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「先生も?あたしもそう、鐘の音で空気が揺れたの。そしたら先生と抱き合っていた」
二人共嘘を吐いていない。雅恵は相馬が嘘を吐いていてもよかった。むしろその方が嬉しかった。
雅恵が前屈みの姿勢で階段を上り切った。息を切らし最上段に腰を下ろした。昭和40年、相馬が腰を下ろした場所と同じである。
「おばあちゃん、コーヒーでいいの?」
「ああ、冷たい奴にしておくれ」
愛は汁粉とぜんざいとどっちにするか迷っていた。
「ぜんざいください」
「いい景色だねえ」
「元カレと来たときもここでコーヒー飲んだの?」
「当時はこのお茶屋さんはまだなかった。でも景色は変わらない」
雅恵ははるか下の山ノ内を眺めていた。愛が注文したぜんざいが来た。
「これ愛、先に弁天様に手を合わせなきゃ罰が当たるよ」
雅恵が立ち上がると愛も仕方なく手にしたぜんざいをテーブルに戻した。雅恵は相馬と並んで手を合わせたことを想い出していた。祈りは三つで最後のひとつは教えてくれなかった。
「この弁天様は江の島の弁天様と深い関りがあるんだよ」
雅恵は60年前に祈った。『相馬先生と結婚出来ますように』を『相馬先生と今度の洪鐘祭で再会出来ますように』とかえて手を合わせた。
「おばあちゃん、何てお祈りしたの?」
「人の祈りを聞くもんじゃないよ」
「先生と会えますようにでしょ?」
愛に見破られて雅恵は驚いた。
「どうして分かったんだい?おばあちゃんが声を出したのか?」
そこまでぼけているつもりはないが、心の中で祈ったことが声に出ていても不思議はない。最近独り言が多く、家族から『呼んだ?』とよく勘違いされていた。
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