞いた方がいいから、 電話で質問するつもりはなかったのだが、結局することになった。 ある日曜日、 体調が悪くなって講習を休んだ。 そういえば、生理が遅れていた。 病院に行き、妊娠していることが分かった。 つわりはそれほどきつい方ではなかったが、それきり講習には行けなくなった。 せっかく順調に進んでいて、 工業簿記ももう直ぐ終わる。 後は原価計算だけ、だったのに… そこで諦めるのも勿体なく、なんとか自分で勉強を続けたが、やはりひとりでは限界だった。 質問と、途中から無断欠席したお詫びとお礼も言いたかった。 電話をかけると、割と直ぐ応答があった。 質問をした後 「実は…」と妊娠したこと。 それで、体調が安定しなくて休んでいることを話した。 話しているうちに…泣いたのかもしれない… その頃、旦那も忙しく、自分も仕事は続けていたし、身体はきついし…、 旦那も私の話を聞く余裕もないというか、やはり男の人には分からないことだし…、話せる人がいなかった。 気持が弱っていたのだろう。 うん、うん、と我慢強く聞いてくれるから、堪えていたものが溢れたのかもしれなかった。 (私、先生のことが好きになったのかしら?)と思った。 結婚してから、旦那以外の男性に関心を持つことなどついぞなく、自分で驚いた。 結局それ以後、 講習は出られないまま試験を受けたが、もちろん不合格だった。 一緒に講習を受けた仲間は、合格した人も多かったようだ。 工業簿記と原価計算の問題が比較的易しく、 「今回合格出来た人はラッキーだったよ。もったいなかったね。」と言われた。 そう、もう一度だけ電話したのだ。 でも、それきり。 子どもが生まれたのもあるけれど、 その講習があった場所にも行っていないし、 先生の電話番号は、 いつ削除したかも覚えていない。 あの時は、確かに、身体のきつさや、 誰もそれを受け止めてくれない辛さや、初めての妊娠の不安とか色んなことが混ざり合って、心が揺れていたのは間違いない。 もしあの時の体調不良が妊娠でなく、あのまま最後まで講習に通っていたら、どうなっただろう? そんな想像をしてみたこともある。 イエスキリストは、 「心の中で姦淫をしたならば、それは姦淫を犯したのと同じだ。」と説いたそうだが、 もしそうなら、私は不倫をしたことになるのかもしれない。 不倫なんて、自分には絶対あり得ないと思っていたけれど、そんなことはないんだとこの時分かった気がした。 私はその後簿記の勉強は断念し、 先生のその後は知らない。 税理士になれたのかな? 私は、1級も取れず、 当然その先の税理士への夢も叶わなかったが、 お陰で確定申告で困ったことはない。 人生に、無駄はない。
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