洪鐘(おおがね)でキス

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 円覚寺の桜は満開を過ぎていた。昭和40年4月8日、60年振りの洪鐘祭りが執り行われる。60年前に経験した年寄りの経験談が参考となる。しかし60年と言う時の流れの中で経験者を探すのは困難を極めていた。この前の開催は明治時代である。現在のようにここまで寿命も長くない。それに大きな大戦も二つ経験している。 「横田のじいさんは知ってんじゃねえか?」  実行委員長の真崎が実行委員の竹田に言った。 「僕もそう思って聞いたんですけど覚えていないんです」 「だって85だよ、祭りの道中に店があるのに覚えてないわけないだろう」 「そう言うことじゃなくてほとんど忘れているみたいです」 「ボケか?」 「そうみたいです」 「植木屋の五郎さんは?」 「五郎さんは当日中学校で御成まで通っていたらしいです」 「そりゃそうだなあ明治時代だもんなあ」  洪鐘祭は由緒あるがそれほど知られていない。昔の絵巻があるがそれはそれは盛大である。雅恵は北鎌の高校三年生になっていた。実家は鎌倉街道沿いで旅館を営んでいた。当時はそれなりに盛況だったが父親の代で旅館を畳んだ。 「閉めるんだって旅館?」  材木屋の店主である坂本が訊いた。 「早いね、うちの壁に耳当ててんじゃないの」  雅恵の父、高宮清吾がからかった。閉館を決めたのは二週間前で、妻の礼子にしか話していない。 「俺んとこと高宮さんとこは板繋がりだから声が板を伝って聞こえるんだよ」  坂本が笑った。 「糸電話じゃあるまいし。でも材木屋はこれから大忙しだ。あちこちで団地が出来るそうじゃねえか。梶原団地や丸山団地、あの山みんな坊主にしてしまうらしい」 「おかげさんで儲からせていただきます。だけど坂本旅館が無くなると寂しいねえ、山ノ内で一件しかない宿なのにさ」 「仕方ないさ、今は昔と違って鎌倉は日帰りでお参り出来る場所だから、わざわざ宿を取る必要がない」  鎌倉人気は根強いが泊りで来る客は少ない。ましてや山ノ内は観光地の外れにある。北鎌倉駅から大船寄りにはめぼしい観光地はない。その途中にある高宮旅館が繁盛するわけがない。
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