最終章 望まぬ再会と望んだ未来

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最終章 望まぬ再会と望んだ未来

4-1 「さて、今日も気合入れて、お肉買いに行きますか。」 月兎(つきうさぎ)亭の扉を開け、朝の太陽が光差す町の中を歩きだす。時折吹き抜ける風に冷たさが混じり始め、季節はそろそろ秋、私がフォルトに来てから四ヶ月、あの夏祭りの夜から二ヶ月が経とうとしていた― 「クロエちゃん、こっちのクズ肉、良かったら持ってくかい?」 「え?良いんですか?」 「いいよ。いっつもたくさん買ってってくれるからね。おまけだよ。」 「わぁ、ありがとうございます!」 「重いから、気を付けるんだよ!」 「はい!」 いつものコース、お肉屋での買い出しで思いがけず大量のおまけを貰い、気分が上がった。 (あー、でもこのままだと文句言う子がいるからなぁ。…なんとか、塊肉っぽく…) 最近になって漸く、町中(まちなか)の一人歩きを許してもらえるようになり、商店街への買い出しは専ら私一人が担当するようになった。お店の人達とも顔馴染みになり、時々はこうしておまけまでもらえる仲の人達も出来た。 (何より、一人で出来ることがあると居候感が減って、気持ち的にすごい楽になったよね。) ボルドやトキさんの付き添い無しの買い出し。トキさんの代わりに店の買い出しも出来るようになってからは、トキさんの出勤時間は多少遅くなり、トキさん本人には「とても助かる」とのお言葉を頂いている。どうやら、(つがい)さんと一緒に居られる時間が増えて嬉しいらしい。後は、もちろん、こうやって青少年組のランチ作りも続けているから、彼らの胃袋を掴もう作戦も着々と進行中だ。 ただ、一つだけ、大きな問題があるとしたら― (…ユーグの、ユーグのスキンシップ過剰が止まらない!!) 夏祭りの夜、ユーグにそれまでより深く触れられるようになってから、気づけばそれが標準仕様(スタンダード)。毎晩、いいように翻弄されて、半分、気絶するようにして眠りにつくこともある。 (なのに、最後まではしないし、何故か、キスもされないけど…) 多分、それが、匂いづけ(マーキング)の延長、…もしくは、ユーグ的には匂いづけの範囲内なんだろうとはわかっていても、こちらはバリバリに意識してしまうし、何ならもう、本当、ムラムラして仕方ない― (って駄目!こんな大通りのど真ん中で真っ昼間から思い出しちゃ駄目!) ピンクがかってきた思考を慌てて脳内から追い出し、歩く速度を速める。そうして無心で身体を動かせば、徐々にクリアな思考は戻ってきたけれど。 (…失敗。やっぱり、ちょっと重い。) 抱える荷物、欲張って―遠慮なんて一切せずに―くれるという量のお肉を全て頂いてきたから、地味に掌が痛い。 「ちょっと、休憩…」 通りの端っこ、人の流れを邪魔しない場所に引っ込んで、荷物の袋を足元に下ろす。荷物が食い込んでいた手をフルフルと払って、通りを行きかう人をぼんやりと眺めた。 (もう、女の人の装いが秋だぁ。私もそろそろ、秋服買わないと…) そうやって、なんとなく眺めていた人の流れ、目に入った人の姿に、瞠目する。 「え…?」 思わず漏れた声、聞こえたわけでなはいだろうけれど、こちらの凝視する視線に気が付いたのか、男がこちらを振り向いた。 「!」 「!」 互いに認識し合って、やはり思った通りの人物だったことに驚愕する。 「クロエ!?」 騎士服を来た男が、巡回中であったのだろう仲間たちに何かを告げると、こちらへと走り寄って来た。その姿に、懐かしさと同時、どことなく居心地の悪さを感じている内に、男が目の前に迫り、 「クロエ!やっぱり!お前、こんなとこで何やってんだ!?」 「…久しぶり、ホルス。」 見上げる長身、ユーグより背は低いが体格はいい。王立騎士団の制服を身にまとい。腰には装飾の施された剣が下げられている。 (…へぇー、一応、本当に騎士様なんだ。) 二度と会うこともないだろうと思っていた元婚約者の、戦う騎士然とした姿は初めて目にするもの。王都に出ていって以来、一度も帰ってくることのなかったホルスに会うのは五年ぶり、だろうか。 (まぁ、別にまた会いたかったか?って聞かれると微妙なとこだけど。) そんな、若干、薄情なことを考えていた私に対して、ホルスが少し困ったような顔をする。 「…クロエ、お前、まさか、俺を追いかけてこんなとこまで来ちまったのか?」 「…は?」 (ちょっと、何を言われたのかわからない…) いや、聞こえていたのは聞こえていた。ただ、一応は幼馴染、産まれた時からの付き合いである男が、再会早々、こんな勘違いした台詞を吐くような男だったとは― 「親父に聞いたのか?俺がここに赴任になったって?…だからってお前、態々、」 「聞いてないよ。聞くわけないでしょ。別に、ホルスを追いかけてここに居るわけないじゃない。」 「…」 全否定すれば、目の前の男が鼻白んだ。 「…だったら、何でお前がこんな、…掃き溜めみたいな場所に…」 「…」 言葉の最後、吐き捨てるように言われた一言に、知らず、眉間に皺が寄る。 「…結婚したの。」 「…は?」 「だから、結婚して、この町に来たの。」 「結婚って…。お前、嘘つくにしても、もう少し、マシな、」 「嘘じゃない。こんなことで嘘つく意味なんて無いでしょう?」 「…仮に、結婚が本当だとしても、こんな町に住んでるような男なんて、ろくな奴じゃないだろう?」 「どういう意味よ?」 今度こそ、聞き捨てならない言葉に、頭に血が上る。 「何だよ、だって、そうだろうが。こんな、魔の森しかないような辺境。犯罪者みたいな奴らがうろうろしてるようなとこだぞ?こんなとこに居る奴らなんか、底辺も底辺じゃないか。」 「っ!最っ低!あんたこそ、最っ低!」 「!っあ、おい!クロエ!」 「二度と私の前に現れないで!」 言い捨てて、荷物を引っ掴んで歩き出す。腹が立って仕方なかった― この町がちょっと他と違うのは百も承知だ。私だって、この町の第一印象は最悪。こんなところでやっていけるのかと不安でたまらなかったくらい。でも、そんな自分のことは棚上げしても、ユーグや(くろがね)の牙のみんな、町の人達も、全部まとめて否定するホルスが許せなかった。 「待てよ!クロエ!」 「…離して。」 追いつかれ、掴まれた腕に立ち止まる。振り返って告げた拒絶の言葉は、無視された。 「何をそんな急に怒り出してんだよ?お前、昔はもっと、」 「言ったよね?私、結婚してこの町にいるの。夫は当然この町の人なの。それを馬鹿にされて、何で怒らないと思うわけ?」 「…それ、本当は嘘じゃないのか?」 「はぁ?」 「いや。俺に捨てられて、お前、むきになってるとか、」 「離して!」 思いっきり振り払った腕、だけど、男の力でしっかりと掴まれてしまっている腕は簡単には自由にならない。 「…クロエ、俺さ、これでも反省してんだよ。だからさ、また前みたいに仲良く、」 「ほんっと、最っ低!!」 叫んだと同時、ホルスの身体が後ろに吹っ飛んだ。 (えっ!?) まさか、また指輪の付与魔法が発動したのかと、一瞬、血の気が引いたが― 「ねぇ、本当、何してんの、あんた。…団長の女だって自覚ちゃんとある?」 「ルナール…」 「んで?こいつ、何?お前に手ぇ出したわけ?なら、ここで()っちまうけど。」 「!?ガット!駄目!」 屈み込み、倒れたホルスの首筋に大ぶりのナイフを押し当てるガットを焦って止める。 「違うから!昔の知り合い!同じ村の人なの!」 「あ?その『昔の知り合い』と、あんた、何してたわけ?」 「何もしてないよ!さっき偶然会って、話をしてただけで!」 「腕、ひっ掴まれて?」 「っ!?」 ガットにナイフを首筋に当てられたまま、青ざめた顔でこちらを見るホルスと視線が合う。 「…それは、ちょっと行き違いがあったから。…でも、もう、大丈夫というか。話も終わったし…」 「…」 とにかく、最低発言野郎だとしても、流石に友人の家族でもあるホルスをここでやられてしまうのは困る。その必死さが伝わったのか、ルナールがため息をついた。 「…まぁ、あんたがそう言うなら。」 「チッ!しゃーねぇなぁ。」 立ち上がり、ヒュンと一振りでナイフを消したガットが、睨むようにホルスを見下ろしてから、こちらを向いた。 「…帰んぞ。」 「うん…」 歩き出したガット。一度だけホルスを振り返ってから、先を行くガットの後を追う。横に並んだルナールが、手に持っていた荷物を横から奪うようにして持ってくれた。礼を言えば、首を振られて、 「別に。…で?あんたの何なの?あの男。」 「何って…」 「『ただの』知り合いなんかじゃないでしょ?そんなの見ればわかるんだから、さっさと吐きなよ。」 ルナールの追求に、何とも落ち着きの悪いその単語を口にした。 「…元、婚約者、だった人。」 「はぁあっ!?あんた、そんな男と会ってたわけ?」 「会ってたんじゃなくて、本当に、買い物帰りに偶然会っただけなんだってば。」 訝しむルナールの視線にむきになって答えれば、逡巡したルナールが不機嫌そうに聞いてくる。 「…団長は?知ってんの?」 「婚約者がいたことは知ってる。…けど、この町に居るってことは知らない、というか、私もさっき会ったばかりだから…」 まだ、知らせるも何もない、という状況。それをそのまま伝えたところで、ルナールも漸く納得してくれたらしい。嘆息して、忠告をくれた。 「…団長とトキさんにはちゃんと、伝えときなよ?」 「うん。」 「あと、あんたは、あんまりフラフラしないでよね。」 「…わかった。」 フラフラしているつもりはないのだけれど、それがルナールなりの心配から来る言葉なのだと思うから、素直に頷いた。 4-2 ホルスと遭遇したことは、その日の内にユーグとトキさんに報告した。特に反応を示さなかったユーグに対し、トキさんは「一応、こちらでも気を付けておく」と、相変わらず私に甘い言葉をくれた。 当然、自分自身でも気を付けるようにして、たまに町で巡回中のホルスを見つけても決して近寄らなかったし、ルナールの忠告通り、買い出しの行き帰り以外には町へ出るのも控えていた、のだけれどー (…なんで、こんなとこで会っちゃうかなぁ…) ホルスの巡回時間とルートを把握してからは、商店街にはわざわざ朝早くに来るようにしていたのに、それが今回は仇になってしまったらしい。 「よぉ、クロエ。」 「…」 先日、ガットに脅されて怯えていたはずのホルスが、何事も無かったかのように近づいてきた。その神経がわからずに、ジロジロと観察する。 (…私服、非番なのか。なら、こんな時間にこんな場所(とこ)で会っても仕方ない、けど…) 思わず、たった今、男が出てきた店に視線を向ける。 黒猫の館ー (…妻帯者のくせに朝帰りとか…) こうしたお店でのアレコレは浮気とは違うのだという人もいるけれど、私には到底受け入れ難い。嫌なものは嫌だ。だから、ホルスにも思いっきり嫌悪の眼差しを向けてやった。なのに、それに気づきもしない男は無神経な言葉を口にする。 「クロエ、店で聞いたんだけど、お前の旦那、獣人なんだってな?」 「…」 「しかも、傭兵?本当、何考えてんだよ、お前。」 「…」 以前と同じ、腹の立つ言葉しか吐かないホルスを無視して歩き出す。駆け出したりすれば、前回の二の舞になってしまうから、人通りの多い道を選び、顔馴染みの商店街のお店を目指して。 「クロエ、待てって。悪かった。キツく言い過ぎた。でも、俺はお前を心配して言ってんだよ。」 「…」 「…お前もさ、あの小さい村で生まれて育って、何か刺激が欲しかったんだろう?それは俺もわかる、俺も同じだったからな。…けど、お前、いくらなんでもこんなとこまで来るのはやり過ぎだって。」 「…」 「…親父達は知ってんのか?心配してるんじゃないか?」 聞き流すふりで、聞き流し切れなかった言葉を耳が拾う。ハルハテから、一度も村へは帰らずにここまで来た。育ててくれた村長(ホルスの父)達には挨拶も出来ないまま。それは、ずっと気にかかってはいるけれど、 「…手紙は、書いたから。」 「だったら、余計に心配してるだろう?」 「…」 否定は出来なかった。書いた手紙への返事には、知り合いも居ない遠い地に一人嫁ぐことになった私を案じる言葉が並んでいたから。 「…一緒に、帰ってやるよ。」 「は?」 「俺が、お前を村に連れて帰ってやる。だからさ、俺と、」 「帰らないよ。」 「クロエ、」 「帰るとしても、その時は結婚の挨拶とか、とにかく、夫と二人で帰るから。ホルスとは帰らない。」 「…」 黙ってしまったホルスが、ぴたりと足を止めた。気にはなったが、このまま振り切ってしまおうと、足を進める。 「…今度、騎士団とギルドの合同で、魔の森の討伐隊が組まれる。」 「え?」 驚いて振り返った。真剣な、少し暗い眼差し。唇を引き結んだホルスがこちらを見ている。 「かなり大掛かりな討伐になるはずだ。…お前の旦那ってやつも、参加することになってる。…聞いてないのか?」 「…夫とは、あんまり仕事の話はしないから。」 「クロエ、お前さ、こういうの苦手だろう?討伐とか、そういうのも、平気じゃないだろう?」 「別に…」 「戦うことが日常で、旦那がいつ死んでもおかしくないって状況。お前、そういうの耐えられんのか?」 「…」 「…クロエ、本気で考えておいてくれ。俺と村に帰ること。」 勝手なことを、一方的に告げて去っていくホルス。こっちの心に波風だけを立てて― 4-3 ホルスに告げられた言葉は、買い出しから帰って直ぐに尋ねたトキさんによって肯定された。「数年に一度はやってることだから大丈夫だよ」というトキさんの言葉に、それでも、不安を潰しきれずにいた三日後、ついに討伐隊が結成された。 ギルドの要請により、精鋭揃いの(くろがね)の牙のメンバーは全員が討伐隊への参加が決まり、その間お休みとなる月兎(つきうさぎ)亭で、私は一人留守番をすることになった。 出発前のユーグ達、いつもと変わらない様子の彼らに、心配することは無いんだと自分自身に言い聞かす。 「…あの、ユーグ、気を付けて。」 「…ああ。」 いつもと同じ、淡々と返ったユーグの返事。横からガットの呆れたような声がして、 「お前、ほんと、心配し過ぎな?どうやったら団長が魔物ごときにやられんだよ?んなの、想像出来っか?」 「…」 多分、ガットは私の不安を取り除こうとしてくれている。なのに、申し訳ないことに、皆の具体的な戦闘イメージはさっぱり想像出来なくても、怪我をする姿というのは容易く想像出来てしまうのだ。だから、怖いー それでも、こちらのそんな心配など、本当に杞憂なのだろうという気軽さで、鉄の牙の皆は討伐に出掛けていった。 その後、日暮れまでには帰ってくるという彼らを、昼食を食べ終えるまでは何とか大人しく店で待っていたのだが、日が傾きかけた頃、とうとう、じっとしていることが出来なくなって、店を出た。 明確な目的地があるわけでも無く、いつもと変わらない日常の風景が広がる町中をフラフラする内に、足は自然と城門を目指していた。 (城壁、高い所からなら遠くまで見えるかも。でも、流石に勝手に上れないし…) せめて、ユーグ達が帰ってきた時、一番に会える場所、そこに居たかったのだが― 「…何、これ?」 たどり着いた城門前の広場。いつもであれば、城壁の外へと向かう人達の待ち合わせや待機の場所として使われているそこに、咲き乱れる色とりどりのドレス達。華やかに着飾ったたくさんの女性達が集まっている。 (…何かあるの?) その不思議な光景をよく見れば、中には見知った顔がチラホラとあった。月兎にお酒の相手として現れる女性達、後は、マリーヌのお店の子らしき人も。 (でも、普通の、…商店街で見かけるような若い子達も来てる。) 討伐に出掛けていった人達を心配して集まっているのかとも思ったけれど、彼女達の顔に不安や悲壮感は見られない。どちらかというと浮わついた、弾むような雰囲気に、余計に訳がわからなくなる。 近づいていくことも出来ず、一人困惑する中、背後から声が聞こえた― 「あら?クロエさん?」 「…マリーヌ、さん。」 お店の子らしき女性を引き連れて現れたのは、出来れば、もう二度と関わりたくなかった人。 (…直接話をするのは二度目?) それでも、祭りの夜のことをルナールから聞いている以上、彼女に気を許すことは出来ない。警戒するこちらを気にする様子もなく、周りの子達を置いて、マリーヌが近づいてきた。 「こんにちは、クロエさん。」 「…こんにちは。」 親し気に接してくる彼女には、こちらへの悪意など欠片もないように見える。 「お久しぶりね?クロエさんは、今日はどうしてこちらに?」 「…何となく、です。ユーグ達が心配だったので。」 「まぁ!」 マリーヌが、可笑しそうに笑った。 「クロエさんは、優しい方なのね、きっと。それに、慣れない経験で余計に不安なのかしら?」 「…」 「でも、心配する必要なんて全く無いのよ?クロエさんがご存じないのは当然だけれど、魔物討伐はこの町ではよくあることだから。」 「…」 マリーヌに、自分の無知を、怯え過ぎを笑われたようで、羞恥と悔しさが同時に込み上げた。言い返すことも出来ずに黙り込めば、マリーヌの穏やかな声が尋ねてくる。 「…クロエさんは、皆さんが何故ここにいらっしゃるのか、理由をご存じ?」 「いえ。」 周囲の女性達を指して言うマリーヌに首を振った。 「あら、やっぱり…。…でも、人間のクロエさんには理解出来ない感覚でしょうから、仕方ないことかもしれないわね。」 「…何か、理由があるんですか?」 「ええ、まぁ。そうね、私は、クロエさんは知っておいた方が良いと思うから、お教えするわ。あなたと、…ユーグのためにも。」 「…」 一度、言葉を切った マリーヌがこちらをじっと見つめる。観察するような、値踏みするような眼差し。その顔が、不意に綻んでー 「…私たち獣人、特に獣人の男性(オス)は、戦闘で興奮が高まると性的欲求を抑えられなくなってしまうものなの。」 「っ!?」 微笑んで告げられた、予想外の言葉に息をのむ。こちらの反応に、マリーヌが笑った。 「ここに居る子達はね?そんな男性達の帰りを待っているのよ。…目当ての男性の視界に一番に入って自分を選んでもらう、そのために。」 「…」 愕然とした。聞いていない、そんなこと。ユーグだけでなくトキさんも、何も言っていなかった― 「ふふっ。実際は、そんなに単純な話では無いのだけれど、それでも、」 目の前、赤い唇が弧を描く― 「怯えて家で縮こまっている女よりはよっぽど、意中の男性に選ばれる可能性は高くなるでしょう?」 「!?」 自分のことを言われている― 瞬時に理解し、揶揄された事実に顔に血が上る。 「それにね?興奮した獣人の男は、それこそ、本能のままに女を求めてしまうから、多少、行為が粗っぽくなってしまうの。…だから、ね?」 ―あなたには無理でしょう? そう聞こえた言葉に、悔しさだけが募る。 (…私、私はそんなユーグを知らない。本能とか、そんな…) 嫉妬に、目眩がした― 目の前のこの(ひと)は、そんなユーグを知っているのだろうか。 「…」 「…」 悔しくて睨んだ視線に返ってきたのは、涼しげな笑み。 「…ねぇ、クロエさん。もし、今夜、ユーグがあなたの所へ帰ってこなくても、あの人のこと、許してあげてね?」 「ユーグはっ!」 ―帰ってきてくれる その言葉を口にする直前、城門近くから大きな歓声が上がった。けれど、歓声の元を確かめるため振り向いた先、歓声が次々と悲鳴へ代わっていく。 「…なに?」 何が起きたのか。見つめる先、割れる人垣に、人を乗せた担架や馬の背に乗せられて運ばれてくる人達の姿。誰も彼もが負傷し、血を流してー 「っ!嘘っ!?」 その中に、見知った顔を見つけて悲鳴が漏れた。担架の上、血の気の失せた顔で動かない男。彼の身を案じていたわけではない。それでも― 「ホルス!?」 気が付けば、彼の元へと駆けだしていた。 4-4 討伐隊の負傷者は騎士団も傭兵団も関係なく、騎士団の詰所へと運び込まれていた。 次々と担ぎ込まれるその人数に、「通常の魔物討伐でこれほどの怪我人が出ることは考えられず、何か不足の事態が発生している」ということまでは伝わって来たものの、では、何が起きたのか、正確な情報がつかめぬまま、詰所の中は混乱が続いていた。 広い空間にいくつも並べられた簡易ベッド。急造の治療室には、人手も足りていないらしい。治療が終わった後も意識の戻らないホルスを「知り合いなら看ていてくれ」と頼まれ、私が付きそうことが許された。 痛み止めも容易には手に入らない世界、痛みに呻く声があちこちから聞こえてくる中、閉じられていたホルスの瞳がユックリと開かれ、こちらを視界に入れる。 「…目、覚めた?」 「クロエ…?ここ…、俺は…?」 「騎士団の詰所。魔の森で怪我して、担ぎ込まれたの。…覚えてる?」 「ああ…、いや、…森で、ウインドラプターの群れに襲われて、その後は…」 「そう…」 記憶が曖昧らしいホルスが、自身の身体を確かめて、大きな怪我が残っていないことにホッとした様子を見せる。 「…クロエが、ついててくれたのか?」 「うん。…まぁ、意識が戻るまではと思って。」 「そうか。…ありがとな。」 言って、大きく息を吐いたホルス。ベッドに身を沈めてから、両腕で顔を覆ってしまった。 「…ホルス?」 「…クロエ、…俺、騎士に向いてないんだ。」 「え…、なに?急に、どうしたの?」 「俺さ、本当は、もうずっと、剣を持つのも魔物を倒すのも嫌で堪らないんだよ。騎士なんて、さっさと辞めたくて仕方ない。今回の討伐任務だって、俺は…」 怪我のせいか弱音を吐くホルスを、励ますような言葉は浮かんでこない。代わりに、当たり障りの無い言葉を探す。 「そんなに嫌なら、騎士を辞めるか、別の部隊、王都の警備とかに回してもらえばいいんじゃないの?」 「…王都の警備は花形の第一の仕事。俺みたいな平民が第一になるためには、こういうとこで泥臭く実績を上げるしか無いんだよ。」 「じゃあ、もう、騎士を辞めるしか無いんじゃない?」 騎士に憧れて故郷まで捨てたホルスに、怪我をして弱っている時に言う台詞ではないかもしれないけれど、何も、そこまで無理して続ける意味も無いだろうと、そう口にすれば、 「…俺の嫁、いいとこのお嬢さんなんだ。」 「…」 「俺が嫁と結婚できたのは俺が騎士だからで、その騎士にだって、嫁の実家の後ろ楯があったから成れたようなもんでさ。…もし、騎士を辞めたいなんて言ったら…」 「…でも、奥さんは?ホルスの味方になってくれるんじゃない?」 「あいつも、…あいつが好きなのも、『騎士の夫』だからな。騎士じゃなくなった俺に用なんてないだろ。実際、こんな辺境は嫌だって、ここについてくるのも拒否されたんだ。」 「…」 苦しげに吐かれたホルスの言葉に、それ以上、言葉が続かずに黙った。 「…お前は…?」 「え?」 「お前は、どこで旦那と知り合ったんだ?」 「ああ。」 言われて、ユーグと出会ったのなんて遠い昔のような気がしていたけれど、実際はつい最近のことなのだと気づく。 「ハルハテの、『妻乞い』で出会ったのよ。」 「妻乞い…。お前、アレに行ったのか?何で…」 「何でって、どういう意味よ?結婚する予定だった相手が、急に約束を反古にしたのよ?次の相手を探すために参加して何が悪いの?」 理不尽なホルスの言葉に、腹立ちのまま、かなりきつめに言葉を返せば、 「…ごめん、本当にごめん。勝手をして悪かった。考え足らずで、ほんと、俺、最低だな…」 「…」 項垂れて、萎れるホルス。懸命に頭を下げる姿に、今までの口先だけの謝罪とは違う、彼なりの本気の謝罪が伝わった。 「…いいよ。もう、そのことは許す。私ももう、気にしてないし。」 「…ありがとう、クロエ。」 少しだけ、元気を取り戻したのか、ホルスが口の端だけで弱く笑った。 「俺、素直にお前と結婚しとけば良かったんだよな。そしたら、今、こんなとこでベッドに転がってることも無かっただろうし…」 自嘲混じりのホルスの独白は、聞かない振りで流す。 「…あのさ、お前も、本当はこんなとこ、嫌なんじゃないのか?お前も、無理してるんだろう?」 「…」 「俺と、逃げないか?別に、俺と結婚しろとか、そういうんじゃないんだ。ただ、二人で村に帰ってさ、親父やキアラ、村の皆と、また、昔みたいに暮らせたらって思うんだ…」 「お前はどうだ?」と聞いてくるホルスの言葉を、どこか遠くに聞いていた。ホルスが語る、もしかしたら、あったかもしれない私達の未来。 (…でも、私はもう…) 郷愁を口にするホルスに感じたのは、僅かな同情と後ろめたさー 三年前、ホルスに婚約を破棄された時、私は少しだけホッとした。ホルスのことは年上の友人、幼馴染みとして好きだったし、家族を早くに亡くして、兄のように慕ってはいた。ホルスに結婚しようと言われた時も、決して嫌ではなかった。ただそこに、燃えるような想いがなかっただけで。 (それでも、あの時、確かに一度、私はホルスを選んだ…) 前世、私はいくつものお見合い、出会いの場へと参加し続けていた。繰り返される否定と失望にいくら心が疲弊しようと、どうしても諦めることが出来なかった。ずっと、探していたから、たった一人、「この人だ」と思える人をー けれど、結局、何を根拠にそのたった一人を選ぶのかもわからないままに、私はその誰かを見つけられずに死んでしまった。 (…それが、きっと、後悔だった。) 今世で、「彼()いい」とホルスの手をとったのは、言葉は悪いが妥協もあったからだ。私は、家族が欲しかった。 それでも、多分、心の底の底。魂にこびりついた妄執のどこかで、諦めきれないでいたのだと思う。 たった一人の誰かと結ばれることをー (…だから、婚約がなくなって、ちょっとだけ、ホッとした。) ホルスへの怒りが持続しなかったのも、今、こうして彼を許してしまえるのも、それはきっと、私にとってのたった一人がホルスではなかったから。 (…それが、今なら…、ユーグに出会った今なら、わかってしまう。) だって、ユーグに裏切られたら、彼がいなくなってしまったら、私はきっと、生きてはいられないー 「…ホルス。」 だから、別れを告げる。 「私は、村には帰らない。…ホルスが帰りたいのなら、一人で帰って。誰かを頼りたいのなら、あなたの家族を頼って。…私はもう、あなたに何もしてあげられない。」 これ以上、私達の未来は、重なり合いようがないから。 4-5 「あー、腹減ったー、肉ー。」 「!?」 「はぁー、もぉー、マジであり得ない。何なのアレ。ホンットに…」 「!お帰りなさい!」 ホルスに別れを告げ、帰ってきた月兎(つきうさぎ)亭。日が暮れ始めた頃に、いつもの賑やかさでドヤドヤと扉を開けて入ってきた二人、その後からノッソリと入ってきたボルドを出迎える。 (…あれ?) その後に続くかと思われていた二人の姿が見当たらずに、三人を振り仰いだ。 「ユーグとトキさんは?」 「あー。団長達はギルド。」 「騎士団連中との『お話し合い』があるから、暫く帰ってこないよ。」 「だから、取り敢えず肉」と言う二人プラス一人のために、温めるだけにしてあった料理をテーブルに並べていく。 「…討伐、何か、大変だったみたいだね?怪我してる人達、結構いたよ?」 「まぁなあー。今回は数がマジでヤベェよ。雑魚もあそこまで集まるとクソウゼェ。」 「それって、いつもとは違うってこと?…大丈夫なの?」 「あ?んー、まあ、ウゼェからシンドイっつーだけで、雑魚は雑魚だからな。」 ローストした肉の塊に齧り付きながら答えてくれるガットは、だけど、いつもの元気にはほど遠くて、それだけでこちらは不安になってくる。確かめるようにルナールの方にも視線を向ければ、鬱陶しそうにしながらも口を開いたルナール。 「…元々、討伐部隊を出すのは繁殖期で増えた魔物の間引きが目的なわけ。だから、この時期の魔物が多いっていうのは、まぁ、当然なんだけどさ…」 「それでもいつもよりも多い、…繁殖が異常ってこと?」 「まぁ、ね…」 言って、こちらも疲れぎみに突き刺した肉を口元に運ぶ姿を見守った。 (…ボルドも、いつもより、背中、丸まってるし。) これほどの「疲れ」を初めて見せる三人に、それ以上はもう何も言えずに、ただひたすら、彼らの空腹を満たすべく料理を出し続けた。そうして、彼らが食事を終える頃に漸く、そのいつもと変わらない食欲に安堵するだけの余裕も戻ってきた。 「後はトキさんにでも聞いて」と言って席を立つ彼らを見送りに出れば、歩き始めた他の二人から離れ、こちらへと身を寄せたルナール。 「…ルナール?」 どこか不機嫌そうな彼の名を呼べば、 「…ねぇ。おれ、あんたに言ったよね?フラフラするなって?」 「え?」 「臭い。アイツの臭いがする。」 「あ!」 言われて、何のことだか気づく。 「え、あ、でも、会ってしゃべっただけで、触られるようなことは…」 「俺や団長は人より鼻が利くから分かるんだよ。不快。…それ、団長が帰ってくる前に落としときなよ。」 「…うん。ありがとう。」 どうやら、怒っているのではなく、心配してくれているらしいとわかって、思わず笑う。それに、嫌そうに顔をしかめて背を向けたルナール、一度だけ、ヒラリと手を振ってから、夜の闇の中へ消えて行った。 (…眠れない。) 三人を見送った後、結局、深夜近くになっても帰ってこないユーグをベッドの中で待つ内、次々、浮かんでくる不安に目が冴えきってしまった。 (ガット達三人に怪我は無かった。) だから、多分、ユーグとトキさんも大丈夫。 (三人とも何も言ってなかったし。) 何も言われなかったと言えば、昼間のこと。マリーヌから聞いた話。討伐隊の出迎えに集まっていた女の子達。 (あの中に、多分、ユーグを待っていた子もいる。) 怪我人が多かったことで城門前は混乱していたから、彼女達が最後まで残っていたかはわからない。もし、ユーグを待って残っている子がいたら― (…でも、ガットが、ユーグ達はギルドだって言ってたから。) きっと、大丈夫。きっと、帰ってきてくれる。 そうやって、浮かんでくる不安を一つずつ潰しながら、自分に言い聞かせていれば、待ち望んだ瞬間、部屋の扉が静かに開いた。 「…ユーグ、お帰りなさい。」 「…」 扉の前で立ち止まったままのユーグに、ベッドから抜け出して近寄っていく。弱い部屋の灯りでは、近づいても、その姿をきちんと確認は出来ないけれど。 (…怪我は、してないみたい。良かった。) 触れて確かめたい気持ちはあるのに、この期に及んでまだ、自分からユーグに触れる勇気が無い。 「…討伐、大変だったってガット達から聞いて、ユーグは大丈夫だったんだよね?怪我は?してない?」 「ああ…」 「!…ユーグ?」 伸ばされた手、突然、ユーグに抱え上げられた。性急さも荒々しさもない、だから、怖くは無いけれど、いつもと違う様子の彼の姿に少しだけ不安になる。運ばれた先はベッドの上、胡座をかいたユーグの膝の上に乗せられた。見上げれば、近い距離、でも、見惚れるには、彼の瞳が真剣すぎて― 「ユーグ…?」 「…魔の森に、王が現れた。」 「!?」 唐突な、でも、簡単に想像出来てしまうくらいに不穏な響きを持つ単語に、目の前、ユーグの服の胸元を握りしめた。 「…魔物が増えてるのは、その『王』が居るから…?」 「ああ…」 「…王って、どんな…」 「魔物は魔物だが、強さが違う。」 「それって…」 (ユーグは、…みんなは勝てるの?倒せるの?) 言葉を飲み込んだのは、否定されるのが怖かったから。 「…明日から、数日かけて王を狩る。」 「数日…」 帰ってこない。ユーグがー 「…ここも、危険だ。」 「そんなに、強いの…?」 そんなのと、ユーグは戦うのー? 「町を出たいなら、そうしろ。」 「…」 「お前が選べ。」 (ああ、ユーグが…) ユーグが、こんなにいっぱい喋ってくれてるのにー (それが、こんな話だなんて…) 目の奥、込み上げてくる涙が溢れそうになるのを必死にこらえる。 「…行かない。」 「…」 「どこにも行かないよ。…待ってる。」 「…」 「ここで待ってる、から、帰ってきて。ユーグ、絶対、絶対に帰ってきて。」 「ああ…」 そう、約束してくれたユーグの身体に手を伸ばす。背中に回した手で、ユーグに抱きついた。熱と感触で、そこにユーグが居ることを確かめて。この約束は絶対だと、自分自身に言い聞かせて― 翌朝、ユーグは団の皆を連れて、王を狩りに向かったー 4-6 Side M その町の名を知ったのはもう何年も前のこと。馴染みの―だけど、誰より煩わしかった―客が、寝物語に何度も語って聞かせるから、忘れられずにいた名前。 それが、こんな形で再び巡り会うなんてー これはきっと必然。私が彼を手にするための。 「…何しに来たんですか?」 「あら?ご機嫌うかがいに来ただけよ?ユーグ達が討伐に出てから、今日でもう三日でしょう?」 馴染みの店に突然現れ、我が物顔で振る舞うようになった女の威嚇。男の気まぐれにも気づかず、自分の立場の危うさを知ろうともしない、愚かで哀れな女を嗤う。 「…あなたも、さぞ心配しているだろうと思って。」 そう囁いてやれば、怒りに顔を染め、そのくせ、何ができるでもない非力な人間。 (本当、馬鹿な女…) ユーグ達が討伐に出ている今、目の前の女を守る者は誰もいない。店を任されることもなく、一人、閉じ籠るだけの女の何が気に入って、ユーグはこの女を側に置くのか。一時の慰め、喪失の悲しみを紛らわせるためだとしても、もっとマシな選択はあっただろうに― 「…クロエさん、そんなに邪険になさらないで、ね?」 「御用がなければ、帰って欲しいんですけど。」 「あら、用ならあるのよ?あなたに…」 「私に?ですか?」 警戒をにじませる女に、上面だけの笑みを向ける。 「ええ。…少し、小耳にはさんだものだから、あなたにも忠告、…そうね、ちょっとしたお節介をしに来ただけなの。」 「…話が終わったら帰ってくれるんですね?」 「ええ。あなたを、長く煩わせるつもりはないわ。」 拒絶を許すつもりも無いが― 「『ハルハテ』…」 「え…?」 「ユーグとは、ハルハテで出会ったんですって?」 「ええ、そうですけど…」 四日前、負傷した騎士の名前を呼んで駆け寄った彼女。その後を追ったのは女としての勘。二人の間に何かがあるのを感じて、知り合いを見舞う振りで様子をうかがった彼らの会話、結果、得られたのは肩すかしの内容だったけれど― 「確か、『妻乞(つまご)い』と言うんだったかしら?素敵な風習よね。とても…」 「…」 「…私ね、ずっと不思議だったの。何故、ユーグは突然、結婚なんてしたのかしら?どうして、相手があなたなのかしら?って…」 「…」 「だって、ねぇ?ユーグとあなたじゃ、どう見ても…」 濁した言葉の先が伝わって、女の顔が強張った。愉悦に上がりそうになる口角を抑える。 「…でも、それも、理由がわかって、私、とても納得したのよ?そういう意味では、あなたはとても、…そう、都合が良かったのね?きっと。」 「何を言って、」 「ユーグは去年、育て親を亡くしているの。ダグ、というのだけれどご存じだった?」 「…ええ。」 「そう。…私ね、彼とはとても親しくしていて、ごく個人的な話をするような仲だったのよ。彼の生まれ故郷や、その地の変わった風習なんかの話もね?」 「…」 「彼、よく言っていたわ。」 思い出す、酒に酔った彼が何度も何度も、飽きるほどに繰り返していた、故郷への憧憬の思い。 「彼ね?ハルハテの町での妻乞いに憧れていたんですって。だから、彼自身は叶わなかった結婚という形で、本当の家族を持たせてやりたいんだって、そう言ってたわ…」 拙い、ままごとのような憧れ― 「ダグの夢はね?彼の息子、ユーグに、妻乞いで花嫁を迎えてやることだったの…」 「っ!?」 見ものだった― 一瞬で、血の気の失せた顔。傲慢にも知ろうとしなかった虚実の世界の裏側。それが崩れていく瞬間の衝撃を如実に伝える間抜け面に、それ以上、愉悦の笑みが抑えられなかった。 「ユーグは、ダグのことをとても慕っていたから。きっと、彼が亡くなった後、彼の夢を叶えてあげたかったのね。ユーグには(つがい)が居ないから…」 だから、目の前の女が選ばれた。ダグへの追慕、或いは、喪失の埋め合わせとして― 「…クロエさん、あなたはとても運がいいわ。」 例え、それが一時の幸運とはいえ、 「ダグの遺志がなければ、ユーグがあなたを選ぶことはなかった。…ああ、だけど別に、ユーグは『選んだ』わけでもないのよね、きっと。仕方なく、手に取った。押し付けられたようなものかしら?」 それが、紛れもない真実― 「…ね?クロエさん、あなたもそう思うでしょう?」 4-7 考えない― ユーグに言われたわけじゃない。もう、とっくに決めてる。ユーグ以外の言葉に悩むことはしない。今まで散々、色んな人に言われてきたから。 ユーグと私じゃ釣り合わない― そんなの、出会った瞬間に気づいていた。だけど、あの時、ユーグが選んでくれたから、私は誓った。ユーグに貰った指輪に、最期までユーグについていくって。 (ああ、だけど…) 「ユーグが選んでくれた」理由、ずっとずっとそれがわからずに、だからこそ、自信が無くて不安で、足元が覚束なかった。その「理由」を、しかも、心から納得できる理由を突き付けられてしまったら― 「…駄目だ。」 考えない― 堂々巡りを繰り返す思考を振り切るため、店を出た。 (身体を動かそう。何かしていないと…) 予定通りなら、ユーグ達が討伐から帰ってくるのは今日か明日。彼らがいつ帰ってきてもいいように、食事の準備だけはしておきたい。 (日持ちをするものを中心に、明日に回せるように下拵えだけ済ませて…) 大規模な討伐が行われている最中だとは思えないほど、いつもと変わらない街並みの中、下を向いて足早に進む。 (…結婚のことは、ユーグに聞いてから。確かめてから、それで…) それで―? その通りだと言われたら、私はどうすればいいのだろう。 (…マリーヌの言う通り、『運が良かった』って笑えばいい…?) だって、私はそう約束した、ユーグに。「理由なんて何でもいい」「絶対に文句は言わない」、そう言って、彼に結婚を迫ったんだから。だから、やっぱり飲み込んで、笑って、「運が良かった」って、 「っ!」 でも、駄目だ。それじゃ、全然、心が納得しない― (私は、ユーグに…、ちょっとでも、私のどこか、何かを、『好き』だから選んだって言って欲しい…) ユーグを想うとあふれて止まらなくなる「大好き」という気持ちと同じものが、少しでもいい、彼の中にあって欲しいと思ってしまっている。 (私、…我儘だ。) 足が止まる、動けなくなった。 (…聞けない。…確かめるのが怖い。) 望んだ以上のものを欲しがって、彼に嫌われてしまうのが怖い。だったら、知らぬ振りで、このまま。決定的な答えを持たないままに不安定でいた方がまだ― そう、耐え切れない感情に蓋をして、忘れてしまおうとしたところで、突如、鳴り響いた警鐘。 「っ!?」 周囲の人の動きが一瞬止まって、それから― 「!逃げろっ!!」 「魔物だ!」 怒号を上げる人たちの視線の先、空を飛ぶいくつもの影が見えた。その姿に逃げ出そうとした瞬間、揺れた地面。 「っ!?」 「な、何だ!?」 地鳴りのような音、森の方角から伝わってくる地響きが、徐々に大きさを増していき― 「うわぁっ!?」 (なにっ!?) 巨大な衝突音が響き渡った。 「じょ、城壁が!」 「っ!?」 二度、三度と続くそれに、城壁に大きなひび割れが走る。最後の衝突音と共に崩れ落ちる瓦礫の向こう、濛々と立ち上がる砂塵の中から現れた影。 (っ!?大きい!) 巨大な、小山ほどもある猪のような化け物。背には幾つもの矢が突き刺さり、一部は黒く焼けただれた痕がある。城壁を突き崩した衝撃にたたらを踏んだ魔物は、一瞬の後、狙いを定めた― 逃げ惑う人の群れに向かって、轟音を響かせながら突撃していく。間近で猛威を震う姿に足がすくんだ。 (ユーグは、こんなのと戦ってるの…) 浮かんだ可能性。魔物の襲撃、にも関わらず、彼らがこの場にいない理由、最悪の可能性を考えて、それを必死に振り払った。視界の端で、破壊された城壁の隙間から魔物たちが次々と侵入してくるのが見えた。 (っ!逃げなくちゃ…) すぐ横を駆け抜けていく人達、迫る巨体に、震える足を叱咤する。ジリと動き出した一歩、走り出そうとして、視線が合った。 「っ!」 狙われている― 本能的に悟った巨獣の矛先。地響きを立てて迫る巨体に、逃げようとして、でも、 (っ!間に合わない…!) 迫る恐怖に死を覚悟し、きつく目を閉じた、瞬間― 「ッグ!?」 全身を襲った衝撃、なのに、地に足がついたまま。それ以上の痛みが無いことに目を見開けば、目の前、僅かに傾ぐ巨体、その鼻先には焦げた黒い痕。 (っ!指輪!) 咄嗟に確かめた。元の色を失い真っ黒に染まる石に、またユーグに守られたことを知る。 (っ死ねない!) 奮える足で走りだした。逃げなければ、少しでも遠くへ。こんなところで死ぬわけにはいかない。約束したのだから、ユーグと。待っていると、帰って来るとー 大通りを駆け抜け、巨体の突進を避けるために路地へと逃げ込む。背後の魔物を確かめようと振り返った、その時、 「あ。」 見えた。 未だ舞う砂塵の向こうに現れた人影。そのシルエットに目を奪われる。 (ユーグ!) 生きていた、生きていた、生きていたー! 魔物を切り捨てながら瓦礫を飛び越えた長身、その姿がはっきりと見える。初めて見る大剣を振るう姿、でも、間違いない、ユーグだ。 疾走するユーグが、一直線に巨体へと迫る。跳躍するとともに上段に構えた大剣を、着地と同時、魔物の背へと突き立てた。上がる断末魔の鳴き声、魔物の膝ががくりと折れる。どうと倒れた魔物の背には、深く刺さった大剣と、その柄を握るユーグの姿― (ユーグ!ユーグ!ユーグ!) 視界の中、ユーグがゆっくりと立ち上がる。 「!」 天を仰いだユーグ、その喉から響き渡るのは勝利の雄叫び。ビリビリと空気を震わす咆哮。 ユーグがー (…笑ってる。) 倒れた魔物の巨躯の上、突き立てた大剣を引き抜いた長身が、ユラリと揺れて周囲を睥睨した。 空を舞い、地を駆る魔物達。それを追い集った獣人(なかま)達。全てを見下ろしたユーグが、 吼えた― 「…来いよ、クソ雑魚共!てめぇら、一匹残らずこの場でぶち殺す!」 絶対的な王者の叫びに、いくつもの呼応する怒声が轟く。人影が次々に宙を跳んだ。空を舞う魔物が落とされていく。火に包まれ、翼を裂かれ、落下していく。地を駆る魔物が、その足を折られ、地に倒れ伏していく。 夥しい数の命が狩られ、地を朱に染めていく― 一歩も動けずに立ち尽くせば、全ての魔が潰えていく光景の中、紫紺の瞳がこちらを向いた。 4-8 魔物の最後の一頭が倒れ、討伐隊から張り詰めた空気が消えた。 町中から歓声が上がる。無事を喜び合う人達に、討伐隊のメンバーが次々に囲まれていく。興奮冷めやらぬ彼らの周りには、頬を染め、瞳を輝かせた女性達の姿。言葉を交わし、触れ合い、抱き締め合う。 遠目に、数人の女性がユーグへと近づいていく光景を眺める。 (ああ、これが…) マリーヌの言っていた、討伐隊を待っていた彼女達が望むもの。 (…ユーグ。) ずっと、紫紺が向けられている。 なのに、あの場所、ユーグに駆け寄っていけないのは何故なんだろうー (ユーグ。) どうしても、音に出来ない彼の名前、何度も呼んでるのに。 それでも、聞こえないはずの彼の名に、ユーグがこちらへ向かって歩き出した。真っ直ぐに、逸らされない眼差しのまま。 彼の隣、置いていかれまいとして伸ばされた女性の手が、次の瞬間には、乱暴に振り払われる。 「…どけ、邪魔だ。」 (っ!) 安堵するはずの場面、女性を追い払うユーグに安心して、良かったと、そう思うべきなのに。 身体が、小さく震えている。 (…知らない。) 魔物相手に吼える彼も、女性を乱暴に扱う彼も。全然知らない、ユーグの姿。 「っ!」 「…」 目の前まで近づいたユーグが立ち止まる。見下ろしてくるその人は、誰よりも帰りを待ち望んでいた人。ユーグは、ユーグのはずなのに。だから、お帰りなさいって、無事で良かったって、そう言って- 「…」 「…あ。」 何かを言おうとした直前、ユーグの背後から近づいて来た人に視線を奪われた。 「ユーグ?」 華やかに笑うその人は、恐れることなくユーグに触れる。 「無事で良かったわ。あなたの帰り、ずっと、待ちわびていたの。」 ユーグの腕を、スルリと絡めとる白い腕。押し付けられる肢体、媚態を露にする美しい人の笑み。だけど、ユーグは彼女を見ない。 それでも、彼女は笑んだまま- 「ねぇ、ユーグ?あなたももう、わかっているでしょう?残念だけど、クロエさんじゃ駄目なのよ。…この人には無理。」 「っ!」 ユーグの隣に立つマリーヌに、言い返す言葉を、何か。なのに― 「…私を選んで、ユーグ。私なら、あなたを最後まで満足させてあげられるわ。」 「っ!」 (嫌!!それだけは絶対に!!) ユーグを見上げる。 (行かないでっ!) 彼女を選ばないでとその瞳に縋ってしまう。紫紺は、ずっと逸らされないまま― 「…離れろ。」 「ユーグ!?」 「触るな。」 マリーヌを振り払った腕、逸らされない瞳には、初めて目にする熱が宿っている。怖いくらいの― 「…勘違いするな、選ぶのは俺じゃない。」 「…」 「選ぶのはお前だ、クロエ…」 「!?」 (どうして…?) どうして?何で?どうして、そんな()をするの―? 「っ!私はっ!」 痛いのは嫌だ、怖いのも嫌。だけど― 涙が、勝手にボロボロこぼれ出した。 「っ、最初から、最初から、ユーグを選んでるよ!」 「…」 「ユーグが好きで、ユーグだけを見て、ユーグがいるから、怖いのだって、全部全部我慢して!」 ずっと、ずっと探してた。あなただけを求めてた。だから選んだ、一目でわかった、「この人だ」って。 あなたに出逢うために、私はこの世界にいる― 「っ!」 流れる涙を袖で拭う。ユーグが選んでいいと、そう言ってくれるのなら、 「ユーグに触らないで!」 「なっ!?」 マリーヌに向かって叫ぶ。 「ユーグに近づかないで!ユーグは私の夫なんだから!」 吠えるのも、牽制するのも、妻である私の権利だ。 「っ、怯えるしか能の無い人間に、ユーグの何がわかるの、」 「わからなくても、私はユーグがいいの!ユーグしか要らない!」 怖いものは怖い。だけど― (牙をむいたユーグを、格好いいと思った私も、確かにいるんだから。) ユーグを見上げる。ずっと、黙ったままの彼と目が合った。 「…いいんだな?」 「…うん。」 熱のこもった紫紺に頷けば、 「…覚悟はしておけ。」 「…」 ユーグが笑った。狼が、牙を剥くみたいな、獰猛な笑み- 「加減は出来ない。」 「キャアッ!?」 突然の浮遊感。ユーグに横抱きにされたのだと気づき、その胸元にしがみつく。 「っ!?」 走り出したユーグ、しがみつく手に力がこもる。視界の隅に、笑顔の消えたマリーヌの顔が見えた。その手が、こちらへと伸ばされ― 「待って!」 「…」 「嫌よっ!駄目、行かないでユーグ!行っては駄目!!あなたは私のものよっ!!」 半狂乱になって叫ぶマリーヌの声は、ユーグには届いていない。振り返ることも無く、前だけ向いて走る顔を見上げる。ユーグを求める叫び声が、瞬く間に遠ざかっていった。 4-9 Side T 「…トキさん、あいつ、生きてるっすかね?」 「…生きてはいるよ。」 ガットの身も蓋もない問いかけにそう答えれば、ルナールがガットに顔をしかめてみせる。 「一週間やそこらで、死ぬわけないだろう?」 「あぁ?でも、あいつだぜ?しかも、相手が団長っつー…」 「…」 何かを想像して黙り込んだ二人。それと、ずっと黙ったまま、それでも杯を重ねているもう一人を入れて三人。何かと理由をつけては店に居座るようになったこの三人が案じているのは、ただ一人の女性のこと。 (まあ、心配するなって方が難しいんだろうね…) 獣人が牙を剥いた後の破壊衝動、それが誰よりも強いが為に滅多に自身の牙を見せない男が、あれほど長い時間牙を剥いていたのだ。彼らの心配も全くの杞憂とは言えない。 (収まるところに収まって良かったと、思っていたんだけど、ね…) 発情期はとうに過ぎたこの季節、己の上司兼友人が彼の妻と部屋に籠ってから、一週間が過ぎようとしていた。 「あ!」 最初に気づいたのは、気配に敏いガットだった。視線の先、階段から降りてくる馴染んだ気配に、全員の視線がそちらを向く。 常と変わらぬ様子で姿を現した男は、それでもどこか、以前とは違う- 「うっわぁ!団長、何つうか、すげぇ、駄々漏れっすね!?」 「これが、満腹した狼…」 「ガット、ルナール…」 一々、口にしないと気の済まないガキ二人を黙らせて、ユーグに視線を戻す。 「…久し振り。…何か飲む?」 「…」 何も言わず定位置についた男の前に、男の定番の蒸留酒を出す。籠っていたとはいえ、部屋に差し入れた食事はとっていたようだから、男の方の心配は全くしていないのだが、 「ユーグ、クロエは?」 「寝てる。」 その一言に、多少は安堵した。寝ているだけ、男が彼女を一人にしていることからも、体調には問題無いのだろう。横で聞いていた三人にも、同じ安堵の空気が流れる。 「…」 「…ねぇ、ユーグ。」 周囲の反応など全く意に介さない男に、一つだけ、どうしても気になっていた問いをぶつけてみる。 「…どうして、あの()と結婚したの?」 「…」 「最初は、ダグのためかと思ってたんだけど…」 けれど、それにしては説明のつかない、クロエに対する男の態度。慈しんでいるようで突き放し、逃げられないよう、怯えさせないように振る舞いながらも、全てを隠し切ることはしない。 だから、半信半疑―実際は、それほど高く無いと思う可能性で―、思い至った推測を口にしてみた。 「…クロエは、お前の(つがい)なの?」 「はっ!?」 「えっ!?」 驚きの声は、ユーグ本人ではなく、その隣、なり行きを見守っていた二人から。 「えっ!?いや、流石にそれは無いっすよね!?」 「確かに、団長が気に入ってるらしいってのは、まあ、わかりますけど。でも…」 混乱する二人を含め、全員の視線がユーグに向けられ― 「っ!?」 「ちょっ!?はっ!?」 「マジでっ!?マジっすか!?」 何も言わない男の、それでも、その態度で仲間内にだけは伝わる答え― 「いやいやいや!無理ですって!無い無い無い!だって、あいつ、こっち来たのって、」 「発情期…」 「だよなっ!な!?」 「…俺、ちょっと団長をなめてたかもしれないです。」 「確かにね。俺もちょっと、ユーグの理性にドン引きしてる。」 「理性て!?そんな問題じゃないっすよね!?番との発情期っすよ!?」 ガットの言う通り、理性という言葉で片付けられるほど、番を求める本能は甘くない。理性で御せるものではないからこその唯一、半身なのだから。 それでも、どうやら本当にその「無理」を成したらしい男に、敬意を通り越して呆れを覚えた。 「なんで、クロエにも番だって教えてあげなかったの?ずっと、あの子が不安がってたのは知ってたでしょ?」 番だと周知し、囲ってしまえば、もっと簡単に済んだ局面はいくつもあった。それをわからぬ男ではないはずなのに― 「…選ぶのは、あいつだからな。」 そう、あっさり答えられてしまう。 (…選ばせて、結果、逃げられてたらどうするつもりだったの。) それでも伝えなかったのは、ただ、彼女のため。ユーグに怯え、団や町にも怯えていた彼女に与えた逃げ道。この男は、本気で彼女に選ばせるつもりだった。 それが、この男なりの番の愛し方― (…俺には、絶対、真似出来そうにもないけど。) 想像しただけで、身を切られるような痛みが走る。それこそ、理性なんて瞬時に焼き切れるくらいの。逃がすくらいなら閉じ込めて、鎖につないで― 過去、自身が番相手の発情期にしでかした過ちを思い出し、ふと、よぎった記憶。 「…ねぇ、ユーグ、まさかとは思うけど、あれって、この子らに対する牽制か何かだったの?」 「はっ!?え!?俺ら!?牽制って何の話っすか、トキさん!?」 「まさか…」 聡いルナールは気づいたらしい、あの日のユーグの殺気。 「クロエが、君らに初めて料理してくれた日、ユーグが前触れなくキレたでしょう?あの時、あれでもユーグは、番を前にした発情期だったわけだから…」 「…」 こちらの憶測にも、男はやはり何も言わない。ただ、もの言わぬ視線を上げた先は― 「っ!?」 「はっ!?え!?ボルドっすか!?」 「あー、可哀想に。ボルド、死んだな。」 ユーグの視線に、正に瀕死状態になってしまったボルドをからかう二人。本人たちは忘れてしまっているのかもしれないけれど、確か、あの日のユーグとの会話でボルドを追い詰めたのはこの二人だったはずなのだが― (…まぁ、もう、そんなの気にならないくらい、今は満たされてるからいいんだろうけど。) ユーグの手元を見る。その両指に輝いていたはずの銀の輝きは、一つ残らず消えていた。 (…やっと、外せたか。) 銀は()り。ダグの死とともに少しずつ増えていった抑制付与の指輪達。ユーグの強すぎる破壊衝動を抑えるためのそれが、不要になった理由はただ一つ。 店の上、番の少し重すぎるくらいの愛情を受けて眠るのは、狼の最愛。 4-10 一時(いっとき)の恥ってものは無いと思う。本当に恥ずかしい思いをしたら、それはもう、夜中に思い出して「あ“ー!」って言いたくなる類いの黒歴史、もう、自分の中だけでは一生の恥だから。 だけど、それでも、それがわかっていても、避けては通れないものっていうのは人生の中に確実に存在していて、つまり、だから― (みんなにどんな顔して会えばいいのっ!?) 一週間の(強制)お篭り生活で爛れた毎日を過ごした後、起きたらユーグが居なかったという状況。身支度を済ませて階下に降りようとして、はたと気づいた。 (え?これ、みんなに会って何て言うの?挨拶…、第一声は?) 時間は深夜、まではいかない一歩手前、お店はもう閉めてるはずだけど、トキさんはまだ確実にいるだろう時間。ガット達は― (…どうだろう。ご飯食べに来てたとしても、もう帰ってる?) 紳士なトキさんだけならまだ何とかなると、一縷の望みをかけて階段を下りた。 「…」 「…」 「…」 「…」 (っ!居たたまれないから!何か言って!) 向けられた四者四様の視線。生温いものから、呆れやらドン引きやら、その中でも、 (ボルドの!ボルドの、労りの視線が一番居たたまれない!) 「…クロエは、ご飯ちゃんと食べれた?何か、お腹に入れる?」 「いえ、あの。お腹は。…飲み物だけください。」 「うん。ちょっと持っててね?」 優しいトキさんの、「疲労回復にいいもの作るから」と続いた言葉は聞こえかったことにする。 「…ここ、座んなよ。」 「…ありがとう。」 ルナールが、席を譲ってくれた。ユーグの隣。嬉しいんだけど、その親切は有難いんだけど、今は、ちょっと、並んで座らされるのは。 再びの居たたまれなさに、絶賛もじもじタイムに入ろうとしたところで、 「…そう言えば、気になってたんですけど。」 沈黙を破るようにして、ルナールが話題を提供してくれた。これは合コンでモテるタイプだと、ルナールの評価を上方修正しておく。 「さっきトキさんの言ってた、『ダグさんのため』ってどういう意味だったんですか?」 「ああ。」 途中参加者の宿命、話題についていけない私は話の聞き役に徹するつもりでいたけれど、 「うーん、でも、それは俺が勝手に思い込んでただけだから。」 「?」 トキさんの視線がこちらを確認してくる。 「君とユーグの馴れ初めの話だよ。ハルハテで会ったっていう。」 「ああ!」 思い出した。そう言えば、マリーヌに思いっきり毒を注がれて、かなり凹まされていたんだった。マリーヌが言っていた「ダグの夢だった」という話に繋がる話かと、トキさんに前のめりで迫る。 「私も聞きたいです!その話!」 「え。でも…本当に俺の思い込みだったんだよ?」 「はい。でも、その、ダグさんのことも知りたいですし。」 私はもう、一週間前の私とは違う。一週間かけて、それはもう何というか、ちょっと無理かもってくらいにはユーグに惜しみない愛情を注がれ、認識を改めざるを得なかった、まさに、Newクロエ。恐れるものなど―皆への第一声を済ました今は―何も無いと言える。 そんなこちらの意志を汲み取ってくれたらしいトキさんが、それでも、ちょっとだけ躊躇ってから口を開いた。 「…ダグは、クロエと同じ、ハルバナル地方出身で、ハルハテの『妻乞(つまご)い』を知っていて、…それに、俺やユーグを行かせたがってたんだ。」 「え?トキさんもだったんですか?」 「うん。俺が(つがい)を見つけてからは、標的はユーグだけになったけどね。…ユーグのために、あの、ガランテ?だっけ?あれも用意してたくらいで。」 「え!あのガランテ、ダグさんが用意されたものだったんですか!?」 「うん。骨組み、土台部分だけね。」 横から、「ガランテって何?」と聞いてくるルナール達にその説明をしながら、ユーグのガランテが伝統に則り、彼の「家族」が用意したものだったということに小さな感動を覚えていた。ユーグの幸福を願って用意されたガランテ、それを― 隣に座るユーグの横顔を見つめる。 「…わざわざ、運んだの?ハルハテまで?」 「…バラしてな。」 それでも、あんなかさばるものを遥々運んで、それをまた一人組み立てて、飾りつけたのだと思うと、心の奥、込み上げてくるものがある。 「…」 「…(はなむけ)だ。」 そう言って弛んだ眼差しに、心臓がきゅんとした。ユーグがどれだけダグさんを大切に思っていたのかを知れば、私たちの結婚の理由がダグさんの遺志によるものだとしても、もう、それでいいと思えてきた。 それに、そもそも、ユーグがハルハテに来たこと自体がダグさんの遺志によるものなのだから、私は彼に感謝をするべきなのだ。 (ユーグに出会わせてくれて、ありがとうございます!) 心からのお礼を言って、トキさんの作ってくれたグラスに口をつける。そうして、今、ユーグの隣に居られる幸運を噛み締めていれば、 「…なぁ。ちょっと、すげぇ気になる、ってか、いや、想像つかねぇんだけどさ。」 ガットが言いにくそうに、だけど、我慢できない感じで聞いてきた。 「そのさ、飾りって、花飾んだろ?…団長が?花?」 「ああ。」 確かに、それはちょっと、私の想像力でもかなり難しい範囲だと思って笑った。 「違うよ。ユーグのはね、何か、もっとこう、うん、渋かった。」 「…渋かったってなに?」 ルナールの問いに、言葉を選んで回答する。 「えっと、もっと大人っぽい色使い?暗色が多かったっていうか。」 「…花じゃないよね、それ。具体的に何。何の色なわけ?」 これ以上の誤魔化しは無理かと、ユーグのガランテに飾られていた斬新な装飾の数々を思い出してみる。脳裏に焼き付いて、今でもはっきりと思い出せる彼のガランテ。 「…確か、これくらいの灰色の石で、白の模様?こんな感じのが書かれていたのと、」 「え…?」 空中に模様を描きながら説明する。 「あとは、茶色の毛皮で、内側が銀に近い灰色ものとか。」 「え…?」 「まあ、ちょっと、独特ではありましたけど、って、トキさん?」 ガランテの装飾には似つかわしくない石やら毛皮やらの説明に驚いているのだろうかと、先ほどから珍しく驚きの声を上げているトキさんに視線を向けて、こっちが驚いた。 「え?あの?トキさん?」 「…」 完全に顔色を失っているトキさんに焦る。 「トキさん、どうしたんですか?私、何か、」 「星状(せいじょう)石に、氷結熊の毛皮…」 「はっ!?」 「え…?」 トキさんの呟きに、今度は青少年三人が絶句した。その意味がわからずにユーグを見るが、こちらは全くの平常運転。つまり、我関せずの無表情で― 「クロエ!その石と毛皮!どうしたの!?今どこにある!?」 「え?え?」 トキさんの叫びに慌ててみんなを見回せば、こちらは引き気味な反応を見せている。 「え?なに?どういうこと?これ、どういう反応なの?」 「…あんたも、相当、抜けてるってか、無知だよね。」 ヤレヤレみたいな態度で怖いことを言うルナール。ガットまでが、怒りというより呆れを見せて― 「今、お前が言ったそれ、かなりのレア素材だぞ?」 「家一軒、…二軒は建つね。」 「!?」 信じられない言葉に、今度こそ、思いっきりユーグを振り向いて凝視する。 (だって、だって、あれって確か…) ユーグはあれを― 「…あの、使用済みのガランテは、焚き上げ、…一か所にまとめて焼いちゃう、んです、けど…」 「!?」 絶句したトキさんの顔をまともに見れない。もう、本当にどうしたら良いのか。 責める視線で、ユーグの横顔を見つめ続ければ― 「…餞だ。」 そう言ったユーグの口元が緩く、笑みを刻んで見えた。 Epilogue (終) 寝台の上、小さな寝息をたてる、疲れ切って深い眠りに落ちた己の半身。 抱きしめ、懐深くに抱え込む。 (逃がしてやる、つもりだったが…) 一度でも抱いてしまえば、それがただの驕りでしかなかったことを知る。今はもう、得たものへの執着に、思考を、感情を、全てを支配されてしまっている。 (…だから、もう、逃げるな。) 逃げられたら、追ってしまう。追って、捕らえて、例え抵抗されようとも放せない。 (守ってやる…) お前を脅かす、己以外の全てから― 狭すぎる拘束に身じろぎする肢体、束縛を弛める怖さに怯え、思う。 巣を作ろう― この温もりを、守り、閉じ込めるための巣を。これから先の彼女の安寧が、全て、己の傍にあるように。 (終)
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