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「引っ掛かったおばあちゃん」
愛がカマを掛けたのである。
「この子は悪い子だよ」
口とは裏腹に雅恵は嬉しかった。当時の雅恵と同学年の愛が慕ってくれている。愛が誰に似たかと言うと誰もが雅恵だと言う。
「おばあちゃん、ぜんざい醒めちゃう」
「はいはい、いただきましょう」
二人は茶屋のテーブルに着いた。対面の山には遅咲きの山桜が見頃を迎えている。
「おばあちゃん、元カレの名前を教えて?」
「相馬哲也、哲学の哲にナリだよ。そんなこと訊いてどうするの?」
「取り敢えずストレートにSNSに上げてみる」
雅恵が愛のスマホを覗き込んだ。
「ほら、もうツイートがあるよ」
みるみるうちに各地の相馬哲也が名乗りを上げた。しかしそのほとんどが顔を隠した嘘吐きである。
「信用してもいいのかい?」
「うんう、この中からこれだと思うのだけをピックアップするの。よしこれでいいと」
「凄いね、あたし等がお前の時分にはこんな世の中になるなんて考えらえなかったよ」
雅恵が茶代を支払った。そして洪鐘の前に立つ。南風が北風に変わった。晴れ間が消えて黒雲が円覚寺を包んだ。
「おばあちゃん、雨が降るんじゃない」
その時弁天堂から男が出て来た。浴衣を端折り、鉢巻きを巻いている。足元は丘足袋を履いている。持っていた紐を襷に掛けた。
「あの人?」
雅恵は60年前の男にそっくりだと思った。男は橦木を二度引く。三度目は大きく引いて鐘を突いた。辺りの空気が揺れた。次元の境目が曖昧になる。男が弁天堂に消えた。キーンと言う鐘の音の残りが耳鳴りのようになる。空気の揺れが止まり次元の境が元に戻った。気が付くと雅恵が愛の腕をしっかり握っていた。
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