第四章 ハトが見ている

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 家に帰ると私はさっそく、ちゃちゃっと宿題をやりおえ、地元の駅に向かった。  子ども用の切符を買って、電車にゆられること二十分。終点の名古屋駅で降りる。そこで、地下鉄東山線の藤が丘行きに乗って、大須観音駅へと到着。  すると、どばっとお客さんが降りる。  親子連れに、お年寄り夫婦。全身真っ黒コーデのオシャレなお兄さんや、ウサギのリュックを背負ったツインテールのお姉さん、と色んなお客さんがさまざまや目的で大須へと歩いていく。  ここは神社やお寺、昔ながらのブティックや居酒屋のなかに、ライブハウスやメイド喫茶、雑貨屋に外国の郷土料理のお店、と種類の違う誰かの好きなものをごちゃまぜにしてぎゅっと凝縮したような、独特の雰囲気の町なんだ。  私が大須にやってきた目的。それは、古着屋。  大須には、古着屋もたくさんあるんだ。つまり、ロリータ服を安く買えるかもしれないってこと!  今日は、お小遣いの全財産を持ってきた。ノバラさんへの最高のプレゼント、ぜったい見つけたい。  大須観音駅の二番出口を出て、オレンジ色のコンビニを左に曲がる。大須観音の境内が見えてくると、ポッポ、ポッポという鳴き声が聞こえてくる。 「うわっ。やっぱりいるよね」  ここの境内にはいつも、信じられないほどのハトがうじゃうじゃいる。まるで、鳥の絨毯みたいに広がって、「ポッポ、ポッポ」と鳴いているんだ。  昔、お正月に家族で来たとき、ここのハトにしつこく追いかけられたことがある。それ以来、ハトが苦手なんだよね……。  境内では、ハトのエサが五十円で売られている。観光に来た人たちはそのエサの皿を買ったとたんに、一瞬で大量のハトたちに取り囲まれて、ハトまみれになってしまうのだ。そんなわけで、ここは撮影スポットとしても人気らしい。  もちろん私は、ハトまみれなんて勘弁。  遠回りして、違う道を行きたいところ。でも、目をつけている古着屋はこの道の先にあるんだよな。道を変えて、迷ったらいやだなあ。  その時、一瞬だけ、ハトの群れがサ―ッと二つに分かれた。私の目の前に、一本の輝く道が伸びていく。 「い、今だっ」  私はぎゅ、と目をつむると、ハトの群れを一気に突っ切る。冷や汗をかきながら、後ろをふり返ると、ふわっと一羽のハトが飛びあがった。  うそ。まさか、私のこと追いかけてようとしてるッ? 「え、エサなんて持ってないよッ!」  何も持っていない、といわんばかりに両手を見せると、ハトは不思議そうな顔をして、境内へともどっていった。言葉が分かるのかな、あのハト……。  ともかく、私はやっと大須商店街の入り口にたどり着いた。ホッと胸をなでおろす。  大須観音通りのアーケードに入ると、そこからは、一気に人通りが増える。  大須商店街は、大須本通、仁王門通、門前町通、赤門通、万勝寺通、東仁王門通などの、九つの商店街で形成されていて、なんと千件以上のお店が、そのなかでひしめきあっているんだって。すごい。  今日は、このなかから、たったひとつのプレゼントを見つけださないといけない。  そして、数時間が経過した。  やっぱり、簡単には納得のいくものは見つからない。ロリっぽい服はたしかに売っているし、値段が手ごろなものもある。  だけど、ノバラさんの着ているロリータ服とは、どこか違う気がする。 「うーん。このへんにはないのかなあ。って、ここどこだ?」  ふわっと、いいにおい漂ってくる。チキンの香ばしいにおい。  歩き続けているうちに、いつのまにか、赤門通商店街に来ていたみたい。  フライドチキンを売っているお店だ。チラッと店内をのぞいてみる。レジカウンターで、制服を着た女の人がほがらかな笑顔で接客をしている。  ちょっと小腹が空いたし、ポテトでも買おうかな……。 「あれ? あの店員さん」  見覚えがあった。髪型はいつもと違って短くまとめてるけれど、あの背丈に、あの仕草。 「ノバラさんっ?」  ノバラさんが、フライドチキンの店で働いてる!  つい気になって、私は店内へと入った。列に並んで、ドキドキしながら順番を待つ。  ふだんとは違う、お店の制服すがたのノバラさんは、まるで別人みたいだった。途中、働いているノバラさんのすがたをチラチラと盗み見ているうちに、いよいよ私の順番がまわってきた。 「お待たせいたしました。いらっしゃいま……えっ」  私に気づいたノバラさんが、恥ずかしそうに口もとに手を添える。人さし指でほっぺたをぽりぽりとかきながら、へらっと笑う。 「カガリちゃんってば。どうしたの?」 「いや、ちょっと……ノバラさんこそ、ここで働いてたんですね」 「うん。高校生になってすぐにね。昔から、お母さんとたまに食べに来てたんだ。スタッフさんも知り合いが多いから、働きやすいかなって……あっ、ぼく、もうすぐ休憩時間なんだよ。チキンおごるから、よかったらいっしょに食べない?」 「えっ、でも、いいんですか?」 「もちろんだよ。ちょっと待ってて」  そういうと、ノバラさんはキッチンにいる先輩のスタッフさんに声をかけに行った。そのすがたが、なんだかずいぶんとおとなに見えて、私の胸のなかにすきま風が吹く。  何だろう、この気持ち。  ノバラさんだって、アルバイトくらいするよね。だって、ロリータ服は高いもん。三万円もするんだよ、三万円も。アルバイトをがんばってるから、ノバラさんはあれだけのすてきな服を持ってるんだよ。  ざわつく胸をこっそりとさすりながら、カウンター席に座った。初めて座るカウンター席は、何だか広く感じた。私が、子どもだからかな。  そわそわしていると、ノバラさんがトレイを持ってやってきた。チキンが三ピース、カゴにごろりと入っている。  ノバラさんは、制服の上から、黒いパーカーを羽織っていた。 「暑くないんですか?」 「うん」  さすが、真夏にロリータ服を着ても汗をかかない、ノバラさんだ。 「制服のままフロアでダベるのはさすがにダメって、先輩にいわれたからさ。ちょっとだけっていって、むりやり出てきちゃった」 「ええっ、いいんですか?」 「いいの、いいの。ぼく、この店にけっこう貢献してるし!」  ノバラさんはカウンターにトレイを置くと、私の隣の席にこしかけた。  ジューシーなフライドチキンのかおりが私の鼻をくすぐってきて、口のなかにじゅるりとよだれがたまる。一気に、お腹が空いてきちゃった。 「これ、本当に私が食べちゃってもいいんですか?」 「もちろん。おごっちゃう」 「じゃ、じゃあ、いただきます……」 「どーぞ」  カリッとしたコロモに、ジューシーなお肉。 じゅわっとした肉汁の味わいが、口のなかに広がる。すごい。今まで食べた、どのフライドチキンよりも、おいしい。 「うちの店のチキン食べるの、はじめて?」 「は、はい。スーパーのお惣菜のチキンなら食べたこと、あるんですけど」 「お惣菜には、お惣菜のよさがあるよね。でもさ! うちのチキンもおいしいでしょ」 「すごくおいしいです。なんというか、味付けが違うというか」 「おお。そうなんだよ。チキンにかかっているスパイスにひみつがあるんだ。カガリちゃん、舌が繊細だね」  カウンターにひじをついて、足を組んで座っている、ノバラさん。雑誌の表紙のモデルみたいで、カッコいい。 「ノバラさん。接客してるときはいつもと雰囲気、ちがいますよね」 「ふふ。猫かぶるのうまいでしょ、ぼく。おかげで、去年の年間ベストスタッフ賞に選ばれちゃった。賞状ももらったんだよ」  ノバラさんが嬉しそうに見せてきたスマホには、その賞状の画像が表示されていた。「ベストスタッフ賞 六門ノバラ」と書かれている。 「これ、ぼくの人生で初めてもらった賞状なんだ。だから、ちょっと自慢しちゃう」 「すごいですよ! めちゃくちゃがんばったってことですよね、コレ」 「うん。まあ、お父さんは褒めてくれなかったけど」 「……え?」  ドクン、と心臓がはねた。 「そんな、どうして?」 「うーんとね。〝接客なんだから、お客に満足してもらえるサービスをしていれば、賞状なんてもらって当然〟だってさ。たしかになーって、感じだよね」 「ど、どこが? ひどすぎますよ。がんばったんでしょ?」 「ふふ、昔からそういう人なんだ。慣れてる、慣れてる」  氷水をかけられたように、一気に私の全身が冷えていく。  ノバラさんは、なぜか笑顔だ。でも私には、その笑顔の底から、違う表情がにじんで見えた。悲しみ、寂しさ、諦め——。  ノバラさんは、今までずっとそうやって受け流してきたんだろうな。お父さんからの言葉に心臓をえぐられて、その痛みに血が流れてきても、笑ってやりすごしてきたんだ。 「どうして……本当の気持ちを隠すんですか」 「え?」 「そういう人なんだとか、そんな親もいるとか……いつまでそうやって笑って、自分をごまかすんですかッ!」  ここがフライドチキンのお店のなかだということは、もう忘れてしまっていた。頭のなかが、いろんな感情でぐちゃぐちゃだった。  ノバラさんは、少しも泣いていない。私の涙だけが、じわじわとあふれてくる。  私のなかに積もり積もっていた、自分の両親への不満とか、自分への嫌悪感が、嵐のなかの濁流のように押し寄せてくる。  何でこんなものが、今出てくるの? 止めたくても、止まらない。 「このお店でずっとがんばってきたことを、お父さんに褒めてほしくなかったんですか?」 「それは……」 「〝すごいね〟って、いってほしくなかったんですかッ?」  とたんに、ノバラさんは顔を歪める。それは、さっきレジに立っていた店員さんでも、ロリータ服に身を包んだカッコいいお姉さんでもない。  私よりちょっと年上なだけの、ただの女の子だ。 「それだけで嬉しいのに、満たされるのに……一言だけなのに……。お父さんのいうことを聞いてばかりで——」  ノバラさんが、悲しそうに私を見つめている。ハッとした。  自分が今、何をいったのかを青ざめながら思い出す。  周りのお客さんからの視線を、背中にちくちくと感じる。  あわてて視線をそらし、どこでもないカウンターのへりを見つめた。  ノバラさんの顔、見れない。  やってしまった。また夢中になって、現実を忘れてしまっていた。  今すぐ、フック船長に海に突き落としてほしい。 「あああ、あのあの……私……ごめんなさいっ」  喉がカラカラで、かさついて、声がうまく出せない。  頭のなかが真っ白で、私はフライドチキンを持ったまま、お店を飛び出した。  ノバラさんが、私の名前を呼んだような気がした。でも私は、何もかも聞こえないフリをした。  あふれそうになる涙を必死にぬぐいながら、走る。こんな涙、誰にも見られたくない。  重い重いため息が、肺の底からこぼれ落ちた。 「最低だ、私……。あんなこと、いうなんて……」  すれ違う人が、ぎょっとした顔をして通り過ぎていく。みんな、私が持っているチキンを見ているようだ。  ああ、もう。私なんて、今すぐ消えてなくなってほしい。  人さし指にはめていた、ノバラさんがくれた指輪を握りしめる。 「何もかも、うまくいかないよお……」  ふと、視界のはしに赤い建物がうつり、立ち止まった。  ピンクのハデなドアには、『PINK MEZON』と書かれた看板がかかっている。ノバラさんが着ているロリータ服よりも、少しだけおとなっぽい雰囲気のお店だ。  やっと見つけた、理想のお店。  でも、私は今、大好きノバラさんにひどいことをいって、逃げてきてしまった。 「こんな服がプレゼントできたら、本当によかったのにな……」
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