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「で、俺に何を見せようって?」
部室にアルタイルを迎えたその日、教室内は今までにない緊張感に満ちていた。
ステージに対して前方中央に位置する座席に深々と腰かけるアルタイルは、すでに面倒くさそうにあくびを漏らしている。ライブ用に照明も消した暗い教室の中では、このまま本当に寝てしまいかねない雰囲気だった。
その様子を舞台袖であるカーテンの影から見ていたシアナに、ソフィアが後ろからコソコソと話しかける。
「よくアルタイル王子をここまで呼べたわね」
「ベガ先輩が頑張ってくれたみたいで……」
「さすが幼馴染……」
しみじみと呟くソフィアにシアナも頷き返す。むしろ、ベガでなければ絶対に来なかったかもしれない。
アイドル研究部に入ると決めたベガの願い。
それは、アルタイルがまた笑ってくれること。
第二王子であるアルタイルは、第一王子である異母兄弟のシリウスと並んで二大次期国王候補だ。城内では王子たちの意思が及ばない水面下で、大人たちは醜い争いを続けている。その煽りを幼少期から受け続け、アルタイルは徐々に心を閉ざし、無邪気に笑わなくなってしまったのである。
このライブでアルタイルの笑顔が見られることを祈りながら、シアナは反対側の舞台袖に控えるベガとクグイに合図を送った。
暗闇ではっきりと2人の姿は見えないが、了解の意を伝える明かりがほわっと灯る。ソフィアにも合図を送ったシアナは、ギターに手を添えた。
練習ではない、誰かに見せるためのライブ。その緊張に手が震えそうになり、すっと息を吸い込んだ。
アイドル研究部を作ると言った時はひとりだった。
けれど今は、ひとりじゃない。
ジュァンッと響いたギターの聞き慣れない音に、アルタイルはぴくりと片眉を上げる。
ギターの静かな旋律と共にステージには煙幕が立ち込めた。じっとアルタイルが煙幕に目を凝らした次の瞬間、内側から空気が爆ぜるように煙が消え去り、ステージの中央に煌びやかな衣装を纏ったベガとクグイが現れる。
「へぇ……?」
ベガの挑むような力強い瞳に、アルタイルは小さく声を漏らした。
ベガとクグイの登場により、シアナの奏でるギターのメロディーは一気に華やかなものへと変化する。曲はずっと練習を重ねていたロイヤルラバーズのオープニング曲のアレンジだ。その曲に合わせて、ベガとクグイは息のあったダンスを魅せる。
ダンスを彩る照明はソフィアの魔法で華やかに。そして、クグイがダンスに合わせて魔法陣を描いた紙を飛ばし、宙にアカトキ国の太鼓や笛を出現させる。
ギターの旋律に太鼓や笛の音が重なり、曲はさらに賑やかになっていった。
アカトキ国の音の中で踊るクグイは楽しそうで、歌声も伸びやかだ。ベガも練習からにさらにダンスのキレを増し、アルタイルへいいものを魅せようという気概に溢れている。
限られた練習時間にも関わらず、これが初ライブとは思えないクオリティーだった。
これならきっと……
そんな期待と共に、シアナが舞台袖からアルタイルを見遣る。
しかし、彼の表情はあくびを噛み殺した時と何も変わらない。眉は平坦で、瞳は何の色も映していなかった。
シアナはひゅっと胃の底が冷えて、ギターに変化させている杖の魔法が解けかける。
唇を噛みしめて耐え、不安に駆られながら弦を弾き続けた。
なぜ、笑顔を引き出せないのだろう?
何も届いていないのだろうか?
何かがこのライブから欠けているのだろうか?
頭を捏ねまわしても正解は出てこない。ただただ、曲のコードだけが進行していき……アルタイルの笑顔を見ることがないまま、曲は終わってしまった。
ベガとクグイは練習では一度通した程度で息を上げることはなかった。だが、本番となると緊張もあったのか、肩で息をしながらステージに立ちすくんでいる。
「……終わりか?」
冷淡な言葉が響き、しんと教室に沈黙が降りる。
練習の成果はきちんと発揮できていた。それでこの無反応となれば、アルタイルをアイドルのパフォーマンスで笑わせる、という発想自体が間違っていたのだろうか。元の姿に戻った杖を握りしめたまま、シアナはきつく唇を噛みしめた。
凍ったような沈黙を破ったのは、ベガの笑い声だった。
「いやーははっ……やっぱりアルは目が肥えてるってゆーか、これくらいじゃ驚かないかぁ」
明るく言い放つも、言葉尻には悔しさが滲んでいる。
どれだけ彼が毎日練習に打ち込んでいたかを知っているシアナは、“これくらい”なんてベガに言わせたくはなかった。
「もう見せるものがないなら、俺は帰るぞ」
このまま、笑わなかったアルタイルの背中をただ見送っていいのだろうか。
アルタイルにアイドルは響かなかった、とその結果に打ちひしがれるだけで終わっていいのだろうか。
視線を落とすベガの横顔に、シアナはぶんと首を振る。
これで終わっていいわけがない。ギターの音がした瞬間、ベガたちが登場した瞬間、その時は確かに反応があった。そうであればきっと、その後無反応だった理由があるはずだ。
「ギ、ギターの音は、お気に召さなかったでしょうか!」
シアナは震える足を踏ん張り、教室を出ようとしていたアルタイルに問いかけた。振り返ったアルタイルは、じっとシアナを瞳に映す。
ちょっとしたことでもいい、改善する方向性さえ思い浮かばないシアナは本人からヒントを得ようとしたのだ。
「な、慣れない楽器の音を不快に感じられてしまったのかと……」
王子に向かって意見を求めるなど馴れ馴れしいかもしれない。バクバクと逸る鼓動を抑えていると、クグイの手がそっとシアナの肩を包んだ。
「アイドル研究部だからね。研究のためにも、意見をもらえると嬉しいのだけれど」
「クグイ先輩……」
クグイの手の優しさに、シアナはようやく身体の震えが止まるのを感じた。
アルタイルは自身の金髪を掻きながら、心底面倒くさそうに溜息を吐く。
「ギターとやら云々の話じゃない。お前らはもっと、普通の人間の視点でステージを作れ」
「普通の……?」
シアナたちが疑問符を浮かべると、アルタイルはちらっとクグイを見遣った。
「クグイなら、この意味が分かるだろ?」
「……あぁ、なんだ」
何かが分かったらしいクグイは、くすっと笑みを零す。
そして、美しく弧を描いた唇に嬉しそうに言葉を乗せた。
「アルタイルは心配してくれてるんだね」
脈絡のないクグイの発言に、部員たちは一様に首を傾げた。
一方で、アルタイルはカッと目を怒らせて叫ぶ。
「何が心配だ! 帰るっ!!」
バンッと思い切りドアを閉めて、アルタイルは教室を出ていった。
残されたシアナたちは、ステージの掃除をしながらアルタイルの言葉の意味を考える。
「クグイ王子、さっきの心配とはどういう意味でしょう……?」
舞台衣装から制服に着替え終えたクグイは、あぁと頷いて笑った。
「きっとアルタイルは“普通の人間”の視点でライブを見てくれたんじゃないかな。例えるなら……はい、どうぞ」
「何ですか、それ?」
「アカトキ国のお菓子だよ」
クグイに差し出されたのは、緑色のパウダーをまぶした煎餅のようなお菓子だった。シアナとソフィアは前世で見た食べ物に既視感を覚えつつ齧る。同じく、着替えから戻ってきたベガもクグイの手から煎餅を受け取って、煎餅を頬張った。
パリパリと口の中で音を立てる煎餅に、シアナとソフィアは鼻からツンと抜ける辛みに顔を見合わせる。
「美味しいわね!」
「もしかして、ワサビですか?」
「おや、正解」
シアナとソフィアが美味しくいただく隣で、ベガは鼻を抑えながら悶えていた。
「かっ、うぅっ!? これ、鼻が! 舌がヒリヒリする……っ!」
「そうそう、これが“普通のアニュラス国の人”だよ」
「「あ……」」
シアナとソフィアは前世でワサビの存在を知っていた。見た目や匂いから正体を予想して身構えることができれば、反応は変わる。
前世の記憶を持っていることによって、シアナとソフィアはアニュラス国の人間でありながらも一般的なアニュラス国の人間とは価値観がズレていた。
「自分たちが美しいと信じる文化も、場所が違えば野蛮に見えたり、理解しがたいと拒絶されたりするものだよ」
シアナとソフィアは前世での記憶の手伝いもあり、クグイの言葉を理解していた。今食べたワサビや納豆も日本では日常的に食べられていたが、外国人からしたら珍味であった。逆に海外のお土産の癖があまりに強く、食べられなかった記憶が蘇る。
その時の記憶をリアルに思い出したのか、ソフィアがうっとえずいた。
「サルミアッキだけは二度と食べないって誓った記憶が……」
「世界一まずいという飴でしたっけ?」
クグイからもう一枚煎餅を食べてサルミアッキの記憶を消したソフィアは、不思議そうに未だにワサビに悶えるベガを見つめた。
「でも、ベガさんは初めて私のダンスを見た時も感動してましたよね?」
「ベガは直観で物を見られるからね。剣術の腕もあってか、人体の動きへの観察力が彼の中の感動に繋がっているんだと思うよ」
クグイの推理を聞く暇もなく、ベガは水をごきゅごきゅと飲み干しワサビの辛さをどうにか鎮めていた。
シアナはベガに追加の水を渡し、考え込むように顎に手を添える。
「つまり、もっとアニュラス国の人に受け入れやすいパフォーマンスを考えた方がいいということですね」
「ふふっ……」
ふいにクグイが笑みを零し、その反応にシアナは見当違いなことを言ってしまっただろうかとドキッとする。おずおずと視線を合わせれば、クグイのシアナに向ける視線は優しかった。
「私もずっとその方法を考えてたけど思いつかなかったよ。でも、三人……いや、四人寄れば、」
「文殊の知恵、ですね」
シアナが言葉を引き取ると、クグイは上品な笑みを湛えて応える。そうして微笑むクグイが、シアナには徐々に菩薩のように見えてきた。
そのまま何かを浄化されてしまいそうな気がして、シアナはぱっと視線を逸らす。
「気付かせてくれたアルタイル先輩には、今度こそいいライブを見てほしいですね!」
「ライブもだけど……」
もごもごと何かを呟くベガに、シアナは首を傾げる。シアナの視線に気付いたベガは、ぱっと晴れやかな笑みを浮かべた。
「いいこと思いついちゃった!」
そして、翌日。
「コーチ連れてきたよー!」
次のライブに向けて計画を話し合っていたシアナとソフィアは、ベガが引っ張ってきたアルタイルの姿を見て震えあがる。アルタイルは、不機嫌さを露わにこれでもかと濃い皺を眉間に刻んでいた。
「なんで俺が……」
「俺には難しかったけど、アルのアドバイスにみんな納得してたからさ。どうせ暇でしょ?」
「はぁー……」
とてつもなく重い溜息を吐いたアルタイルは、ベガに運ばれるままステージ前の座席へと座らされる。椅子を何個も使って横になると、そのまま練習を始めるベガとクグイの様子を眺めていた。
気だるげにあくびを零すアルタイルに、ベガは踊る度に顔を輝かせて振り返る。
「今のとこ、どう!?」
「2人しかいないくせにバラバラだな」
「え、タイミング合ってたよ」
「タイミング“だけ”はな。腕の曲げる角度、高さ、全部合わせろ」
「はーい」
そんな2人のやり取りは、授業参観日に張り切る子供と父親を思わせた。
微笑ましくはあるものの、相手が一国の王子であるアルタイルということもあり、シアナとソフィアは教室の隅で震えてしまう。
「い、いい、いいんでしょうか、ソフィア先輩。アルタイル先輩にコーチングをお任せするなんて……!」
「お、落ち着きましょう、シアナ嬢! とりあえず、お茶をお出しするのよ!」
「はい!」
寝そべるアルタイルの近くにテーブルを用意し、シアナはティーセットを並べる。
「そ、即席なのでご容赦を……」
「茶請けがないな」
さすが王子。お茶にはお茶請けが必ずセットという認識らしい。
しかし、すぐに用意できるお菓子はなくシアナが買いに出ようかと思案していたその時、
「茶請けならいいものがあるよ」
すっと進み出たクグイは、花の模様が描かれた懐紙をティーカップの前に置く。続いて懐紙の上に乗せられたのは、あのワサビ味の煎餅だった。
「アカトキ国の菓子か」
「私のお気に入りだよ」
「へぇ?」
アルタイルは頷き返しながら、懐紙に乗せられた2枚の煎餅をまとめて口に運んだ。
1枚だけでも十分にワサビの辛みを味わえる代物だ。それを2枚同時に口に入れたアルタイルに、シアナはあっと声をあげる暇もなかった。
「こ、っ……~~!!??」
ワサビで咽るアルタイルに、シアナは慌てて水を差し出す。そうして心配しつつも、ゲームでは見られなかった彼の姿についほっこりとしてしまうのだった。
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