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七月下旬、そろそろ夏休みが始まる。
そして両親と気まずくなってから、三週間がたっていた。
話すきっかけはあるにはあるんだけれど、どうしても口をききたくなかった。また、反抗してしまいそうだったから。
小さなコップほどしかない私の心から、二人に認められたいって気持ちがあふれだしそうだった。「普通の子」で、くくらないでほしい。だからって自分は特別でもない。
私は、私だ。「絵本作家」になりたくて「読み聞かせ」をがんばりたいと思っている、里々原カガリなんだって、二人にわかってもらいたいだけ。
普通の子だからできないって、そこで立ち止まらせないでほしい。
私は、この先へ行きたい。前のめりのまま、突き進みたいんだ。
そのとき何かが、ぱちん、と何かがはじけた。
左手の中指に、ノバラさんにもらったショートケーキの指輪をはめた。それをつけているだけで、ノバラさんみたいに胸を張って歩けた。
図書館の自動ドアに駆けこむと、貸し出しカウンターで、イザヨイさんが返却された本の点検をしていた。私に気づいて、「おっ」と仕事の手を止めてくれる。
「カガリ。どうしたの、何かあった?」
ぴょん、と心臓がはねた。まだ、何もいっていないのに、頭のなかを読まれたみたいな気分になる。
「……うん」
その通りすぎて、うなずくことしかできない。
「何でも知ってるなあ、イザヨイさんは」
すると、イザヨイさんがくちびるのはしをつりあげて、いたずらっぽく笑う。
「私の鏡は、何でもお見通しなのさっ」
白雪姫の魔女のように「ふっふっふ」なんていいながら、イザヨイさんは鉛筆をくるりと一回転させた。
頭のなかで、金魚が泳ぐ。家のジミな玄関でも、フリルの尾ビレをひらっとゆらして、堂々と前を向いて泳いでいく。
「私に、読み聞かせボランティアをやらせてください」
「おや。何かきっかけでもあったの?」
「両親に打ちあけました。私がやりたいこと。私がずっと思っていたこと」
「え、すごいじゃん。大丈夫だった?」
「めちゃくちゃ気まずくなりました。家での会話はなくなっちゃいました。あはは」
へらっと笑ってみるけれど、よけいにむなしくなるだけだった。
せっかく前を向こうとしたのに、親にはそっぽを向いているなんて、かっこ悪すぎだもん。
「カガリ」
「はい」
「壁に立ち向かったんだね。魔女を倒した、ヘンゼルとグレーテルみたいだよ」
それは、暗闇のなかに光る、灯台みたいだった。イザヨイさんはいつも、暑い太陽じゃなく、じんわり光る淡い月を私に届けてくれる。
私はこくり、とうなずいた。
イザヨイさんは、それに満足したように笑うと、カウンター内の引き出しから、一枚の紙を取り出す。そこには、【図書館ボランティア情報】と書いてあった。
———
読み聞かせグループ ねいろ
絵本を、そして読み聞かせのちからを信じて、イチョウの森図書館をはじめ、小学校、保育園、高齢者施設などで活動しています。
おはなし会では、パネルシアターや大型絵本、紙芝居、手遊びなど、さまざまなかたちで心に響く物語をお届けします。
ページをめくるわくわく感を、子どもたちといっしょに楽しむ、そんな気持ちで読んでいます。おとなになったとき、「この物語、好きだったな」と思い出せる、そんな心に残る物語に出会えるお手伝いができれば、と思っています。
———
読み終わった瞬間、ぶわっと私の前を、さわやかな風が通り過ぎた。あれは小さいころの私の手。大好きな絵本の表紙がめくれる。ページをめくっていく、あのどきどき感。今でも覚えてる。
あのとき、絵本ってすごいって思ったんだ。「読み聞かせグループ ねいろ」……私、このグループに入りたい。
「会いたいです。読み聞かせグループねいろの人に」
「いいよ。電話してみるね」
「えっ、今っ?」
さすがにすぐにかけるとは思っていなくて、驚く。
心の準備はいつでもオーケーなのだけれど、緊張はするもので、心臓がどきどきと転げ回っている。
「でもさ、読み聞かせグループっていっても、もろもろの理由で人数が少なくなっていってねえ。今はキサラギさんっていう人、ひとりだけなんだよ」
図書館の固定電話でどこかへ電話しはじめるイザヨイさんを、私は緊張しながら見つめていた。少し離れた位置にいる私にも聞こえてくる「プルル……」という呼び出し音。
キサラギさん。いったい、どんな人なんだろう。そういえば、男の人なのか、女の人なのかも聞いてない。こわい人だったらどうしよう……。
電話の向こう側から「はい」という微かな声が聞こえてくる。
「あっ。如月さん? イチョウの森図書館の十六夜です。お世話になって……はい? 今、ちょうど電話しようと思ってたって——ええ? はい、はい……ええ……。えーっと、ではまた後で、改めてかけ直してもいいですか? はい……では、また後ほど」
カチャン、と電話が切られた。イザヨイさんの表情が、とても固いものになっている。何があったのかな。
「あの、キサラギさん。なんて……?」
「キサラギさんの旦那さんの急な海外転勤が決まったらしいんだよ。だから、キサラギさんも海外に着いて行くことになったらしい」
「そ、それじゃあ……この図書館での読み聞かせは……なくなるんですかっ?」
「小さい図書館だからねえ……」
イザヨイさんがため息をつく。そんな……このまま、なにもできずに終わっちゃうの?
落ちこんでいると、イザヨイさんが私の肩をポンと叩いた。
「ねえ。カガリ、やってみる?」
「えっ、何を?」
「小さい子たちへの読み聞かせだよ。カガリならできると思う」
イザヨイさんの瞳が、まっすぐに私を見つめていた。
「でも、私、子どもだし」
「だからいいんじゃない」
「へっ?」
子どもだからいいって、どういうこと?
「実はね、私。前々から、キサラギさんに〝読み聞かせをやりたい小学生の女の子がいるんです〟って、カガリのことを話してたんだ」
「え!」
「今は、電子書籍で気軽に本が読める時代でしょ。うちの図書館の利用者数も、ここ数年はあんまりよろしくなくてね。もっと地域のみんなに、特に小さい子たちに、紙の本に気軽に触れられるここに来てもらいたいんだけどなあ、って考えてた。そこで思いついたのが、『子ども読み聞かせボランティア』! カガリくらいの年代の子に本の読み聞かせをしてもらうことで、小さな子たちにも、より本に対して親しみを感じてもらおうってこころみ。それを、キサラギさんにいろいろ相談してたんだ」
なんだか、胸のあたりがじんわりと温かくなっていく。うれしい。ちっとも知らなかった。
ずっとやりたくても「やります」と、いいきれなかった、読み聞かせボランティア。
でもイザヨイさんは、私がやると信じて、メンバーの人に話してくれていたんだ。
「……やりたいです、読み聞かせボランティア!」
「よし。じゃあ、キサラギさんに連絡しておく。たくさん、レッスンしてもらわないとでしょ?」
「はい! もちろん」
「明日も来るよね、図書館。それじゃあ、くわしくは明日伝えるよ」
「はい!」
ぱあっと、目の前の道が広がっていく感覚がした。
読み聞かせボランティアが、ついにできる!
その日の帰り道の足取りは、羽のように軽かった。そよ風に乗って、ふわりと空へ飛んでいってしまいそうなほどだった。
ずっと何もできないまま、おとなになっていくんだと思っていた。でも、違った。
前に進もうと決心したら、目の前の景色が突然、変わりはじめた。
ノバラさんのおかげ。ノバラさんが、友だちになってくれてから、私は変わりはじめた。
読み聞かせ、がんばって、成功させよう。
そうしたら……。
「ノバラさんに会いに行くんだ。ごめんなさいって、いいに」
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