第一章 息のできない金魚

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第一章 息のできない金魚

 学校から帰ってきたら、家の玄関に大きな水槽が置いてあった。  底に白いつぶつぶの砂浜が作ってあって、右はしにはでこぼこした水晶のような石が、デーンと座っている。  ところどころに、青や緑のビー玉がコロコロと転がっていた。  そのなかを、小さな赤い金魚がすいすいと泳いでいる。ひらりとのびた尾ビレは、まるでフリルみたい。  かわいい尾ビレと背ビレをゆらゆらとゆらして、水のなかを優雅に泳ぐ金魚。  私を見つけると、ぷくりと小さな泡を十個ほど吐き出した。  真っ赤な金魚は、楽しそうにフレアスカートの尾ビレをひらっとひるがえし、水槽のなかをUターンしていく。 「カガリ。帰ったの? ちょっと夕飯のお手伝いしてくれる? 玉ねぎ切ってほしいの」  キッチンから、お母さんが私を呼ぶ。私はすぐに「はーい」と返事をすると、リビングのソファにランドセルを置いて、急いでキッチンに向かった。シンクで手を洗い、まな板を用意した。 「お母さん。あの金魚、どうしたの」 「ああ、お父さんが会社の人からもらってきたのよ。増えすぎちゃったから、もらってもらえませんかって言われたから。一匹だけね」 「そうなんだ」 「カガリも、お世話してあげてよ。せっかくだし名前でもつけてあげたら」 「うん。考えとく」 「まったく。最近は夏祭りでも金魚なんて見ないのに……」  お母さんはボウルのなかで、カボチャをつぶしている。夕飯のサラダになるのかな。  私は、トントントン、と玉ねぎを切っていく。玉ねぎは切ると涙が出てくるから、本当はやりたくないんだけど。  でも玉ねぎって、意外と便利。  胸のなかに、もやもやがあるとき。それを、涙といっしょに、ぎゅーっとしぼりだしちゃう想像をしながら、玉ねぎを切る。  そうすると、少しだけスカッとするんだよ。 「カガリ。学校はどうなの? ちゃんと授業、ついていけてる?」 「大丈夫。もう六年生だよ。自分のことぐらい、自分でできるって」 「口だけは、りっぱになったけどねえ」  トンッ。最後の玉ねぎを切りおえる。まな板の玉ねぎをザーッと、プラスチックのボウルに移した。  手をふきながら、お母さんにそれを見せる。 「こんなかんじ?」 「いいね! ありがとう。助かった」 「うん」 「さっさと、宿題やっちゃいなさいよ」 「はーい」 「あと! その肩まで伸びた髪、そろそろ切りなさい。ぞろぞろしてて、見てて暑苦しいから」 「わかった」  ランドセルを背負うと、一段飛ばしで二階に上がっていく。  バタンと自分の部屋のドアを閉めると、喉につっかえていたものを吐き出すように、「はあっ」と息をついた。  宿題をささっと終わらせると、ベッドの上に寝っ転がる。  息苦しい。いらいらする。  胸のあたりがもやもやする。これじゃあ、いくら玉ねぎを切ってもたりない。  最近、お母さんに「手伝いして」とか「宿題やったの」とか「学校どう?」っていわれるのが、つらい。お父さんに対しても、同じ。  宿題はやるし、学校は毎日変わらず普通。手伝いもやれることはやる。だから、放っておいてほしいのに。  ベッドの脇にある本棚から、一冊の絵本を取り出した。 【チョコレート彗星】  この世で一番、大好きな絵本。  チョコット星のプリンセス。グミが、宇宙船パイン号に乗って、銀河にちらばった彗星のかけらを見つける物語だ。自由気ままなグミが、銀河で大暴れをしながら、彗星のかけらを集めていく。そのうちに、たくさんの友達ができていくんだ。  はじめて読んだときから、めくるたびに、ページが輝いて見えた。こんな絵本があるんだって、思った。  それを天井にかかげて、ぼんやりと見つめる。 「お母さんもお父さんも……みとめてくれないだろうなあ……」  ほろり、とこぼれた愚痴を絵本のしおりとしてはさみこむと、私はそのままベッドにしずんだ。 「私、何もできないまま、おとなになっちゃうのかな」
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