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第二章 ネバーランドのわたしたち
ミンミンとセミが鳴いている。七月になると、図書館入り口の掲示板は、いつもよりもいっそう、お知らせが増える。
もうすぐ、夏休みになるからかなあ?
【リサイクル本 さしあげます!】
【来月、ぎんなん公園にて、フリーマーケット開催 ぜひお越しください】
セミの鳴き声の、オーケストラが鳴り響く。
私はそのなかの一枚を、少し切りすぎた前髪をいじりながら、ボーッと見あげた。
【イチョウの森図書館 読み聞かせボランティア 募集中!】
「カーガーリー」
「うわあッ」
ドキーンッと、心臓がロケットみたいに飛びはねた。
私を現実の世界に引き戻したその人は、「ごめん、あ、髪切った?」なんていいながら、顔の前で右手をスライドさせている。
十六夜アキナさん。イチョウの木図書館の司書さんだ。黒ぶちメガネに、天然パーマのロングヘア。私にいろんな本をオススメしてくれる、なかよしのお姉さん。
「自販機で水を買おうとしたら、カガリがいたからさ。ついね」
「す、すみません。あんなに驚いちゃって」
「あははー。カガリは何かに夢中になると、すぐにネバーランドに行っちゃうからなあ」
出た、イザヨイ語。
イザヨイさんはこうやって、有名な物語の言葉をすぐに会話に取り入れてくる。
私は物事に夢中になると、周りの声が聞こえなくなるタイプらしくて。図書館で本を読んでいると、そのまま閉館時間になっていることも、しばしば。これに関しては、本当に申し訳ない。
するとイザヨイさんは、今みたいに「また、ネバーランドに行ってたな?」って、笑いながらいってくれる。
物語を知っている人からしたら、「あっ、それ……〇〇のやつだ!」って盛り上がるんだろうけれど、知らない人はハテナだよね。
でも、そこから本の話を広げるのが、イザヨイさんの目的らしいから、これ、確信犯ってやつだよねえ。
「ピーターパン。大人にならない少年!」
「さすが、カガリ。ネバーランドでは、親とはぐれて、歳を取らなくなった子どもたち・ロストボーイズが暮らしてるのさー」
「私、親とはぐれてないけど」
「ふむふむ。でも、気づいたんだけどさ、ネバーランドに行っているあいだは、カガリだって彼らみたいに、歳はとってないと思うよ」
「それって私が何かに夢中になってるとき、ってことですよね」
「そうそう。本の世界にいるあいだは、完全に別世界にいるからねー。これ、浦島太郎理論」
「はあ? ピーターパンなのか浦島太郎なのか、どっちなんですか」
だけど面白くて、つい笑ってしまう。
イザヨイさんの考え方や言いまわし、ちょっとだけ憧れてる。
私、イザヨイさんのこと、友達だってひそかに思ってるんだ。血は繋がっていないし、年もずいぶん離れているけれど。あーあ。イザヨイさんが、私の本当のお姉さんだったらよかったのになあ。
「ところでさ。カガリってば、今、また読み聞かせボランティアのチラシ、見てたでしょ」
「う、うん……」
「いい加減、やってみればいいのに」
話しながら図書館の自販機へと向かう、私たち。自動ドアをくぐって、左手すぐが自販機コーナーなんだ。
「でも私、まだ小学生ですし……」
「ボランティアっていうのはさ、自分にできることを、無理のない範囲でやることなんだ。年齢なんて関係ない。私はそう思うけどな」
「……お母さんが、あんまりそういうの好きじゃないんですよね」
おそるおそる、しぼり出すようにいう。
「えー。ボランティアをすることを?」
「というより、子どもの私が関わることで周りの人たちに迷惑がかかるようなことを、ですかね」
「うーん……」
イザヨイさんが、はいているデニムのバックポケットから、スマホを取り出した。スッスと、スマホの画面を操作している。自販機で何かを買おうとしているみたい。最近、ようやくバーコード決済を覚えたんだって。
「カガリも、そう思う?」
「読み聞かせボランティアをする小学生なんて、ふつういないし……」
「たしかに、私の人生ではカガリが初めてだけどさ」
「ほらあ!」
イザヨイさんが、電子マネーのバーコードを自販機にかざす。ピッと音がして、水のペットボトルが落ちてきた。
「ガラスの靴でもあればねえ」
気だるそうにいいながら、落ちてきたボトルを拾いあげた。
シンデレラの運命を変えたアイテム、〝ガラスの靴〟はよく出てくるイザヨイ語のひとつ。
もどかしいとき、生きづらいと感じたとき、イザヨイさんは悔しそうに、そういうのだ。
「見せつけてやりたいよ。このガラスの靴が目に入らぬかーってさ」
「ふはは、誰に見せるんですか」
「あるいは、毒りんごね。見せつけてやりたい。誰とかはないけど」
「ちょ……それは物騒すぎますよっ」
吹き出しそうになりながら、ツッコむ私。
するとイザヨイさんは、ふいに真面目な顔になって、私の顔をのぞきこんできた。
「やりたいんでしょ。読み聞かせ」
「そりゃあ、そうですけど……」
「絵本が好きなんでしょ? 絵本作家になりたいんじゃないの」
ドキン、とまた心臓が飛びはねた。
「知ってたんですか? 私の夢」
「だって、いっつも絵本コーナーにいるし、たまにそこで絵本コンクールのチラシを見てるし」
そこ、と指さされたのは、入口近くに置かれたチラシスタンド。たくさんのパンフレットやチラシが差しこまれている。
多くが地域の情報やお知らせなのだけど、たまに創作関係の公募チラシが入っている。俳句や短歌、絵画に小説……そして絵本。
図書館に来ると、私はだいたい、そこに行く。そして、どんな公募があるのかチェックするのだ。
そのすがたを、イザヨイさんにバッチリ見られていたみたい。
「うわッ。はずかし」
「まさか。そんなわけない。すてきじゃん!」
そうはいわれても、やっぱりほっぺたは熱い。触るだけで蒸したリンゴみたいになっていることが、丸わかり。
「いや、はずかしいですよ。私、いつまでたっても、チラシを見てるだけだし」
「……カガリは絵本作家になるために、読み聞かせをやりたいの?」
私は、思いっきり首をふった。
「どっちも好きだから、やりたい。よくばり、だけど」
「よくばりじゃない。人間、それくらいがちょうどいいの」
「でも、お母さんはたぶん、ひとつに集中できないなら、止めたほうがいいっていうと思う」
「……それは、どうして?」
「そういう人だからです。うちのお母さんは優しいし、むやみに怒ったりなんてしないけど。でも、私のことをわかろうとしてくれない」
思い出したくないのに、忘れられない記憶。
やるせなさや、もどかしさが、ぼこぼこと沸騰して、口からどろりとあふれでてくる。
「私が〝絵本のストーリーを考えたんだ〟っていっても〝へえ〟だけ。〝読ませてよ〟とは、ぜったいにいってくれない」
「そうなんだ……」
「私に興味がないんです」
自分でいって、自分で傷ついてしまった。私って、本当に弱すぎ。
何もかも、うまくいかない。
「……息がしづらいです。あの家にいると」
「図書館においで。いつだって、換気して待ってるから」
そういって、イザヨイさんは私の頭をポンポン、となでてくれたんだ。
図書館の空気は、私にあっている。本のにおい、静かな館内、たまに聞こえる親子の読み聞かせの声。家よりも、落ち着く。
ペットボトルで肩をトントンと叩きながら、貸し出しカウンターに入っていく、イザヨイさん。パソコンの前に座ったので、仕事に戻るのだろう。イザヨイさんとの会話は、いつもこうして突然終了する。その気楽さが、私にはあっていた。
それじゃあ、私も絵本コーナーに行こうかな、と歩き出すと、後ろから声が届いた。
「応援してるよ、私は」
ふり返ると、イザヨイさんはパソコンを見つめたままだ。
「カガリの夢、応援してるから」
「ありがと……」
その言葉は、地面に還る雨みたいに、私の胸のなかに染みこんでいく。
うれしい。なのに……くやしいなあ。
私は、明日もチラシを見てるだけなんだろう。いつまでたっても、前に進めないまま。スタート地点に立つことすらしないまま、時は過ぎていくんだろう。
ネバーランドのロストボーイズたちは、親とはぐれた子どもたちだという。妖精の粉をふりかけられると、自由に空を飛べるようになるらしい。
親のいないネバーランドで気ままにやりたいことをやる、子どもたち。
「親、かあ……」
つむがれたそれは、口から出ることなく、のどの奥へともどっていく。
気づくと絵本コーナーにいた。見慣れた景色、きれいにならんだ絵本の背表紙。ほとんど人のいない絵本コーナーをじっくりとチェックしていく。心が落ち着く、大好きな時間。
手前の棚を見終わり、次の棚へと進もうとしたとき、足が止まった。
絵本コーナーの一番奥にある、丸い小部屋。棚一面に紙芝居が置かれており、たまに絵本の読み聞かせが行われているんだけれど。
——ぎょっとした。
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