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「先生、ほらお経が聞こえるよ」
二人は妙香池を抜けて舎利殿の前に来ていた。隣の禅堂から修行僧の読経が心地いい。
「心が洗われるようだね。ずっとこのまま聞いていたい」
相馬は目を閉じて読経に集中していた。舎利殿は国宝に指定されている。佛牙舎利と言う釈迦の歯が祭られている。
「でもどうして若いのにお坊さんになりたいのかしら、不思議だわ」
雅恵は自由のない束縛された生活に自ら飛び込んで行く同じ年頃の僧の気持ちが分からない。
「雅恵は人に親切をしたことはないかい?例えば電車でお年寄りに席を譲ったり、道を訊かれてちゃんと説明したりするだろう」
「それくらいはしますけど」
「それなんだよ。彼等は雅恵と同じで人に親切になろうとしている。そのために勉強をしているんだ。苦しんでいる人に人の道を教えてあげる。それが僧侶の仕事だよ。素晴らしいと思わないかい」
相馬の笑顔に包まれそうである。思わず「思います」とうっとりしてしまった。二人は黄梅院で手を合わせ、鐘楼がある弁天堂に向かった。
愛は雅恵の写真を撮り続けた。
「そんなに写してどうすんだろうこの子は。おばあちゃんの魂が抜かれて家に戻ったら死んじゃうよ」
雅恵が笑った。
「おばあちゃんの写真をたくさん撮りたいの。ユーチューブに投降しておばあちゃんの憧れた先生が見るかもしれないよ」
「やだよ、こんな齢になったのを知られたら恥ずかしいじゃないかい」
「馬鹿ねおばあちゃん、その先生も同じように齢を重ねているんだよ」
雅恵は愛に言われて気が付いた。。自分だけが齢を取っているものと勘違いしている。あの日、洪鐘祭の前日と当日、洪鐘の横でキスをした。それが最後となった。だからそのイメージしかない。相馬が齢を取った姿など一度も想像したことがない。想い出すのはいつも25歳の相馬である。7歳年上だとすると今年85歳になっている。そう思うと会いたい思いが強くなってきた。
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