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両親との会話がない日が続いた。お母さんが話しかけてきそうになったら、急いで二階に上がった。「ご飯よ」といわれたら、黙っておりて、急いで食べて、また二階に上がった。
お風呂には夜中、こっそり入った。喉がかわいたらいけないので、コンビニでペットボトルのお茶を買った。小腹が空いたときようのチョコレートや、スナック菓子も。
二人の顔を見ると、胸のなかがぐちゃくちゃになって、苦しくなった。
そんな状況のまま、土曜日をむかえた。
私は、めいっぱいのオシャレをした。ゆるっとしたシルエットのセーラーカラーのブラウスに、黒のガウチョパンツ。トートバッグには、財布とスマホ、あと絵本を一冊入れた。
息をひそめて、階段を降りる。お父さんは、仕事のつきあいで朝からどこかへ出かけて行った。お母さんはリビングで、テレビを見ている。
足音を立てずに、廊下を渡り切らなきゃいけない。
「カガリ」
ビクッ。
「出かけるの?」
どうして、降りてきたってわかったの。返事をしなきゃ、という気持ちと、したくない、という気持ちがせめぎ合う。
「どこに、出かけるの? あまり遠くじゃないよね? 遅くならないようにしてよ」
私は、リビングのドア越しにうなずくと、スニーカーを引っかけて、玄関を飛び出した。
しばらく、走り続けた。心臓がバクバクする。背中を、汗が垂れていく。
ノバラさんに会う前なのに、すっかり汗だくになってしまった。
朝の九時四十五分。早く着きすぎちゃったかな。ベンチに座って、ノバラさんを待つ。
あれから、お母さんもお父さんも、進んで私のことを放っておいてくれるようになった。そういう年頃なんだ、と諦めたのかな。
二人は、私がクラスで浮いていることを知らない。知ったら、どう思うんだろう。悲しむかな。お母さんだったら「カガリは社交的なんだから、そんなことになるはずがないんだけどなあ」とか、いうのかな。
私がそう見えるのは、無理して、いろんな人に気をつかってただけ。お母さんは、何もわかってない。私のこと。やっぱり、興味がないんだ……。
厚底のストラップシューズがカツカツと近づいてくる。ノバラさんだ!
「おはよう」
「おはようございます、ノバラさん」
「わっ、今日の服いいね」
「う、嬉しいです」
「ふふ、じゃあ、さっそく行こうか」
ノバラさんを追いかけ、図書館を出た。
そういえば、さっきノバラさんのカバンの中身がチラッと見えたんだけど、驚いた。小説と絵本が何冊も入っていたから。いつも重そうだなあとは思っていたけれど、本があんなにも入っていたなんて、びっくり!
「お、重くないんですか?」
「大丈夫。小学生のランドセルと同じくらいの重さだよ」
たしかに私も、毎日何冊も教科書を持って、学校に通っているけれど。でも、それとこれとは話が別。
だって、ロリータ服だってけっこう重いと思う。昔、七五三で着物を着たとき、すごく重く感じたのを覚えてる。だから、これだけ色んな布やレースでできた服が、重くないわけがないのだ。
しかも、こんなムシムシした暑い日に、重いカバンまで持ち歩いてるんだよ。ロリータさんって、アスリートかなにか? 三年に一回、ロリータオリンピックでもあるの?
「一冊でよくないですか?」
「それじゃあ、足りないんだよ」
「一日に何冊、読む気ですかっ?」
「短歌集や児童書をふくむ日は、三冊は読むかな」
「ええ!」
本って、一日にそんなにたくさん読めるものなの?
「ぼくのお母さんが、よく本を読む人だったんだ。ファッションへの思いや、ぼくの物事の考え方は、ほとんどお母さんの影響」
ノバラさんの大きな瞳は、ここじゃない、どこか遠くを見つめている。
「すてきな……お母さんなんですね……」
「うん。お母さんは、ぼくの憧れの人なんだ」
それは入道雲よりもその先の、青い空の向こう側だ。もしかして、ネバーランドかな。
しばらく、ふたりで雑談をしながら歩いた。
内容は、「このへんで、黒猫をよく見かけるんだ」とか、「近くにカレーパン屋ができたらしいよ」とか、他愛もないこと。
あと、ノバラさんと私の家は、意外と近いのかもしれないこと。歩くとけっこうかかるらしいけれど、自転車だったら、もう少し早く着けるかもしれない。
「本当に、うちから近くじゃないですか。驚きです!」
「うん。ちょっと前までね、そのへんに住んでたんだ」
そのいいかたに、私はきょとんと首を傾げた。
「……今は違うってこと?」
「うん。今は、別のところに住んでるんだ」
図書館からまっすぐ歩いて、何軒かコンビニを通り過ぎた。大きな交差点を左に曲がる。
すると地域のみんなに人気の喫茶店「トム・キャット」が見えてくる。
そして、その隣が、今日の目的の場所らしい。
「ここは……?」
「さっきいってた、ぼくが前、住んでいた家だよ。さあ、あがって」
「お、お邪魔します」
手慣れたようすで玄関の鍵を開け、なかに入っていくノバラさん。あわてて私も、それについて行った。
ノバラさんのイメージとはだいぶ違う、昔ながらの日本家屋。上がりかまちの高い玄関に、せまい廊下。ロリータとはかけ離れた家だ。
廊下を突き当たると、すりガラスの引き戸があった。なんだろう、とその部屋を開けようとする。
「だめ! 開けないで!」
ビクン、と反射的に手を引っ込める。
とても大人びていて、優しいノバラさんが、こんなに大きな声をあげるなんて。
「あっ……ご、ごめんね! 怒鳴ったりして。でも、ここ掃除してないんだ。絶対に開けないでほしかったの! 本当に、ごめん……」
「そ、掃除……?」
「恥ずかしいことだけど、ちゃんとできてないんだ。本当に、本当に、ごめんね」
掃除をしてないくらい、気にしないのに。それに、ここはもう住んでいないって、さっきいってなかった?
なら、掃除してないところがあっても無理はないし、むしろしなくても全然いいんじゃないかな。
ふしぎに思いながらも、私は何もいえなかった。
トントン、と軽快に二階への階段を登っていく、ノバラさん。
「この家はね……ぼくのお母さんの実家なんだ」
階段をあがるたびに、ノバラさんのスカートのすそが、ひらひらっとゆれる。なんだか、うちの金魚みたい。
「お母さんが、子どものころから住んでいた家でね。つい最近まで、ぼくとお母さんのふたりで住んでたんだよ」
あれ、お父さんは——?
ノバラさんのお父さんとお母さんは、別々に暮らしてるの?
ノバラさんはよく、ご飯の用意をしなくちゃって、いっているから……お父さんとはいっしょに住んでいるんだと思う。
じゃあ、お母さんは? この家のホコリ具合。人が住んでいる感じじゃないよね。
ノバラさんのお母さん、今は別のところに住んでいるのかな……。
「ここが、ぼくの部屋だよ」
二階にあがってすぐの部屋を、ノバラさんは指さした。
すりガラスの引き戸から、赤やピンク色がぼんやりと浮かんで見える。
「さあ、どうぞ」
ガラッと開けられると、そこには夢のような空間が広がっていた。
ベビーピンク色の壁紙に、天井からつり下げられた小さなシャンデリア。バラのもようのカーテンに、白を基調とした家具。
部屋の奥には大きな本棚があって、小説や絵本がぎっしりとつまっている。
床には、赤い絨毯が敷かれていた。
金色のハンガーラックには等間隔にお洋服がかけられ、トルソーにはノバラさんがコーディネートしたお洋服が着せられている。
童話に出てくるようなお洋服が、ずらりと並ぶここは、どこかのお城のひと部屋みたい。
目の前の光景が、とても信じられなくて、目をぱちくりとさせてしまう。
「すごい……。こんな部屋、見たことない」
「ふふ。ぜんぶ、ぼくの宝物だよ。ここだけは掃除をかかさないの。だから、安心して入って」
嬉しそうにほほ笑む、ノバラさん。ハンガーラックから服を一着、手に取って私に見せてくれる。
「これはね、『不思議の国のアリス』のお茶会をイメージしたお洋服なんだ。ぼくはこのお話が大好きでね。ほら、ここにウサギがいるでしょう。このお洋服を着るときは、必ずこれをかぶるんだ。トランプもようのボンネット。ボンネットっていうのは、昔のヨーロッパの貴族がかぶっていた伝統的な帽子のことだよ」
ボンネットを実際にかぶって見せてくれる、ノバラさん。
大きなサンバイザーみたいなものに長いヒモがついてる、って感じかな。サンバイザーのツバの部分を上向きにして、あごの下で、ヒモをむすぶらしい。
ボンネットには、フリルやリボンがついていて、とってもかわいい。
ハンガーラックを見ていると、ひときわ輝くお洋服が目に飛びこんできた。
「あっ。このイチゴがプリントされたやつ、すごくいい!」
まるで生クリームのようなフリルを何層にも重ね、イチゴシロップのような前開きのスカートを重ねたジャンパースカート。真っ赤なイチゴがプリントされていて、これを着たら、ケーキになれちゃいそうな、すてきなお洋服。
「着てみる?」
「え! い、いいの?」
「うん。ぼくも、カガリちゃんがロリ服を着ているところ、見てみたい」
私が、こんなにかわいい服を着るなんて、いいのかな。でも、ノバラさん以外、誰も見てないし……。
「いや、やっぱりダメ。私、ノバラさんみたいにきれいな肌じゃないもの」
「何いってるの。きれいだよ」
「ううん。足にね、うぶ毛がたくさん生えてるの。もじゃもじゃだから、はずかしい」
いつも、長ズボンをはいて、それを隠してるの。夏だから暑いけれど、仕方がない。
でも、服を着替えたら、もじゃもじゃがバレちゃうよ。
「ぼく、そんなの気にしないよ。でも、そんなにはずかしいなら、長いソックスで隠せばいいよ」
ノバラさんは未開封のかわいいソックスを、クロゼットから出してきてくれた。赤いリボンがついている、さっきの服とのコーディネートにぴったりのソックス。
「ほらほら。後ろを向いててあげるから、着替えて、着替えて。着方がわからなかったら、ぼくを呼んでね」
部屋の奥に、えいやっと押しこまれる。本棚の前で私は、どきどきしながら服を着替えた。
お洋服を汚さないよう、今着ている服の上から、ジャンパースカートをかぶる。下は、ノバラさんに借りた、雲のように盛りあがった、たっぷりのパニエに着替えて、さっきのソックスをはく。
パニエを着ると、お洋服はドーム状に広がり、よりショートケーキに近づく。
「ノバラさん。着替えました……」
私のすがたを見て、ノバラさんは思いっきり拍手をしてくれた。
「似合うよ、すっごくいい!」
そして、ジッと私のことを見つめてから、「そうだ!」と白いチェストから、細長いチューブを取り出した。洗い流さないヘアクリームだ。
「髪形を少し整えるだけで、ロリータ度は上がるのだっ」
博士みたいな口調で、クリームを手につける、ノバラさん。それで、するすると私の髪をなでていく。
それを終えると、「よし」といって、最後にイチゴやピンクの造花があしらわれた、麦わら帽子をかぶせてくれた。
おそるおそる、すがた見で自分のかっこうを確認する。
すると、そこには今まで見たこともないような、かわいい服を着た私がいた。着せられてる感はぬぐえないけれど、でもわくわくが止まらない。すてきな服を着ているだけで、こんなにも幸せになれるんだ。
「めちゃくちゃ似合ってるよ、カガリちゃん」
「ほんと?」
「うん! 着替えちゃうのが、もったいない。記念に、何かやりたいな」
「何かって?」
「……そうだっ、アクセサリーを作ろうよ。ぼく、レジンをいっぱい持ってるんだ」
「レジン?」
「樹脂のこと。百均とかでも売ってるよ。ぼく、これでいろんなアクセサリーを作ってるんだ」
ノバラさんはさっきのチェストの違う段から、小さなボトルを取り出した。
それから、次々といろんなものを取り出しては、猫足のローテーブルに並べていく。
丸いお皿に、さまざまなパーツが入ったケース。ピンセットに、パレット。
「どう? いっしょに、作らない?」
「はい! やりたいです!」
テーブルの前に座ると、ノバラさんはさっそく、流しこみ口のついたパレットにレジンを出していく。
「まずこれで、色を作る。白と、黄色と……」
色ができたら、シリコンの型にそれを交互に流しこむ。ミルフィーユを作るときみたいにね。固まったら重ねて、また固まったら重ねる。
そうしたら次は、一番大事なお仕事。とっておきのいちごのパーツを、作った生地の上に、ていねいに乗っける。
「最後に、指輪台に接着剤をぬって、できたケーキをくっつけたら、完成」
すごい。いちごのショートケーキの指輪だ!
初めてのアクセサリー作りだったから、うまくいくか心配だったけど、なんとか作り上げることができた。形は……ガタガタだけど。
ノバラさんのケーキは、層のバランスがいいし、形も崩れてない。売りものみたいに、できがいい。
私のは、層がぐちゃっとしてて、つぶれかけたケーキみたい。
「うーん、まだまだ修行が必要だ……」
「味があって、いいじゃない」
「どうしても、ノバラさんのと比べちゃうんですよっ」
「ふふ、ぼくは手先が器用なんだ」
テーブルにひじをついて、得意げに笑うノバラさん。楽しいな。ロリータ服を着て、ケーキのアクセサリーを作って、こうしてノバラさんとおしゃべりして……。
いつのまにか、自分が自分じゃなくなるような感覚になる。今だけは、ふてくされてる里々原カガリはどこかに行ってしまっているよ。
そうか。ロリータ服は、「自分に魔法をかけるための服」なんだった。
「このノバラさんの部屋、本当にすてきです」
「あ。いや、この部屋はね……」
「ここは、ノバラさんの魔法がつまった部屋なんですね!」
ノバラさんの魔法の部屋を、うっとりとしながらながめる。
すると、ノバラさんははっきりと「うん」と答えた。
「……そうなんだ。ここは、ぼくがぼくであるための、大事な部屋なんだよ」
「呼んでもらえて、とっても嬉しいです」
「ここに誰かを呼ぶのは、カガリちゃんがはじめてだよ」
「うそ!」
高校のお友達とか、呼ばないのかな。
「カガリちゃんなら、このお洋服たちをまっすぐに見てくれると思ったから、つい誘っちゃったんだ」
「まっすぐ、ですか?」
「うん。まるで宝石みたいだって、思ってくれると思ったから」
「こんな素敵な部屋、みんなわくわくするし、宝石みたいだっていうと思いますよ」
ノバラさんは、ちからなく首を振った。
「ロリータ服はね、着てるだけで見世物扱いだよ。こんなハデな服を着てるなんて、おかしいやつだって、みんな思ってる」
「そういう見方をされたことがあるってことですか?」
「うん」
悲しそうな、すべてをあきらめきったような声で、ノバラさんは目を伏せた。カールされたまつ毛が、ノバラさんの白いほっぺたに影を落とす。
私は、ぎゅ、とこぶしを握りしめた。イザヨイさんの「ガラスの靴」という言葉が浮かぶ。イザヨイさんは、慰めるんじゃなくて、ただただ私に寄り添ってくれていた。それが、どれだけ嬉しかったか。
私は、イザヨイさんにたくさん助けてもらった。だから、今度は私が、私の言葉で、ノバラさんに寄り添いたい。
「ノバラさんは、この町で一番のロリータですよ。私が保証します!」
するとノバラさんは、ぽかんとした顔をして私を見た。でも、すぐに「ぷふっ」と吹き出して、満面の笑顔になった。
「たしかに、この町ではぼく以外のロリータは見たことがないね。でも、町一番のロリータって、なんだかおとぎ話みたいないい回しだねえ」
しだいに堪えきれなくなったのか、大声で笑い出す、ノバラさん。
その表情は、ちっとも、お人形じゃない。私たちと同じ、普通のかわいい女の子だ。
「でも、町一番のロリータだって思ってくれる人がいるなんて、幸せだよ。この言葉は、最高のプレゼントだ。ありがとう」
いいながら、ノバラさんは何もない両方の手のひらを私に見せた。そして、鳥が羽ばたいていくようなジェスチャーをする。
頭の上に、ハテナマークを浮かべる、私。
「はい」
左手をトントンと突かれる。
「ぼくからは、これをプレゼントするよ」
「え? ……わあっ!」
気づくと左手に、ノバラさんがさっき作っていた指輪が乗っていた。
ノバラさんの魔法だ。胸がぽかぽかとあたたかくなる、不思議な魔法。
「い、いつのまに……いいの?」
「うん」
「嬉しいです……ありがとう! あっ、じゃあ私からは……」
さっき作った指輪を、と思ったけれど、これはもともとノバラさんが用意してくれた材料で作ったもの。いや、それ以前に、こんなへたっぴな指輪、あげられないよ。
「え? ぼくはもう、もらったよ。〝町一番のロリータ〟をね。ふふふっ」
「ご、後日、ちゃんとしたものをあげたいです! 待っててください!」
こめかみのおくれ毛を耳にかけるノバラさんは、まぶしそうに目を細めた。
「ありがとう。それじゃあ、楽しみにしてるね」
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