第二章 ネバーランドのわたしたち

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 部屋のまん中に、大きなお人形が置かれていたのだ。手には絵本を持たされていて、ステンドグラスがはめこまれた天窓から、やわらかな光が差しこみ、淡くあたりを照らしている。  フリルたっぷりのドレスを着た、お人形。あれはたしか、ロリータ服っていうんだっけ。  ふちにレースがあしらわれた大きな丸えりに、袖がふわっとふくらんだブラウス。  その上に、ノスタルジックなパリの町がプリントされた、ジャンパースカート。胸元には、あみあげのリボン。  背中まで、すとんと伸びた、黒髪。まつ毛は羽みたいにくるんっ、と上を向いている。  それにしても、かわいい服だな。私が着たら、周りに変に思われそうだけど。 「ただでさえ、すでに浮いてるのに……」 「ねえ」 「えっ」  ビクッと肩が飛びはねた。目の前にきらきらのレース生地が、ひらっと飛びこんできた。いけない、いけない。またしても、ネバーランドに行っちゃってた。  ……って、いやいや待って。人形が……動いたっ? 「わあああッ! ……むぐぐっ」  あわてて、口をおさえる。図書館だから、静かにしないといけない。  しかし、その反動で、部屋の前で尻もちをついてしまった。お人形さんが、ぽかんと私を見下ろしている。  いや、人間だ、この人、人間だ。  お人形さんのアイメイクのラメが、薄暗い図書館のなかできらきらと光っている。  大声をあげた私のもとへ、イザヨイさんが飛んでくる。 「こらー! 図書館ではお静かにっ!」 「しーっ。イザヨイさんのほうが、うるさいよ」 「ハッ……むぐぐっ」  腰をぬかしながらいうと、イザヨイさんは、素直に口をおさえた。 「カガリったら。どうしたの」 「人形が、しゃべった」 「っぷ、はははっ。ノバラのこと?」  指さして笑うイザヨイさんに、お人形さんが眉をハの字に曲げた。 「人を指ささないで。イザヨイ。失礼じゃないか」 「あんたは相変わらず、年上への礼儀がないんじゃない。イザヨイさん、でしょ」  二人とも、知り合いだったんだ。仲がいいのか、悪いのかよくわからないいい合いをしている二人を交互に見つめていると、イザヨイさんが、お人形さんの肩をトンと叩いた。 「まあまあ、なかよくやりなよ。きみたち二人は、この図書館の常連なんだ。話はあうはずだよ。ただし、お静かにね!」  イザヨイさんがカウンターに戻ると、私たちのあいだには、沈黙が流れた。  気まずい。私が勝手に、そう思っているだけかもしれないけど。 「あのさ」 「ははは、はい」  お人形さんが、話しかけてくれた。 「きみ、面白いね。ぼくのこと、人形だと思ったの?」 「えっ、ぼく?」  この人、自分のことを「ぼく」っていってる。スカートをはいているから、てっきり女の人かと思ってた。 「男の人だったんですか?」 「ぼくは女だよ。でも、ぼくはぼくだから」  首を傾げると、お人形さんは私の視線まで腰をかがめてくれた。 「〝ぼく〟が、自分のなかにあるぼくという存在を表現するのに、一番しっくりくる一人称なんだ」  何だか、むずかしい。自分のなかにある自分って、何だろう。 「……そういえば」  ふつふつと、私の頭のなかにあった、昔の思い出がよみがえる。  私は小さいころ、自分のことを「カガリ」って呼んでたんだ。自分の名前が好きだったし、自分の名前を自分で呼ぶときの〝ちゃんとここにいるぞ〟って思える感覚が好きだったから。 お母さんとお父さんにいっても、「何をいってるか、わからない」って笑われたけどね。  とにかく、そのときまで、〝カガリはカガリ〟だった。  小学校一年生になったころから、かな。周りの子たちが自分のことを「私」とか「うち」って言い出した。私は、そんなこと気にせずに自分のことを名前で呼んでいたけれど。  だけどある日、同じクラスの花園モイラちゃんにいわれたんだ。 「カガリちゃん、まだ自分のことを名前で呼んでるの?」  そういって、仲のいい子たちと、クスクス笑いだした。  私は、なんでそんなことで笑われるのか本気でわからなかった。だから、その場では一人称を直さなかったんだけど……。  数日たっても、クスクス笑いが止まなかった。しだいに、私が自分のことを「カガリ」っていうと、クラス中がどっと笑うようになった。モイラちゃんが「幼稚園児みたいだね」と続けると、またみんなが大笑い。  私は、モイラちゃんに聞いた。 「なんで笑うの?」 「止めな? ばかみたいだよ、その質問」  モイラちゃんは、つまらなさそうに答えた。  ある日、モイラちゃんがうさぎ小屋のうさぎのことを「カガリ」って呼びだした。うさぎ小屋をかこんで、みんながそれを笑っている。 「カガリ、ニンジンおいしい? レタスもあるよ」 「あはは。カガリ、めっちゃ食べるんだけど。ウケる」 「大きくなるんだよお、カガリ」  みんな、クスクス笑いながら、うさぎを指さして、「カガリ」って呼ぶ。  意味が解らなかったので、私はみんなにたずねた。 「それの、何が面白いの?」 「ははは、こわい顔。行こ、行こ」  レタスを私に向かって放ると、モイラちゃんたちは昇降口へと走っていく。めまいがした。よろよろとレタスを取って、うさぎ小屋のゴミ箱のなかに捨てた。  ようやく、自分のことを名前で呼ぶことがおかしいんだって気づいたときには、すでに遅かった。  私はモイラちゃんを中心に、クラス中から異物扱いされるようになっていた。  クラスに、どんどんなじめなくなっていって、どんどん教室で浮いていった。  もともと、ひとクラス二十人ていどしかいない、田舎の小さな小学校。クラスメイトの女子も十人ほどしかいない。ちょっと仲間はずれにされただけで、一気に味方がいなくなった。  それからだ。自分のことを「私」って呼ぶようになったのは。はじめは違和感があったけれど、すぐに慣れた。  そんな私たちも、今ではすっかり六年生になり、一年生のころよりは落ち着いた。  モイラちゃんも、ずいぶん丸くなったけれど――。 いまだに、私はクラスで浮いたままだった。  これでいいんだ。トラブルになるくらいなら、ひとりでいたほうがいい。  そんな私に、イザヨイさんはよくいう。 「ガラスの靴が空から降ってくればいいのにねえ」  初めていわれたときは、「どんな天気予報っ?」って、思わず笑ってしまった。でも、この息苦しさが、〝晴れときどきガラスの靴〟で一変するのなら、どうか降ってみてほしい。  ガラスの靴は透明だから、ビニール傘ごしに溶けこんで、見失っちゃうかもしれないけれど。 「ねえ、どうかした? ボーッとして」  お人形さんが、心配そうに顔をのぞきこんでくる。  いけない。また、ネバーランドに行っちゃってたか。 「あ、あの、初対面でこんなこというのはおかしいと思うんですけど、聞いて下さい」 「はあ」 「私……一年生まで自分のこと、カガリって、自分の名前で呼んでたんです。これって、変ですかね?」 「変じゃない。きみはきみだよ」 それだけで、あっというまに胸のもやもやがほぐされて、スッと軽くなる。  この人、私と気があう。たぶん、めったに出会えないレアキャラだよ。ロリータファッションの人なんて、わざわざ名古屋や大須に行かないと会えないんだよ。こんな田舎町にいること事態が珍しいのに。  もしかしたら、今を逃すともう、チャンスはめぐってこないかも。  私、ぜったいに、この人と仲良くならなきゃ! 「あの」 「はい?」 「友達になってください」  お人形さんが、口をへの字に曲げる。つやつやの髪がふわっとひるがえる。その一束、一束が、夏の風にふかれるラベンダーみたいに軽やかだった。 「たしかにぼくは、きみの名前が〝カガリ〟だってことは、わかったけどさ……」  お人形さんが、困ったように笑う。 「まだきみって、ぼくのちゃんとした名前も知らないよね」 「の、ノバラさん、でしたっけ」 「あたり。でもさ、友達っていうのは早くないかな?」 「そ、それは……そうですね」  ガッカリと肩を落とす、私。  うなだれている私の目線に、爪がきちんと切りそろえられた手が伸びてきた。 「話そうか。ぼくと友達になりたいっていうんなら」  〝図書館ではお静かに〟しないと、イザヨイ司書のカミナリが落ちるから。  ふたりそろって図書館を出た。ノバラさんが私の手を引いてくれる。  太陽の下、ストラップシューズを鳴らして歩く、ノバラさん。お姫さまみたいな服なのに、なんだかちょっとカッコいい。  外に設置されたベンチに、並んで座る。しかし、日陰になっているとはいえ、今は初夏。じめじめとした空気に、ぎらりとした日差し。少し動けば、汗ばむ暑さだった。  だというのに、ノバラさんは汗ひとつかいていない。ロリータ服を着るための、そういう訓練があるのかな。それとも、ノバラさんは本当にお人形さんなのかも?  ノバラさんは、私に色々なことを教えてくれた。  まず、着ているお洋服のこと。ノバラさんが着ているロリータ服は、西洋のファッションの歴史などを取り入れた、フリルやレースがたくさんあしらわれた、お姫さまのようなお洋服のこと。 「ぼくは、このロリータ服が大好きなんだ。この服を着ているときが、一番自分らしくいられるんだよ。ぼくにとって、ロリータ服を着るということは、自分に魔法をかけるということなんだ」 「魔法……?」 「うん。この服を着るとね、強くなれるんだ。制服やカジュアルな服ではなくて、このロリータ服じゃないといけない。どんなことをいわれても、跳ねのけられる勇気がわいてくるんだよ」  ノバラさんはここではないどこかを見つめて、そういった。 「ねえ、どうしてぼくと友達になりたいと思ってくれたの?」 「今しかないと思ったから……」 「どういうこと?」  私はノバラさんに、うさぎ小屋での記憶を話した。一人称のこと、今の教室での立場、そして家での親に対する息苦しさも。 「家に、学校に、不器用な自分に……私はずっと、ふてくされているんです」  ノバラさんは、じっと私の話に、耳を傾けてくれた。まん丸のノバラさんの瞳は、色素が薄いのか、少し茶色がかっている。その瞳に私が映っているのが、何だか不思議だった。 「きみって、ぼくに似てるね」 「ど、どこがですか?」 「不安そうな目をしてるところ、とか似てる」  ノバラさんが、ぺた、と目元に触れてくれる。  私、ずっとそんな目をしてたの? ちっとも知らなかった。自分で自分の顔は、見られないから。 「安心して。ぼくだから、わかったんだ。いつも鏡でみる、ぼくの目といっしょだから」 「ノバラさんの、目と……」  ちょっと、嬉しいと思ってしまった。ずっと前から、‶友達とのおそろい〟に憧れていたから。実際に夢みていたおそろいとは、だいぶ違うものだけれど。 「じゃあ、自己紹介しようか」  ノバラさんが、ベンチから立ち上がる。パニエでふくらませたスカートが、ふわっと広がる。朝露にぬれたアサガオがゆったりと花開くようなきれいな光景に、私の目はくぎづけになった。 「あらためまして、六門ノバラだ」 「えっと……里々原カガリ。小学六年生です」 「ぼくは、高校二年生の十七歳。よろしく。じゃあ、友達になろうか」 「い……いいんですか?」 「名前をお互いに知れたんだもん。もう友達だよ」  差しだされたノバラさんの手を、私はそっとにぎった。あたたかくて、白くてふわふわの手だ。  握手が外れると、ノバラさんが手ひらを見せてきた。それを、ぎゅ、とにぎりこむと、くるっと、手首を一回転させた。  瞬間、私の目の前にピンク色が飛びこんできた。それは、凛として咲く、バラの花だ。  突然、魔法のように、ノバラさんの手のなかに、バラの花が現れた! 「バラの花っていうのはね、昔から交配を多くされてきた花で、たくさんの種類があるんだよ。現在でも、十万種以上あるとされているんだ」  ノバラさんの手には、濃いピンク色のバラ。鼻を近づけると、とてもいい香りがする。 「このバラの名前は、フレンドシップ。フレンドシップの意味は、友情。今日の記念に、受け取ってくれる?」  バラの香りに包まれながら、私はそれをマイクのようにノバラさんに差し出した。 「……このバラ、どうやって出したんですか?」 「それは、企業秘密」 「ヒントだけでも」 「ぼく、手先が器用なんだ。アクセサリー作りとか、超得意」 「ご、ごまかされてるっ」  受け取ったバラを見つめていると、ノバラさんがいつのまにか日傘をさしていた。 「そろそろ、ぼくは行くよ。家のご飯の用意をしなくちゃ。それじゃあね」  夕日が沈む空へと歩いていく、ノバラさん。 あの周りだけ、外国になったみたいだ。ジミな図書館の駐車場が、パリのシャンゼリゼ通りに見えてくる。  ノバラさんは、何度かふり返って、手をふってくれる。私も、思いっきりふり返した。  いつのまに、こんな時間になっていたんだろう、と駐車場の時計を見上げる。十六時半だ。もう、うちのお母さんが夕飯を作りはじめる時間。  ノバラさんも、ご飯を作らなきゃって、帰っていった。かわいいお洋服に目が行きがちだけれど、中身はしっかりものなんだなあ。  まだまだ空は明るいのに、時間がすぎるのは早い。これだから、夏はいやだ。 「くふふ。私……高校生と、友達になっちゃった」  今度はいつ会えるかな。  せっかく友達になれたんだから、ノバラさんの家にも行ってみたいし……。  私の家にも、いつか誘いたいな。  家に帰ると、お母さんが水槽の前に立っていた。なかの金魚をジッと見つめて、「うーん」とうなっている。それが、ろ過装置の「ブーン」がまじりあい、ふしぎなハーモニーを奏でていた。 「お母さん、どうかしたの」 「やっぱり、うちの玄関にはちょっとハデすぎよねえ、この金魚」 「え……そうかな」 「土佐錦魚っていうんですって。金魚なのに、たいそうな名前よね」  私はお母さんに聞こえないように「そうかなあ……」とつぶやいた。 「うちの玄関ってせまいし、ジミでしょ。だから、水槽が浮いちゃうのよね。お父さんも、もっとジミな金魚をもらってくればいいのに」  ぶつぶついいながら、リビングに入っていくお母さん。少しして「手、洗いなさいよ」とお決まりのセリフが飛んできた。言われなくたって、洗うし。  私は洗面所で手を洗いながら、水槽のなかを泳ぐ土佐錦魚のことを思い浮かべていた。  ゆっくりと、水のなかを進んでいく土佐錦魚の尾ビレが、私の脳内をふわりとかすめる。それに合わせて、レースやフリル、トランプもようのスカートが、そよ風にたなびくカーテンのように、ふわりとゆれはじめた。 「あんたみたいなジミな子が、そんなフリフリの服を着て、どうするの?」  頭のなかの妄想で、リアルに響く、お母さんの声。教科書のかどっこで、ガーンと殴られたような気分。  そうだよね。私には、やっぱり似合わない。ノバラさんみたいに可愛くないし。  ……違う、これは私の妄想。しっかりと傷ついて、ばかじゃないの、私ってば。 「ジミな玄関でも、金魚は元気に泳いでるじゃん」
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