18人が本棚に入れています
本棚に追加
/25ページ
第一章 息のできない金魚
学校から帰ってきたら、家の玄関に大きな水槽が置いてあった。
底に白いつぶつぶの砂浜が作ってあって、右はしにはでこぼこした水晶のような石が、デーンと座っている。
ところどころに、青や緑のビー玉がコロコロと転がっていた。
そのなかを、小さな赤い金魚がすいすいと泳いでいる。ひらりとのびた尾ビレは、まるでフリルみたい。
かわいい尾ビレと背ビレをゆらゆらとゆらして、水のなかを優雅に泳ぐ金魚。
私を見つけると、ぷくりと小さな泡を十個ほど吐き出した。
真っ赤な金魚は、楽しそうにフレアスカートの尾ビレをひらっとひるがえし、水槽のなかをUターンしていく。
「カガリ。帰ったの? ちょっと夕飯のお手伝いしてくれる? 玉ねぎ切ってほしいの」
キッチンから、お母さんが私を呼ぶ。私はすぐに「はーい」と返事をすると、リビングのソファにランドセルを置いて、急いでキッチンに向かった。シンクで手を洗い、まな板を用意した。
「お母さん。あの金魚、どうしたの」
「ああ、お父さんが会社の人からもらってきたのよ。増えすぎちゃったから、もらってもらえませんかって言われたから。一匹だけね」
「そうなんだ」
「カガリも、お世話してあげてよ。せっかくだし名前でもつけてあげたら」
「うん。考えとく」
「まったく。最近は夏祭りでも金魚なんて見ないのに……」
お母さんはボウルのなかで、カボチャをつぶしている。夕飯のサラダになるのかな。
私は、トントントン、と玉ねぎを切っていく。玉ねぎは切ると涙が出てくるから、本当はやりたくないんだけど。
でも玉ねぎって、意外と便利。
胸のなかに、もやもやがあるとき。それを、涙といっしょに、ぎゅーっとしぼりだしちゃう想像をしながら、玉ねぎを切る。
そうすると、少しだけスカッとするんだよ。
「カガリ。学校はどうなの? ちゃんと授業、ついていけてる?」
「大丈夫。もう六年生だよ。自分のことぐらい、自分でできるって」
「口だけは、りっぱになったけどねえ」
トンッ。最後の玉ねぎを切りおえる。まな板の玉ねぎをザーッと、プラスチックのボウルに移した。
手をふきながら、お母さんにそれを見せる。
「こんなかんじ?」
「いいね! ありがとう。助かった」
「うん」
「さっさと、宿題やっちゃいなさいよ」
「はーい」
「あと! その肩まで伸びた髪、そろそろ切りなさい。ぞろぞろしてて、見てて暑苦しいから」
「わかった」
ランドセルを背負うと、一段飛ばしで二階に上がっていく。
バタンと自分の部屋のドアを閉めると、喉につっかえていたものを吐き出すように、「はあっ」と息をついた。
宿題をささっと終わらせると、ベッドの上に寝っ転がる。
息苦しい。いらいらする。
胸のあたりがもやもやする。これじゃあ、いくら玉ねぎを切ってもたりない。
最近、お母さんに「手伝いして」とか「宿題やったの」とか「学校どう?」っていわれるのが、つらい。お父さんに対しても、同じ。
宿題はやるし、学校は毎日変わらず普通。手伝いもやれることはやる。だから、放っておいてほしいのに。
ベッドの脇にある本棚から、一冊の絵本を取り出した。
【チョコレート彗星】
この世で一番、大好きな絵本。
チョコット星のプリンセス。グミが、宇宙船パイン号に乗って、銀河にちらばった彗星のかけらを見つける物語だ。自由気ままなグミが、銀河で大暴れをしながら、彗星のかけらを集めていく。そのうちに、たくさんの友達ができていくんだ。
はじめて読んだときから、めくるたびに、ページが輝いて見えた。こんな絵本があるんだって、思った。
それを天井にかかげて、ぼんやりと見つめる。
「お母さんもお父さんも……みとめてくれないだろうなあ……」
ほろり、とこぼれた愚痴を絵本のしおりとしてはさみこむと、私はそのままベッドにしずんだ。
「私、何もできないまま、おとなになっちゃうのかな」
最初のコメントを投稿しよう!